歴史評論9−14 名古屋空襲と戦犯裁判 |
2012.4.12 |
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BC級裁判は、横浜、マニラ、シンガポール、ラバウル等で開廷され、捕虜虐待事件では死刑判決が連発され、捕虜をビンタしただけでもその後病死しておれば簡単に死刑にされた。伝聞証拠排除の原則は否定され、帰国寸前のインド兵捕虜のアンケートだけで死刑にされた。 それと比較すると無差別爆撃の捕虜への処刑に対する戦犯裁判では、岡田資中将の死刑がひとつあるだけで伊藤信男少佐に対する判決が死刑から終身刑に減刑されたように司令官クラスでも死刑が回避されている。 もっとも、伊藤信男少佐の場合、上官である岡田痴一法務少将が自決しているので本来終身刑であったとも見られるが、岡田資中将の死刑と伊藤信男少佐の終身刑を分けたのは、軍律裁判の法廷を開いたか否かであると思う。 どうも、アメリカ人は、ロー(法)とかコート(法廷)という言葉を聞くと、起立敬礼をしたくなるようである。建国以来陪審裁判が普及しており、アメリカ人にとっては教会と法廷は尊敬すべき対象のようだ。 戦後ラバウル戦犯裁判では、オーストラリア軍の支配下で大量の処刑を出している。戦犯裁判の中でオランダ軍とオーストラリア軍が一番酷かった。その中でナウル島民虐待致死事件があった。日本兵5人が窃盗をした島民を殴ったら数日後死亡した事件である。事実ならば簡単に死刑判決の事案である。日本人弁護人は知恵を絞り、原住民犯行処罰規定をでっち上げ、この規定に基づき窃盗犯である島民に笞打刑5回に処したと弁論した。裁判長が「その規定を提出せよ」と命じ、日本弁護人は「終戦時に焼却しているから必要があれば東京政府に照会されたい」と答弁した。弁護人が余りにも自信ある態度で答弁するので裁判長は事実と思いこみ、判決は二人に6月と3月の禁固刑、三人に無罪とした。 大阪の中部軍では、無差別爆撃の捕虜44人を処刑したが、憲兵司令官大城戸治中将は終身刑、福岡の西部軍では33人処刑したが、横山勇中将も終身刑で済んでいる。 アメリカは看守の米兵虐待事件では死刑を乱発するのに、何故、無差別爆撃の捕虜処刑事件では死刑を回避したのか。アメリカ人には法廷への敬意があったからであろう。 |
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