日々雑感その14  
LC 会 長 挨 拶 (1月第2例会)
2017年1月27日

  瀬戸LCの伊藤恭司会長が1月24日逝去されました。
この前、ゾーン会議でお会いしたときはお元気でしたのに、享年82歳でした。
 LION誌の最新版に、いい汗流そう大会の記事が2ページで掲載されました。これは初めてのことで、クラブにとって名誉なことであります。
 新入会員も多いので、今日は自己紹介をします。
昭和24年名古屋の笹島で生まれました。生家は布団屋です。
東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、名古屋の笹島と呼ばれるように、ドヤ街、浮浪者の街です。笹島職安の周りに簡易宿泊所が並び、汚い所でした。夜になると街娼も立ちます。
そんな環境の中で育ってきました。子供の頃から弁護士を志望していました。正義の味方と学んだからです。しかし、今はそうではない弁護士もおります。
人生最初の失敗は大学選択でした。兄2人は明治と早稲田へ入学したので、私もそうしたかったのですが、母は学費が高い、国立の名大へ進めとの命令でしたので、受験しましたが得意科目が合わず、不合格となり、二期校の静大へ入学しました。ここには法学部はなく人文学部でした。一浪して早稲田へ行こうとも考えましたが、1年浪費するのが勿体なくてやめました。私のいとこの夫は高卒で県庁に就職し通信教育で30歳で司法試験に合格し、判事になった人がいました。この例を習い、どこの大学でもよい、司法試験に合格さえすればよいと考え、下宿で勉強し続け、大学卒業の年に合格し、2年間の研修を経て、昭和49年25歳で弁護士になりました。
弁護士には、契約書作成を主とする事務弁護士と裁判の勝ち負けを争う法廷弁護士の二つのタイプがありますが、最初に入所した事務所は後者でした。新入りで50件の裁判を任され、しかも一人でやれとのことで、裁判の勝ち負けに明けくれた5年間でした。勝ったり負けたりの連続でした。
医者も患者千人殺すと名医になれます。それと同じで、勝ったり負けたりしているうちに、勝つコツをつかみました。勝ち負けの予想もできるようになりました。負ける裁判をやっていると法廷に臭いにおいがするのです。5年して独立してからは、勝つ裁判が多くなりました。
ライオンズ入会は32歳の時で、最初10年間は会計も理事もやり普通のライオンでしたが、40代、50代は裁判が増え、夜例会しか出ないという不良ライオンになりましたが、11年前ガン手術をしてから、考えが変わりました。ガンは早期だったので助かりました。ガンの原因はストレスだという説があり、私は信じています。ある大きな裁判で一審で思わぬ敗訴を受け、何ヶ月間控訴を闘っているとき、大いに苦悩しましたが、その時ガンが発生したのです。手術してフラフラになって高裁で闘いましたが、逆転勝訴できガンも再発しませんでした。
この件以来、勝ち負け一本やりの人生を反省し、また高柳Lから早く会長をやれとのお話もあり、6年前から事務所体制を改め、弟子の弁護士を5人採用し、私がLC活動しても事務所が廻るようにしました。その結果、今日、私が会長を務めていても事務所は大丈夫です。
今後ともLC活動を熱心に勤めていきますので、ご協力をお願いいたします。