裁判員裁判11−1 |
「名古屋地裁裁判員裁判傍聴記」2010. 12.1 2010年8月〜10月 宮道佳男 |
1、私は、この期間名古屋地裁の裁判員裁判を10件傍聴していました。 裁判員が熱心です。証人や被告人に対して、6名全員が質問したことがありました。結構、正鵠を射ているのです。ただし、補充裁判員は裁判長を通じて質問することが出来ますが、した例は見ていません。裁判長が補充裁判員からの質問と明示しなかったからかも知れません。裁判長が裁判員に質問を促す姿勢が丁寧なのです。 特に刑事6部 傍聴マニアとも呼ぶべき人たちがおり、廊下で判事検事弁護人の名前を呼び上げて辛辣な評価をしております。完全無罪を争う裁判が未だないため、概ね、弁護人の力不足を非難する論調が多く、判事検事の腕前の評価論がそれなりに面白いのです。裁判員裁判施行後1年を経過し、熱が冷めたのか、弁護士の傍聴は皆無でした。 弁護士の活動を見ていますと、旧態依然です。裁判官に向かって話しかけ、裁判員に向かって話しかける工夫をしていません。日弁連の裁判員裁判向けの研修がありましたが、東海三県で80人程度の参加者に留まり、しかも、反対尋問技術を中心とし、裁判員向けの新たな作戦については力点を置いていません。 負けない技術、恥をかかない技術の訓練を主にしており、裁判員向けの勝つ技術、被告人の為に恥をさらしても勝つ技術を教えないのです。仲良し法曹三者協議をやりすぎたせいでしょうか、合理的疑いを超える証明の話、裁判員を励ます話は、裁判官の仕事であり、弁護人の仕事ではない、検事から異議が出るから止めよと教える日弁連委員まで登場するのです。森進一の襟裳岬です。 特徴的なのは、弁護人が恥をかくことを恐れていることです。瞬発の異議が出ません。躊躇っているのです。 5秒たってから、おずおずと「あのう、誘導では」これでは、尋問にアンダーラインを引くだけです。 検察官の方が平気で異議を言っています。被告人の為に恥をかけ。恥を一人で引き受けて被告人を助けよ。 共犯事件で見張り役なら、幇助犯と言え。常習累犯窃盗ならば、常習性なし、男子3日会わざれば刮目して見よ、今度は出来心ではない証拠は何処にある、と平気で言うのです。見張り役でも重要な犯罪分担であり、共謀共同正犯の判例により無理だと諦めてはいけません。共謀共同正犯の判例理論は罪刑法定主義に違反するとの立派な学説が教科書に書いてあります。幇助犯と言うと、アホだと思われないかと恐れてはいけません。 大事なやり方は、弁護人が「被告人は罪を認めて頭を垂れています。今、弁護人が幇助犯だから減刑してくれと申したのは、弁護人の意見です。被告人は言っていません。被告人は如何なる罪にも服する覚悟です。もしも、幇助犯でないのに、幇助犯だと罪を免れるように言ったと思われるのならば、弁護人を叱ってください。頭を垂れている被告人を叱らないでください。弁護人が幇助犯だと言ったことは、法律上の減刑理由を主張していることは勿論ですが、仮に認められなくても、情状酌量としての、幇助犯的役割の主張も兼ねております。弁護人は心配性で老婆心なのです。被告人の為に良かれと思うことは何でもします。裁判員諸君、弁護人の老婆心に免じて許されよ。 だけど、幇助犯か否かは、証拠で判断してください。共犯者の証人尋問で考えてください。検察官は共犯者の証人尋問をやらなければならなくなったのは、共犯者の供述調書を不同意にした弁護人のせいだと言うかも知れません。しかし、証人尋問は検察官と弁護人のお仕事なのです。お互い、仕事は立派にやりましょう。どのような結果が出ても、真相が解明できて良かったと喜びましょう」 裁判員の負担など深刻に考える必要はありません。皆さん喜んできています。居眠りする人はいません。立派に質問しています。災害が起きると、ボランティアの救援隊が来ます。全国から慰問物資が届きます。大衆は善人なのです。 冤罪と闘う戦術として、松川裁判を典型的例とする大衆的裁判闘争がありました。傍聴席の国民と団結して、裁判官・検察官を攻め上げるのです。弁護人の弁論に傍聴席から「よし」の声、裁判所を包囲するデモ隊、これを報道する新聞。 裁判所や検察庁はこれが大嫌いでした。最高裁長官が、雑音だと非難声明を出した程です。研修所でも判事検事教官が「後ろ向きの弁護はいけないのです」と教えました。 私は、もう大衆的裁判闘争の時代ではない、と思います。冤罪防止の切り札として、裁判員裁判が開始されました。後ろの傍聴席の大衆と前の法壇の裁判員は同一なのです。もう、裁判員に闘争を仕掛ける必要はありません。弁護人は6人の裁判員に語りかけるのです。3人の裁判官なんか眼中に入れる必要はありません。6票を取りに行くのです。3票なんか最初から捨てなさい。法律論は6人が分かるように平易な言葉で、適切な喩え話を交えて何度も説明するのです。冒頭陳述と最終弁論だけが発言の機会ではありません。途中で裁判員に裁判の到達点を説明することも大事です。中間弁論を適宜入れるのです。検察官より多く語りかけるのです。刷り込み効果です。手抜きして勝てると思うな。キーワードを使いなさい。喩え話、決まり文句を大画面に映し出し、視覚効果を狙うのです。日本人は漢字人間です。言葉より漢字を見て理解します。任意性なしと言ったとき、大画面に「任意性なし」と写すのです。 私は大衆的裁判闘争に代えて、大衆向け積極弁護術と呼びます。 概ね、弁護人は間違いを犯していません。争うべき時は争っています。ただ、後記の強姦致傷と危険運転致死は別です。 法廷には、裁判員裁判官弁護人の目の前に小さなテレビ画面、法廷左右の壁に大テレビ画面があります。書証を朗読するとき、併せて書証を映し出すことをして傍聴人の理解に役立たせます。しかし、大テレビ画面を消すことが多いのです。死体の写真とか傍聴人に見せるべきでないものについては、理解しますが、必要もないのに、消す例が多いのです。 ある検察官が言いました。 「放映したらいかんのを間違えて放映する場合があるから、元からスイッチを切っておく。」 傍聴人にとっては、大画面を消されると、何か分からなくなるのです。特に、取調のDVDは1時間にわたって、放映され、裁判員裁判官検察官弁護人は手許の小画面で分かるのですが、傍聴人は大画面が切られ、音声しか聞こえません。1時間も退屈させられるのです。裁判公開の原則からして、大画面は活用すべきです。 |
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