日々雑感その19  
「遺産整理業」
2018年6月29日

  25歳で弁護士になってから45年、色々な事件や裁判を手がけてきました。特許裁判以外は全部手がけたと記憶します。ですから複雑な事件が来ても、過去の事件処理を思い出すとたいていは事件の成り行きが読めます。若い弁護士はその経験の蓄積がないので苦労します。年寄りも使い道があるものです。
 20代から40代は同年代の友人の離婚事件が多かった。
 40代から60代は親からの相続事件が多かった。
 60代以降は友人ご本人様の相続事件を妻子から頼まれることが多くなった。
 年相応の受任事件の変化でしょう。

 相続の事件が多くなると、遺産の整理が厄介になります。
 妻子がなく遠隔地に老齢の兄弟姉妹がいるだけとか、天涯孤独の身の上の方が死亡され、私が遺言執行人になっていると。まず第一の仕事は遺産目録の作成です。自宅で倒れて病院に運ばれ何ヶ月かして死亡された場合、まず私は自宅を訪問しますが、故人の最後の生活の有様を目のあたりにします。敷き放しの布団、洗う前の食器の山積み、やりかけの洗濯物、すべては最後の日々の生活実態を教えてくれます。清掃業者に頼んでゴミ仕分けに掛かります。通帳、証券、貴金属類、現金の捜索をします。布団の下から何十万のお札が出てきたことも、菓子のブリキ缶に500円玉が山ほど入っており持ち上げるのに難儀したこともあります。
 このような貴重品は遺産目録に記載する必要がありますから丁寧に調査し、いちいち記載していきます。
 絵画・骨董品・置物は外装から見て高価品と見えない限りゴミ扱いにします。狩野探幽の掛け軸が出てきたこともありましたが、これは保留にして画商に鑑定を依頼しましたが、結果は偽物でした。これらは相続人に希望があるときは、形見分けとして配分しますが、希望が多いときは抽選にします。しかし、殆どはゴミ扱いです。税務署が独自の鑑定をする場合がありますから、税務署の事前の指導を得てから処分すべきです。
 遺産目録を作成し終わると、遺言書に指定されている受取人に遺産を渡します。遠隔地のご老人の場合には葬式への参列も出来ませんし、遺産の受け取りも困難ですので、諸経費を引いて現金振り込みをします。
 自宅が広いとゴミ出しが大変で、費用も掛かります。
 老人ホームの個室に入居されていた場合でも、L型ゴミ袋に20袋にもなりました。狭い部屋なのにどこからこんなに出てくるものか驚きました。衣類とか家庭用品が主でしたが、10年も住んでおれば溜まるものです。処分費用が7万円掛かりました。
 厄介なのは、賞状とかアルバムとか記念品、日記帳です。遺言書指定の受取人に連絡しますと、たいていはゴミにしてくれとのお話で、水臭い限りです。
 老人ホーム入所者の遺言書には、遺産の全部又は一部を老人ホームに寄付すると書かれる場合もありました。お世話になったお礼と言うことで奇特な話です。この老人ホームではその遺産で茶室を建築し、故人の名前を冠しました。
 かくして、弁護士の私がゴミの山を相手に格闘している訳ですが、自分の場合はどうなるのかと心配になりました。私は中学生から鉱物採集の趣味があり、これまで収集した鉱物標本は約1トンあります。只で拾った標本以外に購入した標本も何百万円とあり貴重なものですが、遺族にその価値が分かる者はおらず捨てられるでしょう。
 そこで生きている内に鉱物を理解できる人におわけすることが良いと考え、ヤフオクに出品することとし、6/11より開始しました。見て下されば、私の趣味の正体が分かります。酒とゴルフと麻雀だけが好きな不良弁護士ではありません。
 人は死ななければならない。悲しいことです。すべてを置いて逝くのです。しかしおいていく遺産の処分は指定できます。遺言書に書くことです。
 遺言書には法定要件という制約があり、弁護士などの指導を受けるべきです。素人考えの遺言書が無効とされた例があります。多いのはワープロで書かれた遺言書、日付のない遺言書等です。録音録画の遺言は無効です。
 遺言書で誤解が多いのは、密封して相続人に秘密にしなければならないと思い込んでいることです。そこで密封してタンスの奥にしまうことが多いのですが、死後その遺言書は発見されることなくゴミの山に消えていく運命となります。遺言者の遺志は消えてしまいます。
 遺言書は密封せずに額に入れて床の間に掲げても有効です。遺言書は親の子に対する通信簿であっても良いのです。
「長男は親不孝したから、相続分は少なく、次男は親孝行したから相続分は多く」と書いていいのです。 更に「この遺言書は毎年書き換えるから子供達は良く心得よ」は書いていいのです。
 遺言書を弁護士事務所に託するという方法もあり、私の事務所でも多数預かっています。委託者が死亡しているのかを確かめるために年賀状を出しております。信託銀行の遺言信託という方法もありますが、私が驚くくらい相当に高額です。昔は私自身が遺言執行人になりましたが、老齢となり、私と遺言者のどちらが早いか分かりませんから、最近から5人の若い弟子を遺言執行人にしています。

 相続では、生前贈与がいつももめます。「長男は新家建築資金を出して貰ったが、次男には何もない」という次男の不満です。 ですから、遺言書には「長男には新家建築資金何円贈与済みであるから、今回の相続では相続分何円とする。一方次男には生前贈与ゼロであったから今回の相続ではこうする」と差別の理由を書いておくことです。戦後の相続では兄弟平等です。これまでのいきさつがあって差別するときはその理由を書いておく配慮が肝心です。
 通夜・葬式にはよく行きますが、此の段階で相続をどうするとか、遺言書があるのか、という話は出ません。せいぜい廊下の片隅で囁かれる程度です。しかし、火葬場から帰って初七日の頃から、いよいよこの話が始まり、初七日が揉めたということはあります。私が遺言執行人になっているときは、49日まで放置しておき、この間に相続人のだいたいの意向を聞いておきます。49日の法要の後、私は相続人・親族を集めて、遺言書を読み上げます。表彰状のように厳かに読み上げ、読み上げたら遺言書を高く差し上げて披露します。皆さん威儀を正して恐縮神妙に拝謁される訳ですが、相続分の多寡に応じて各人心境は様々であります。この日揉めることはありませんが、数日後から揉め始めます。相続分の少ない人は、不足を訴え、遺留分の知識を仕入れてきます。そして私に、何とかならんか、と頼みに来ます。遺言執行人は故人の代理人であり、相続人の一人の代理人ではありません。勝手に遺言書を書き換えることは出来ません。ただ、相続分の多い人が少ない人に任意で譲歩されることを阻止する役目はありませんから、そのような調整作業はします。これが成功すれば新たに遺産分割協議書を作成することがあります。
 この話し合いが決裂すれば、相続人同士で遺留分遺産分割調停をして貰い、遺言執行人の私の役目は終わります。相続人の誰かが遺産分割調停の代理人に依頼してきても断ります。遺言執行人は故人の代理人であり、かつ全相続人の利益保護者であり、相続人の一人の代理人にはなれないのです。弁護士の中でもこれが分かっておらず、一人の相続人の代理人になり懲戒される例がよくあります。
最近の相続で問題となるのは、不要の不動産の始末です。田舎の本宅、別荘地です。原野商法のような別荘地は売れません。管理費ばかり溜まっています。自治体では過疎対策で田舎の本宅を買い取り、Uターン帰郷者や田舎暮らし愛好者などに格安で売却しているところが出てきました。しかし殆どの自治体は実施しておらず、結局草むすままに放置され山林田畑も田舎の墳墓も放置され50年もたつと、誰の廃屋だったのかと言われるようになります。
 ですから、人間70歳を過ぎたら、自身で遺産整理を始めるべきです。私は30歳代で昭和の頃に不動産を資産対策で買いましたが、子供達も別に家を建てましたので、使い道もなく2年前売却しました。売却益はなしでした。なしならいい方で、バブルの平成初期に購入した方は大損を出します。 大損を出しても良いから遺産目録をきれいに整理しておくべきです。別荘とクルーザーと妾は死ぬときお荷物となります。

 おいてきた子、縁乏しき故に別れた子、当時の生活難の中で捨てた子、どうしますか。離婚には夫婦双方それなりの言い分があります。男は育児に役に立ちませんから、たいていは母親が親権者となり、養育費を元夫から送金を受けて育てていきます。元夫は再婚して新しい家庭を築き新生活を過ごし離婚の時代を振り返ることはなくなります。
 夫は子供対する愛情を強調し、親権者指定を要求することがままありますすが、これは離婚騒動の時の意地のなれの果てに過ぎず、男には育児の才能はありません。家裁もこれをよく承知しているので、夫に親権者指定をすることはありません。例外は妻が夫と子を捨てた場合、妻が病気その他やむを得ない理由で養育出来ない場合に限られます。自由奔放な女がいます。昔旅役者に惚れて夫と子供を捨てて出奔した女がいましたね。 たいていの場合、親権者は妻と決まり、次に養育費の話に移ります。夫は離婚の責任は妻にあると主張しますから、離婚の慰謝料の金額については大きな争いが発生します。この時、私が夫側についておれば慰謝料の減額、或いは反対に妻から取るという作戦を展開し夫から喜ばれるでしょう。
 続いて、親権者指定の件が争点となれば、私は「男が子供を養育出来る筈がない。子供との接点は面会交通にとどめて妻を親権者として妻に養育費を支払うべきである」と指導します。
 最近は、若い夫の中に、子供への愛着を強調し「自分が育てる。朝保育園へ送ってが出社し退社後引き取り夕飯を食べさせ風呂に入らせ寝付かせる」と胸を張る男が増えてきました。出来ません。祖父母と同居して援助が可能ならばともかく、単身ならば絶対無理です。すぐに後妻が来る当てがあれば良いのですが、継母ほど難しいものはありません。結局私の説得に負けて夫は親権者を放棄しますが、次は子供との面会交通権を主張し始めます。「月1回では足らない週1回にしてくれ。泊まり込みも月1回は認めてくれ 」と主張します。家裁実務では月1回2時間の例が多いのです。
 こんないきさつの中で、家裁調停で月1回か2回の面会交通が決められていきます。しかし、最初に違反するのはたいてい父親の方からである。
 「仕事が急に入った」という理由である。
 面会に億劫がるのは父親がはじめではない。子供も小学生高学年になるとこう言う。
「お父さん、私、塾とお稽古事で忙しいの。ええ加減に子離れしてね」
 離婚していない普通の家庭でも、親子が会話する機会は少ない。風呂めし寝ると勉強はどうしてる通信簿見せよ程度の親子の会話しかないのが実際である。
 月に1回家裁調停が面会命令した日に、こと改まって会話する父子の言葉は乏しいのである。離婚の時、子供との面会交通を声高に主張した夫から面会に消極的となり、子供もやがてそれを察するに至る。
 夫は離婚の時から子供との離別が始まったことを知るべきである。そして残された役割は足長おじさんになることである。
 子供の養育費については、夫はけちになり、1円でも減額させようとする。子供の食費として子供の口に入ることが想像できない。元妻への憎しみが先にたちけちになるのである。
 最近は妻から養育費を教育の程度に応じて増額するように求める例が多い。20歳までを大学卒業時までに延長せよとか、大学学費を負担せよとか要求するのである。
 たいてい、男は渋る。妻への敵対嫌悪感情からである。
 私はある依頼者に言ったことがある。
 「子供がやってきて、お父さん、慶応大学医学部に合格しました。ついでにハーバード大学留学試験にも合格しました。学費を出して下さいと言ったとしよう。君、どう返事するかね」
 今、後妻と住んでいる自宅のローンと同額の借金をしなければならないことになる。しかし、学資の支援をすれば、病気になっても慶応病院特別室に入れるであろう。
 返事が出来ない依頼者に、私は更にこう言った。
「昔話になるが、離婚してから男の子は父親に会うことがなかった。しかし中学生になってどうしても父親がどんな人で何処でどんな暮らしをしているのか知りたくなり、訪ね歩いてついに父親の家を見つけて、こんばんわと訪問した。時は夕食時で、家には後妻と子供達が食卓を囲んでいた。男の子の名乗り上げを聞いて、察した父親は話す言葉に窮した。そこで、何しに来た。金が欲しいのか、と言ってしまった。それを聞いた男の子は玄関から飛び出し、泣きながら家に帰り、二度と訪問することはなかった。
 更に何十年かして、後妻と子供達が男の子の家を訪問し、父親が死亡したこと、遺産は自宅だけであること、この自宅を後妻が相続したいから、判子が欲しいと頼んだ。男の子は昔話を語り峻拒した。結局、後妻は家裁相続調停を申し立て、世間並みの相続分を男の子に払うことになった」
 離婚した男は養育費をけちるべからず。
 慶応大学医学部で思い出したが、ここは人工受精を行う数少ない大学である。過去何十年と医学生が報酬と引き替えに精液を売り渡し不妊で悩む女性に提供していた。勿論夫も承知の上のことであり、産まれた子供は戸籍の夫婦の嫡出子として届け出されていた。最近その子供の一人が実際の父親を知りたいと言い出し大学に記録の提供を迫ったが、大学は記録の不存在と提供者のプライバシィーを理由に拒否した。彼は医師であり、人工授精の医学的社会的意義を知る男であるが、どうしても自分のアイデンティを知りたいと執着するタイプの男であった。私はこの感情の存在を笑うことも無視することもしない。当たり前の発想であろう。自分の本当の父母は誰であろうかと問うことは当たり前のことである。それを追求する余り、父母の不倫の歴史に接近することにもなりかねないが、歴史上の偉人はそれを乗り越えてきた。あの天皇の父親は実は誰だという話は多い。私は自分のルーツ、アイデンティに拘る人を非難する気にはなれない。それは彼の自由である。
 結論、汝、戯れに恋はすまじ、男は精液を放散すべからく、女は股を広げるべからず。産まれてくる子がやがて自己のアイデンティを論ずるべき日が来たることを予期しておくべし。