裁判員裁判11−3 |
「名古屋地裁裁判員裁判傍聴記」2010. 12.7 2010年8月〜10月 宮道佳男 |
3、取調メモ 最高検の平成20年7月9日の高検地検次席検事宛の「取調べメモの保管について(通知)」では 「取調べにおける被疑者等の言動を記載したいわゆる取調メモに関し、近時の裁判実務においては、捜査機関の保管しているものについて、証拠開示の対象となり得る場合があるものとされており、関係者のプライバシー、名誉等の保護等の観点からも、これを適正に管理することが求められています。 そこで、検察官又は検察事務官の作成する取調メモ(専ら自己が使用するために作成されたもので、他に見せたり提出することを全く想定していない、いわゆる個人的メモをのぞく)の保管に当たっては、その適正を図るため、本年7月22日から、当面、下記の取扱によることとしてください。 記 1、主任検察官は、捜査過程で取調メモが作成されている場合には、「当該被疑者等の供述調書や関係する捜査報告書には具体的に記載されておらず、その記載内容から直ちには推認できない被疑者等の言動が記載され、取調状況についての判断をする上で必要と認められるもの」につき、公訴を提起する際、公判引継ぎ用取調メモであることを明示し、事件ごとに事件記録とは別に綴りを作成した上、当該公判を担当する主任検察官に引き継ぐものとする。引継ぎを受けた当該主任検察官は、当該取調メモの引継ぎについて上司の確認を得た上で、具体的に必要と認める間、同取調メモを適正に保管するものとする。 2、捜査を担当する主任検察官が引き続き公判遂行を担当する場合にも、上記1の例に従い、当該取調メモを適正に保管するものとする と書かれています。良く読むと「保管すべきと判断したものを保管する」と読めますが、弁護人はこの最高検通知は有効利用し、取調メモの開示を請求すべきです。しかし、10月の新聞報道によると、この通知の後、廃棄してしまえという補足通知も出ているとのことです。 平成20年10月21日最高検は補足通知をしています。「9月30日最高裁が、個人メモであるかを問わず、証拠開示の対象となる判断を示したこと伴い、補足説明をする。取調メモの保管の必要性の乏しいものを安易に保管しておくことで、開示を巡る無用の問題が生じないことに思いを致し、本来、取調メモは、そこに記載された供述内容等について、供述調書や捜査報告書が作成されれば、不要となるものであり、安易に保管を継続することなく、廃棄すべき」 最高検は、これまで取調メモを個人的メモと構成することで、開示問題を乗り切ろうとしていましたが、最高裁に否定されたため、この補足通知を出したのです。勤務時間中にラブレターを書いたのではないのです。給料貰っている最中に書いたものは個人的ではあり得ません。 前の「保管すべきものを保管する」から「保管しない物は即廃棄」と進んだ点が気になります。 日弁連会長は平成22年11月4日この廃棄を勧めていると読み取られかねない問題点を指摘する声明を発表しています。 DVDの全面化と取調メモ、これが最近の争点です。 2010年9月名古屋地裁裁判員裁判で、この最高検通知があったからでしょう。面白いやり取りがなされました。イラン人薬物密売人潰しの強盗殺人事件、日本人3人組の中で1人が幇助犯的役割に過ぎないと争いました。 被害者参加制度が海外にまで適用されているのです。 イランの家族からの、神の御名に於いて、と始まる厳罰を求める手紙が朗読されました。 最近は、これに対する意味で、被告人の詫び状を被害者に郵送し、その控えを朗読するのが多いのです。 弁護人が自白調書の任意性を争い、取調検察官の証人尋問となりました。弁護人は「取調メモをどこへやった。開示請求に対する回答では、そもそも取調メモは存在しない。存在しない理由は釈明の必要はない、と回答してきたが、何故だ」と追求したところ、検察官は「私は取調メモを取りません。全部記憶でやります」と証言しました。 被告人は立ち上がり、自分も検察官に尋問したいと言いました。 「取調のとき、僕の目の前でメモを書いていたじゃないか」 検察官は「それは事件の経過表のようなもので取調メモではない」と言います。 被告人と検察官の対決尋問なのです。 私は、聖徳太子様でもないのに、何時間もの取調に一切メモを取らず、いきなり検察事務官相手に口述して自白調書を完成させることはあり得ない、最高検通知がもたらした現場の混乱があり、この検察官なりの苦肉の策と思いました。裁判官から一切このことで質問がなかったので、どのように判断したか、疑問ですが、裁判官は証言を丹念にメモしており、自分の実務感覚と異なる証言に驚いたか、呆れたか、されたことでしょう。 裁判長は「任意性を認めて、自白調書を採用する」と言いました。 弁護人は無言です。 何故、証拠採用決定に対して「異議あり」と言わないのでしょうか。 高裁がまだあるのです。 否認本格派の法廷ではこうします。但し、この事件では、ここまでやる必要はない。どう見ても、一応任意性を争っただけの様子です。 「裁判長、裁判の現在の到達点について、裁判員に2分間で説明したいのであります。検察官軍の攻撃により、弁護人の任意性の第1線は突破されました。弁護人は信用性の第2線まで退き、塹壕を掘って立て籠もり最後の一兵まで闘います。 ここで弁護人は最終兵器を登場させます。憲法第38条です。 自白調書は単体では証拠価値がなく、必ず、補強証拠を必要とする規定です。 検察官は自白調書を読み上げ「ちゃんと、動機から手口まで自白が取れています」と胸を張るでしょう。 その時、裁判員諸君、私と共に、叫んでください。 「どこに、そんな補強証拠があるのだ」と 検察官は引き金を引きます。すると、カチンと音がします。もう弾は、補強証拠の弾はないのです。 自白調書があっても、補強証拠の弾がなければ無罪なのです。 そして、信用性の議論は又別なのです。 自白調書の任意性の戦いで、裁判官が自白調書の任意性を認めて、自白調書の証拠採用をしたとき、裁判員は検察官の勝利、弁護人の敗北と見て取ります。裁判官は検察官に軍配を上げているのだと、思い込みます。無能な弁護人と印象を抱きます。任意性と信用性の議論は別物であるのに、無能な弁護人の信用性の主張に対して懐疑的になりがちです。 これは要注意です。裁判官は、任意性に関しては検察官に軍配を上げたが、信用性の議論は別物であることを裁判員に正確に伝えているか、疑わしいのです。裁判官が「弁護人が通りもしない任意性議論をするものだから、検察官の証人尋問をせざるをえなかった、あーあ、疲れた」と溜息をついておれば、裁判員は弁護人に対して悪意を抱き、弁護人の言う信用性の議論を聞かなくなるでしょう。 昔、木谷明判事は、任意性を認めて証拠採用決定したときこう言いました。 「一応の任意性を認めて自白調書の証拠採用をするが、任意性と信用性は別の議論を必要とする。検察官と弁護人は更に信用性について攻撃防御を尽くされたい」 これなら、裁判員は「そうか、まだ信用性の検討が残っている」と考えを新たにして、真剣に信用性について考えてくれるでしょう。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |