時事評論 5 |
「 ビンラーディン射殺 」2011.05.13 |
2011年5月2日米軍ヘリ部隊はパキスタンのアボタバードにあるビンラーディンの隠れ家を奇襲し、ビンラーディンとその妻と息子を射殺した。作戦名はジェロニモであった。 2001年9月11日テロの復讐なのです。9.11テロが犯罪であることは明白なのですか、ビンラーディンが指導するアルカイーダはアメリカから見ると、外国政府ではなく、外国の交戦団体です。19世紀、アメリカ東部を支配したアメリカ合衆国とインディアンとの関係と似ています。古来、戦争の勝者は敗者の王をどうするかは自由でした。19世紀に国際法が発展し、戦争に対する法的規制が始まり、戦争犯罪に対する法的制裁としての戦争犯罪裁判が生まれました。 第一次大戦後のベルサイユ条約で、戦争犯罪人に対する国際裁判が認められ、ドイツ皇帝が被告人とされましたが、皇帝はオランダへ亡命して裁判は不可能となり、軍人に対する戦犯裁判が始まりました。ドイツ側の抵抗は激しく、国際裁判の筈が、ドイツ国内法裁判と変わり、戦犯被告人の数も、連合国の要求の901人から13人に減らされ、禁固4年が最高刑でしかも自宅軟禁で済ませてしまい、戦犯国際裁判は実現しなかった。 第二次大戦では、英国チャーチルは前例に懲りて、ヒットラーを国際戦犯裁判にかけるより、戦地での射殺を提案したが、英米の法学者は国際裁判を主張し、戦後のニュールンベルグ裁判、東京裁判が準備された。日本の首脳達はこの国際法の進化の知識に疎く、東京裁判が始まったとき、何故自分が被告人として法廷に立っているのか、その訳を理解できなかった。 ニュールンベルグ裁判、東京裁判の結果、戦犯は国際裁判で裁かれるという国際法が定着し、その後、ルワンダ、ユーゴ、カンボジアで国際法廷が開催されてきた。私は2011年2月カンボジアのポルポト法廷を見学し、この法廷資金の最大提供者が日本であることを知った。国際法のこれら進化により、もう、インディアンの酋長ジェロニモとかシッテングブルを捕らえても戦地で射殺できないことになったのです。 オバマ大統領は丸腰のビンラーディンを逮捕して裁判に掛けることをせずに、射殺したのは、奪還闘争を回避するためとかかさばる法廷警護費用の為としたが、国際法に違反している。 9.11テロのとき、ブッシュ大統領は「法の裁きを」と叫んだ。彼は国際法の進化を知っていた。知らないオバマは歴史を100年巻き戻したが、このしっぺ返しを受けるであろう。 |
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