裁判員裁判11−4 |
「名古屋地裁裁判員裁判傍聴記」2010. 12.13 2010年8月〜10月 宮道佳男 |
4、アナザーストーリー、積極主張の必要性 午前8時公然と人の出入りの多い地下鉄の高岳の駐輪場で、被告人が一物を露出し「やらせよ」と叫んで抱きかかり、その際被害者の手腕肩等に傷害を負わせたが、パンツの中に手が入っていない段階で、直ぐに通行人に制止され、駆けつけた警官に逮捕された2010年の名古屋地裁刑事2部強姦致傷裁判員裁判、被告人は「傷害の責任は認めて被害者に謝罪します。その他は酩酊して記憶がない」と捜査から一貫して主張しています。弁護人は「被告人の言う通り」と答え、強姦致傷を単純否認して傷害を認めたが、アナザーストーリーを主張しなかった。 私が法廷に入ったとき、遮蔽衝立の中で被害者証人の証人尋問の最中でした。被害者は検察官の尋問に答えて「一物は半立ちでした」と証言したが、検察官はその次の質問をしなかったので、私は意外に思い、ここに何かあると感じました。弁護人は当然どの程度の半立ちか、貴女の性体験から没入は可能かと反対尋問するかと予想していましたが、反対尋問しなかったのです。 被告人は初犯者で、求刑6年、判決は5年でした。判決は短い。「弁護人は現場の公然性から強姦はあり得ないと主張するが、被告人がやらせよと言ったから、被告人が強姦以外の意図を有していた可能性は見いだせない。弁護人が指摘する通り、被告人が胸部に触れようとも衣服を脱がそうともしていない。確かに、これらの行為があれば、強姦の意図がより明確に認められようが、しかし、これらの行為がなかったとしても、姦淫行為が未遂である本件に於いては、上記の推認を妨げるものではない」 公判の途中、私は二人の弁護人に話しました。 五指の例えがある。 親指は20代、人差し指は30代、中指は40代、一物の勃起度であります。 「中立ち」との被害者証言があった。その勃起度を確かめ、被害者の性体験を問い、没入可能の可否を問うべきであったのです。拳銃強盗の兇器は何か。拳銃です。強姦の兇器は何か。一物です。貴方の被告人は性犯罪を問われているのです。 上品ぶっては弁護人は勤まりません。下品な尋問をしなければなりません。 勃起、フニャフニャ、没入、性体験、役にたつかよ、エログロ三流風俗誌並みになるのです。 「もっとお上品に尋問しなさい」と私に注意した裁判長が昔いましたが「事実は下品にして尋問が下品にわたるは避け難し」と答えました。 兇器無き犯罪は犯罪ではない。兇器がなければ、役に立たなければ、強姦は成立しない。インポ男は強姦の犯人には成り得ない。成り得るのは、公然猥褻と強制猥褻だけです。若いときは強姦できたのに、老化すれば、公然猥褻、強制猥褻しか出来ないのです。昔、去勢という刑罰がありましたが、廃れました。去勢すると、強姦は出来ませんが、強制猥褻をするのです。 性犯罪は趣味犯です。各人の趣味に応じて、各種類型があります。法はその類型に対応して、強姦、強制猥褻、公然猥褻、そして、18歳未満に対する淫行や痴漢の条例違反、のぞきの軽犯罪法違反まであります。皆、犯罪構成要件と罰則を異にします。 ホモ男が男を襲っても、強姦にはなりません。レズ女が女を襲って、たとえ疑似男根を装着していても、強姦にはなりません。 「やらせよ」これは日常用語です。即、強姦の意思表示とは言えません。足を踏まれて「この野郎、殺すぞ」を口癖にする人がいます。殺意の意思表示なのでしょうか。被告人はキャバレーの従業員でした。店では、毎夜「やらせよ」「高いわよ〜」と嬌声が飛び交っているのです。聞き慣れた台詞なのです。「やらせよ」は何ですか。没入させてくれなのか、触らせてくれなのか、嘗めてくれなのか、嘗めさせてくれなのか、握ってくれなのでしょうか。罪刑法定主義の被告人有利の最低解釈原則によれば、これは「Hなことやらせよ」の意味で、次の行動を待たなければ、犯意を判定できないのです。ただブラブラさせているだけならば、公然猥褻、パンツの中に手を入れても、まだ強姦か強制猥褻か判定不能です。直立した一物が兇器の姿を呈したとき、強姦と判定でき始めるのです。でも、直立した一物をしごきながらパンツの中に手を入れても、「おい嘗めてくれ」と言った瞬間、強姦の嫌疑は強制猥褻に落ちます。没入は趣味じゃないと言う男もいるのです。ソープとは別にヘルスという職域が成立した訳を知っていますか。 閑話休題、クリントンは嘗めて欲しかっただけです。没入させる意思はなかったのです。だから、ヒラリーよ、勘弁してやってくれ。 無理か!? 行為性は結果から判定するのが常識です。 何故、公然猥褻、強制猥褻の主張をしないのか。しないから判決で「やらせよと言ったから、被告人が強姦以外の意図を有していた可能性は見いだせない」と一蹴されてしまったのです。賢い裁判官は弁護人がアナザーストーリーを主張しなかったことを分かっているのです。当事者主義の名の下に、釈明義務を行使しなかったのです。それでも、ちゃんと高裁対策用の判決を書いているのです。 やらせよの言葉だけの証拠で、強姦以外の意図を否定していいでしょうか。 裁判員にこれら主張をぶつけていれば、裁判員は新たなことを発想したでしょう。 裁判官3人とも最高の紳士、とても、色事にも嬌声飛び交うキャバレーにも縁がない。生涯、女に向かってやらせよと言うこともない。貝原益軒のようでしょうか。東京高裁の裁判官で淫行したのがいましたが、例外です。裁判官は真面目なのです。異論が有れば、聞きたいのです。 しかし、裁判員には縁もあって、口癖の人もいた筈です。白昼、女子校の門前、コートを着た裸男がコートを開け「やらせよ」と叫んで女子高生に抱きつき取り押さえられた事件、縁のある裁判員は「たんなる馬鹿で、強姦も出来ん情けない奴だ。懲役5年は酷い」と言うでしょう。昔、司法修習生でこれに似たことをやったが、首だけで済んだ男がいました。 大衆の参加する裁判員裁判として、最初の相応しい世俗的裁判と思っていましたが、残念な結果でした。 弁護人二人はとても紳士でした。下情に通じない弁護人は色物事件を弁護してはいけません。法テラスは、色物専門弁護士名簿を用意すべきです。史上最強かつ品格最低の弁護士です。「で、貴女はその時それが入ると思えましたか」を平気で尋問できる弁護士です。 裁判員の様子が変なのです。肩肘を張っていました。性犯罪撲滅の使命感を担って法廷に登場した感がありました。裁判員裁判スタート以来、性犯罪に対する厳しい判決が続き、これまでの裁判官裁判の量刑基準に見直しが迫られました。人民が決めたことだから、裁判官量刑基準をアップせよとの声が民主主義の名の下に叫ばれそうです。しかし、裁判官基準は一朝一夕で生まれたものではありません。裁判官の判例基準は永年の裁判官の脂汗滴る結果の集積なのです。その場の法廷に始めて来ただけの裁判員の感情裁判に流されるべきではありません。 私は法廷の被告人をじっと見つめていました。 悲しい人でした。情状証人はなし。家族も友人も同僚も見捨てているのです。彼は誰も自分を理解してくれないと思い込んでいます。社会からの疎外感と絶望感に取り付かれているのです。今まで彼を愛してくれた人も、理解してくれた人もいなかったでしょう。勿論、概ね、それは彼自身の責任でしょう。人つきあいが下手で誤解を招くことをつい言ってしまう。そんな性格が災いしたのでしょう。こんなタイプの人は実に多いのです。いじめられっ子はたいていそんなタイプです。 彼は転職を繰り返した後、キャバレーに就職し「さあ、お兄さん、社長さん、寄ってらっしゃい。良い娘いますよ。明朗会計」と客引きをしていたでしょう。お客さんから「あの娘何とかならんか」と問われれば「高いでしょうが、お客様の腕次第」と台詞を答えていたでしょう。 その日、勤務があけ、深夜からカラオケで従業員の慰安会があり、彼は泥酔しました。明け方解散となりましたが、彼は一人で高岳の地下鉄駐輪場にふらふらと歩いていって犯行に及んだのです。カラオケでどんな嫌なことがあったのか、は法廷に出てきません。何かあったのでしょう。叫びたいようなこと、ごみ箱をけっ飛ばしたいようなことがあったのでしょう。通りすがりの女性に垂れた一物を披露して「やらせよ」と言って抱きつきましが、下着に手を掛けることもなく、もみ合いとなって、肩腕に怪我を負わせてしまった。衆人環視の中です。すぐ、現場から離脱して犯行を自ら中止し、疾走せずにトロトロ歩いていたので、駆けつけた警官に逮捕されました。 自爆したのです。強姦をして性欲を満たす目的が有ったのでしょうか。一物は垂れています。彼はこの世に絶望して自己破壊的行動をしたかった、やけ糞の自暴自棄の暴発をしただけで、目の前にいたのが、たまたま、その被害者女性だけであったのではないか。寝ている浮浪者がいれば、けっ飛ばし、アベックがいけば石を投げたのではないでしょうか。 5年の判決後、彼はさっさと控訴権放棄書を提出し、服役しました。この世に用はない、浮き世より刑務所がいいと思ったのでしょう。改悛の意思は顕著なのです。 処女を一晩強姦しても、懲役3年です。 乳にも下着にも手を掛けていないのに、5年とは重すぎます。貞操は汚辱されていないのです。5年とは、深夜忍び込み、連続強姦犯に対する量刑なのです。 刑務所の方がいいと思った彼は今頃その判断の間違いに気付いているでしょう。 刑務所では序列があります。やくざの入れ墨男が最高待遇です。次に重罪犯が胸を張っています。刑期の長さが軍隊の位に匹敵するのです。 「なに、強姦で懲役5年、立派なものじゃないか。有り体に申せ」と雑居房で囲まれます。彼が話すと、大笑い、次いで軽蔑です。「やっとらんのに、5年もくらう筈がない。言えれん別の話があるだろう」と責められます。 やや白く寡黙で俯きかけな彼は標的になります。おかまにさせられてしまいます。それが本性に合えば良いのですが、合わなければ悲劇です。 弁護人は、応報主義以外に教育刑主義を弁論します。3月間傍聴しましたが、どの弁護人も教育刑主義の弁論をしますが、教科書の半ページを読み上げる程度です。裁判員は根っからの応報主義者です。教育刑主義なんて言葉も知りません。 ですから、教科書半ページではなく、20分は弁論して裁判員に思想教育すべきなのです。初犯者を刑務所に送るな、送るとろくな事はない。悪い友達を作り、悪の知恵を蓄え、再犯するだけです。統計が示しています。 務所帰りのレッテルが社会復帰を妨げています。初犯者に対しては執行猶予として社会の中での更生を支援すべきです。犯罪者の社会更生という目的で、保護司が尽力されていることは分かりますが、社会全体の偏見のため、出所者の社会更生は難しいのです。 犯罪者の社会復帰の為に、実刑は出来るだけ回避する、特に初犯者に対しては執行猶予をつけ、訓戒して自主更生を促すべきです。 法恩に感涙せしめる、という言葉があります。昔風の裁判官はこれがお得意でした。判決後訓戒を垂れて、被告人を泣かす、のです。 報復主義だけの裁判員裁判では、特に性犯罪では、重罰です。温情溢れる判決ならば、被告人は感涙に咽びますが、重罰を貰っては、反発するだけです、じゃあ、言われたとおり、5年勤めてくればいいだろう。5年も判決しておいて、訓戒という説教は辞めてくれ、と思います。 被告人は、罪と罰は刑務所で勤めて帳消しだ、と思い込みます。違うのです。反省と贖罪意識の中で更生して貰わなければいけません。送り込まれる刑務所の中では、裁判に対する不平不満が渦巻いています。その中で、被告人が真摯な反省をすることには困難を伴うのです。「裁判官は誰だ。あれか。してやられたね。弁護人と検察官は誰だ。運が悪かったね」と言われ、自分の責任を直視する機会を奪われるのです。その中で、般若心経を読むのは至難の業です。「教誨師向けの良い子をして仮釈放をおねだりしている」とリンチを受けます。 裁判官裁判のときは、裁判官は判決後の訓戒に知恵を絞りました。被告人と傍聴席ともども感涙したこともありました。しかし、裁判員裁判の重罰になってから、感涙する訓戒を聞かないのです。教育刑主義の言葉さえ知らない、報復主義者の裁判員と一緒になって、罪に匹敵する罰を科したから、勤めてこい式では、被告人に更生する真摯な気持ちは生まれません。裁判官と裁判員が被告人の更生に期待することは何か、を訓戒しなければなりませんが、それがないのです。 へい、言われただけ勤めてまいります。控訴権放棄、説教ご無用 あの被告人はそう考えているでしょう。 愛と正義の法、私はいつもこの言葉を思います。 死刑判決のときは、言葉を失います。 検察官の論告も判決も、極悪非道、不倶戴天の敵と罵るのです。 昔、首切り浅右衛門がいました。何代も続く世襲制でしたが、代によって打ち首するときの台詞が違うのです。 ある侍は「この極悪非道め」と叫んで切り落とし、ある侍は「さらばである」と言うのです。 死ねば皆、仏様です。安心立命させて旅立ちをさせることが大切なのです。 |
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