宮道佳男先生(26期 宮道佳男法律事務所) 司法反動は許せないと青法協に!尋問も週2回こなした元青法協名古屋(現あいち)支部長。 |
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聞き手 北村 栄(名古屋第一法律事務所) | |
小林哲也(名古屋E&J法律事務所) | |
2 青法協あいち支部長になって 〜当時の青法協〜 (ここで後藤昌弘先生が登場) |
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宮道: | おお、どうもどうも。当時の事務局長の後藤君だ。俺が何をやってたか思い出せないから、君もちょっと来い。それじゃ、僕らの青法協のときにやっていたことの話をするよ。昭和60年になったんだけれども、その前年に、野間先生や鈴木秀幸先生達が憲法の劇をやってたんだ。 |
北村: | 私はリンゴの木を植えるでしたっけ。 |
宮道: | そうそう。青法協の若手が出演したり派手にやったんだ。 |
後藤: | それで、支部長が私に替わったときに、とにかく今回は平常心でやりましょうと宣言しました。それで、やることは月1回の幹事会と修習生の歓迎と歓送です。それと全国の総会の出席と。 |
宮道: | ここに手帳があるけどね、ここに10月8日の記録がある。この日の青法協の幹事会は、後藤、松本、福井の3人俺を入れて4人だ。この松本というのは名古屋事務所の松本篤周だ。福井は福井悦子だ。 |
北村: | 幹事会とか、テーマを決めて勉強会を学生を集めてやっているんですけど、そういう感じではやっていなかったんですか。 |
後藤: | 幹事会とは別に修習委員会がありました。修習委員会というのは竹内平だったかな。彼が南部事務所でやるんだ。 |
宮道: | 幹事会と青法協の修習委員会とは全くの別物で、竹内平君が南部事務所で修習委員会を開いて、所謂修習生指導をずっとやっていた。 |
宮道: | 昔は俺らのクラスのうち20人くらいは青法協だったと思うんだけど。 |
北村: | そうですか、1クラス50何人で、そんなにいたんですか。 |
宮道: | そうそう。ところが、それからガタ減りだったものな。 |
後藤: | 先生は26期ですか。 |
宮道: | そう26期。 |
北村: | 後藤先生は何期ですか。 |
後藤: | 僕は31期。ちょうど23期の坂口修習生罷免問題のときです。噂によると、浅井正が卒業式を粉砕したから、代わりに坂口さんが首になってしまったのではないかと。だから、結構締め付けというのか、少なくとも任官する奴らは非常に気にしていた。だから、任官するやつで青法協に入るやつはいなかったね。 |
北村: | 後藤先生のときはクラスで何人くらいが青法協の会員でしたか。20人いない位ですか。 |
後藤: | 何人くらいなんだろう。 |
宮道: | あんたの頃はもっと少なかっただろう。俺のちょっと前が9割方入っていたんだ。22期、23期あたりの修習生の9割方は青法協の会員だった。当時はもうどんどん弾圧されてた。俺が入った頃でも、青法協会員の素養のあるやつが裁判官を志望しても、当局としては、けしからん、裁判官にはさせんという態度だった。弁護士志望の連中の方がむしろ気合いがあるものだから、青法協に入りましょうと言っていて、俺も当然のように青法協に入った。そうしたら、クラスに20人位いたんだ。 |
後藤: | とにかくあの頃はどちらかというと、任官拒否。それから、口述で落とされる。特に任官拒否については非常に問題であって、日弁連なり、青法協が騒いでいた頃ですよ。だから、大体我々の頃は、弁護士登録すると、まず司法問題委員会にぶち込まれたのね。そういう時代でした。だから、少なくとも青法協に入ると任官拒否される。それに対して、抗議の署名活動をやる。そういうような時代でしたよね。 |
宮道: | そうそう。自分も修習生になった瞬間から、青法協に入ってて、当時は人数も多かったよ。東京の駅前でデモしたり、ビラ配ったり、いろんな集会もした。青法協に対する司法反動は許せないというね。自由法曹団やらいろんな会合もあった。前期修習時代はそういうのに全部出てたよ。 |
後藤: | そこから5年経っている我々のときは締め付けはもう徹底されてしまっていますから、デモとかビラ撒くとかとんでもない。 |
北村: | 宮道先生のときもだいぶん逆風が吹き始めた頃だから、青法協に入るのには抵抗はなかったんですか。 |
宮道: | むしろ入らなきゃいけないと思ってた。司法反動はけしからん。青法協に入って司法反動に抵抗しなきゃいかんと思って、率先して入った。 |
北村: | それはどういったきっかけなんですか。先生は受験時代1人で頑張ってこられたわけでしょ。自治会活動とかされていたなら分からなくはないんですけど。 |
宮道: | 学生時代は受験一本だった。それで、東京の研修所に行って、寮に入ったらそんなやつばかりがいるわけだ。要するに、全学連のなれの果てがごろごろとね。それの話を聞いているうちに青法協に入って、やりましょうということになった。 (ここで後藤昌弘先生が退出) |
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