表現・学問の自由 (第21・23条) |
( 現行条文 ) 第21条 @集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、 これを保障する。 A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを 侵してはならない。 第23条 学問の自由は、これを保障する。 ( 改正案 ) 現行条文は、平板すぎる。第12条公共の福祉による濫用禁止規定が、第21条にも適用されるため、言論の自由は、公共の福祉の制限つきと限定的に解釈される危険がある。 戦前、明治憲法が言論の自由を保障したにもかかわらず、軍部と右翼のテロリズムにより、言論の自由は弾圧され、国民が戦争反対の言論の自由を行使すれば、治安維持法違反で逮捕された。治安維持法は共産主義宣伝禁止が立法目的であったが、反戦平和の思想も、国体護持違反に拡張解釈されたのである。明治憲法は、議会内の代議士にも、言論の自由を保障していたが、右翼テロリズムにより、代議士は暗殺の危険に脅かされ、何も言えなくなってしまった。この過去の歴史に対する反省が、日本国憲法にはない。平板に、言論の自由を唱えるだけではなく、もっと過去の歴史的事実を見据えて、言論の自由の弾圧が再発しないように、条文を練り上げるべきである。 私は、言論の自由は、憲法人権規定の中でも、最高永久不可侵規定であり、たやすく公共の福祉による制限下におくべきでないことを強調したい。その意味で、現行第21条の書き方は不足である。 その他一切の表現の自由は、民主主義を基礎つける基本的人権であり、独裁国家、共産国家との最大の違いである。言論の自由とは、自分の言論の自由が国家から侵害されることに対して擁護することだけではなく、自分を批判する相手の言論の自由を擁護することである。国家からの自由だけの意味ならば、後者は含まれないことになるが、私は、言論の自由は、国民相互間へも直接適用されると考えているから、後者も当然に含まれる。 この直接適用説を憲法に明示するためには、以下の条文が追加されるべきである。 |
( 追加されるべき条文 ) @集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、民主主義の根幹であり、永久かつ最高の人権であり、あらゆる場面において、すなわち、私生活の面においても、公共の場においても、兵舎・戦場においても、神聖不可侵である。 A何人も自分を批判する他人の言論の自由を擁護しなければならない。言論の自由を侵害するテロリストは厳重に処罰されなければならない」 と憲法に規定する。 |
1、太平洋戦争時代、私が生きていたら、どうしたであろうかと、考えます。鹿児島の知覧特攻隊基地を見学したことがあります。呉の戦艦大和ミュージアムも見学しました。出陣の前の遺書が沢山展示されていますが、若い人が皇国の防衛のために命を賭けて特攻していく姿は哀れで涙が止むことがありません。アメリカと戦う以外選択肢がなかった、という情勢の中で、特攻を決意するのです。そして、これらの遺品の展示をみながら、考えると、言論の自由がないことに気が付きます。 遺言書の内容は、父母に対して先立つ不幸を詫び、鬼畜米英と差し違え、護国の鬼にならん、とするものが多く、太平洋戦争に対する批判的内容のものがひとつもないのである。特攻隊は、大学生が多く、インテリである。 「私は特攻に行くが、東条英機首相の三国同盟は間違いであり、ドイツは大正先帝の敵、イギリスは明治天皇の同盟国、アメリカは明治天皇の仲介者ではなかったか。昭和の御世になって、突然ドイツと同盟し、英米を敵とすることは、明治大正以来の国策に反する。東条は国賊である。日露戦争は小村寿太郎の活躍で和睦に持ちこむことができたが、今このような男が待望される。故郷の両親、友人に、自分のこの戦争思想を覚えておいてもらいたい」と書いた遺言書はひとつもない。 書けば、上官の検閲で引っかかり、全文書き直しを命じられる。どうせ特攻で死ぬのですから、思いの丈書かせてください、と頼んでも、多分鉄拳制裁か、特攻機繰上げ出撃となる。 今の人は、信じられないだろうが、兵営と戦場では、東条が悪いとかの政治の話は禁止であり、厭戦とか反戦を口走ると、憲兵が捕まえに来て、営倉に叩き込むのである。 戦前のあの時代、何が悪かったかと言っても、全部悪かったと言えるが、言論の自由が弾圧されていたことが最悪である。言論の自由さえ擁護できていたら、あれほど悲惨な最期にはならなかった。昭和18年19年と東京の大学生の中で、小村寿太郎研究会を組織することは、特高による拷問・虐殺を意味していた。横浜事件が例となる。言論の自由がなく、特高か特攻かの選択しかないとき、皆特攻を選択し、黙って、言論の自由を行使し得ず、桜花のごとく散ったのである。 |
アメリカと戦う以外選択肢がなかった、ということは、明治憲法に違反します。明治憲法では、宣戦布告と講和の戦争大権は天皇の専権でありますが、天皇権限を制約しうるものとして帝国議会が設置され、国民と代議士の言論の自由が保障されていました。 治安維持法という法律があり、私有財産制度を否認する言論を抑圧しうる悪法がありましたが、これとて私有財産制度否認=共産主義を取り締まるものに過ぎず、国家の外交方針として、ドイツ・イタリアと枢軸同盟を締結するか、英米と協商すべきか、国民と代議士は自由に言論ができたのです。太平洋戦争の原因は、支那事変から始まり、三国同盟締結で決定となりますが、この間、国民も代議士も反対の言論を殆どしていない。むしろ反対に新聞の論調は、国策に協力的であり、国民も南京陥落提灯行列をしたように好戦的であった。しかし、中国と戦争し、ドイツ・イタリアと三国同盟を締結することの危険性について反対の議論は少数ながら存在していたのであるが、5.15 2.26事件の右翼テロリズムの恐怖下で、萎縮していくのである。日本共産党は既に早くも昭和3年3.15一斉検挙で壊滅しており、その他平和・民主主義者は治安維持法の暴圧下で萎縮し続け、終戦にいたるまで、言論の自由を行使し得ない状態が続いたのである。 しかし、それにしても、明治憲法で許された言論の自由を行使する気概の人がいないことに驚かされる。百万人とても我行かん、と言う志士がいなくなったのである。 坂本竜馬がいたらどうしたであろうか。彼は1867年殺害されたのであが、彼は土佐藩を脱藩し、徳川幕府を崩壊させた男である。江戸封建時代にあって、藩を抜けること、幕府を倒すことが、どんなに恐ろしいことか、武士としての自分の存立の根底を覆すことを承知で行ったのである。徳川封建制度から言えば、坂本竜馬は、非国民ならず非武士のアカと呼ばれてもよかった。昭和では、アカは共産主義の革命派のことであったが、徳川時代末期に幕府打倒を叫ぶことは、極左のアカの過激派とみなされても良かった。 昭和の国民は非国民と呼ばれないようにと、萎縮し、召集令状が届けば、気負ったふりして出征し、護国の鬼になって白の木箱に入って帰国した。しかし坂本竜馬ならば、非国民と呼ばれても、三国同盟の正否を正しく論じたであろうと思う。 昭和初期から20年まで、本当に考え、生きた人はいなかった。本当に人材に乏しい20年間であったと思う。東条英機程度の凡才が日本を支配し、誰も抵抗し得なかったのは、日本史最大の悲劇である。これが復活しないようにするには、どうしたらよいのか。あらゆる学問の分野で検討されるべきであるが、私は憲法学の分野で検討をしたい。二度と昭和前期の恐怖の時代が復活しないためには、憲法に何を規定すべきか。大事な論点である。 そして、明治憲法さえ擁護できなかった国民が、日本国憲法を擁護できるか、検討されるべきです。 教育学の分野では、何故一億特攻ができたのか、洗脳と教育について研究されるべきである。 敗戦後、一番腹が立ち、驚かされる説に、一億総懺悔、がある。 一億国民が戦争協力して反対者はいなかったから、一億総懺悔すべきだ、という意味は分かる。しかし、指導者と一般国民とは責任が違うし、仏教的に総懺悔すれば、何も残らないのである。総懺悔してすべてを洗い流すのではなく、何を教訓として残すか、憲法学からは、何を憲法に規定するか、を論じられなければならないが、一億総懺悔論には、それがない。 |
2、 戦争の反省として、日本国憲法には何と書いてあるか。 憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。 政府の行為により戦争をした、これだけの表現で足りるか。 明治憲法は、国民の言論の自由及び議会主義を保障し、よって政府の権力濫用を防止するシステムを構築していた。伊藤博文は、確かに、そう考えて、明治憲法を立案したのである。 大正の頃までは、このシステムが機能しており、大正デモクラシーと言われる一時期があったのであるる。しかし昭和になると、軍部ファシズムが、5.15事件、2・26事件を通じて、テロリズムを振るい、民間人の言論の自由はおろか、代議士の議院内の言論の自由さえ失われ、代議士は暗殺の危険を恐れて軍部批判の演説を回避したのである。 問題は、このような社会情勢の中、国民が言論の自由抑圧に対して反対する動きを一切みせず、共産党への弾圧を当然のことと見なし、南京陥落には提灯行列で祝い、満蒙を支配して豊かな新時代が到来すると酔ったのである。 政府の行為により、戦争したのではない。国民自身が望んだ結果なのである。昭和初期、世界的不況の影響下にあり、逼塞した状況から脱出できることを国民が期待し、満蒙に夢を託したのである。日清日露の戦争賠償での一儲けの記憶が国民を麻痺させ、平和よりも戦争を熱望したのである。 それは、ヒットラーの手口と一致する。ヒットラーは議会主義に従って第一党となり、直ちに議会主義を破壊した。第一次大戦で失ったドイツ領土の回復という愛国主義で国民を惹きつけ、国民は歓呼をもってヒットラーを支持した。 |
民主主義的憲法は国民を頼りとする。その国民に裏切られたら、憲法は崩壊する。明治憲法は政府と国民によって破壊されたのである。憲法改正に当たり、記憶すべきである。 アメリカ憲法では、抵抗権の思想がある。 アメリカ憲法修正第2条 「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を所有し又は携帯する権利は、これを侵してはならない」 これがピストル携帯を巡って憲法上の論争を引き起こしている原因の条文である。 日本国憲法に於いては、歴史が違う、武器所有を担保権とする抵抗権思想を直接輸入するわけにはいかないが、政府がどうなろうとも、国民一人はわが身を守る自由がある、百万人がどうであろうとも、われ一人一丁の銃を抱いてわが道を守る、という思想は、魅力的である。 召集令状一枚で戦地へ死にに行かねばならぬ→政府による国民個人への死の強制処分から脱出できる最後の権利を憲法に保障すべきである。 日本国憲法では、第21条に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定している。しかも第12条により、人権は公共の福祉の制限付と規定されている。表現の自由は認めるが、公共の福祉の範囲内である。自衛隊の兵舎の中で兵士が政治議論をすることを禁止しても良い、という戦前同様の議論が生まれるし、実際、昭和44年の反戦自衛官事件、小西誠三等空曹が兵舎内でベトナム反戦ビラを貼り、自衛隊法違反で逮捕された事件があった。昭和20年3月鹿児島知覧基地の食堂で、私が生きていて、「日露戦争も和睦で終わった。小村寿太郎のような人材が必要である。内閣へ和睦解決の請願書を提出しよう」と演説したら、重営倉入りか、明日朝一番で特攻出撃を命ずる、となることが確実であるが、昭和44年になっても、小西空曹は同じ身の上になっているのである。日本国憲法は本当に過去を反省しているのであろうか。 言論の自由の第21条を、第12条と平板に羅列するだけであるから、言論の自由も公共の福祉の制約下にあると解釈されるのである。 言論の自由は、憲法の人権の中でも、最高不可侵であることを強調しておくべきである 以上の理由で、前記の憲法改正案を提案する。 |
3、昭和初期の言論弾圧、官民ともに総力を挙げて、共産主義者にはアカと、自由主義者には鬼畜米英と、弾圧した。戦争に反対でも、兵舎や戦場でそう言えば鉄拳制裁と重営倉入りが待っていた。 言論の自由が不可侵の最高人権であることを憲法で宣言しておくべきである。 更に、テロリストに対する処罰を厳重にすることを規定すべきである。 戦前右翼テロリストに対する処罰は、軽いものが多く、抑止の機能を欠いていた。関東大震災時に無産主義者大杉栄・伊藤野枝と七歳の甥を殺害した甘粕正彦憲兵大尉は軍法会議で懲役10年になったものの、3年で仮釈放となり、洋行遊学のあと、満州映画界の帝王として君臨するようになる。彼を見習い、右翼テロで一旗挙げる風潮が生まれていたのである。 明治憲法でも日本国憲法でも、よく読むと、分かりますが、刑事被告人の権利とか無罪にする手続きについての規定はありますが、何を犯罪とするかの規定に欠けています。それは刑法に譲ったと理解できますが、単に殺人・窃盗の犯罪ならば刑法で初めて規定すればよいのですが、憲法破壊の犯罪については、刑法ではなく、憲法に明記すべきであります。よって憲法を破壊する行為を犯罪と見做し、特に犯罪の中でも最高悪質な憲法犯罪と評価して、厳罰とする、規定が必要である。 歴史的に多かった、右翼左翼のテロリズム、そして、オウム真理教のような新興宗教のテロリズム、世界的に蔓延しているイスラム原理主義のテロリズム、皆憲法の真髄たる言論の自由と議会主義を破壊する憲法違反の犯罪なのである。この犯罪を撲滅しない限り、憲法は永続化できないし、弱い憲法は死に至るしかない。 憲法に、テロリズムとの戦いを宣言すべきである。 |
検閲の禁止は、当然のことである。マッカーサー占領軍司令官が占領中、特高警察以上の検閲を実施したことを忘れてはならない。 検閲とは、事前発行停止のことである。名誉毀損に該当する場合、出版禁止の仮処分が裁判制度上認められているが、この場合は、憲法の例外として認められているのである。民事裁判所は憲法の例外として認められていることを重大に受け止め、出版禁止以外に名誉毀損防止の代替手段がないことを要件にして限定的に運用すべきである。 |
通信の秘密とは、国家が国民相互間の、郵便、電信、電話、インターネットによる通信を傍受しないことを言う。民主主義社会の当然の原則であり、国民個人のプライバシィーの権利擁護とも一致する思想である。現行条文とおりに維持すべきかと考えたが、近時、この条文の存在が故に、犯罪捜査の障害となり、結局、平和で安全な社会が阻害されている現実がある。 プリペイド式携帯電話、名義を秘匿する電話番号、匿名電話による、嫌がらせ、詐欺、恐喝事件の続出が日常であり、電話に出ることが怖い、電話を交換したばかり、という悩み相談が続出している。 ベル先生も、犯罪の、共謀、指示、実行を目的として電話を発明したつもりはなかったはずである。よって、犯罪の、共謀、指示、実行を目的とする通信利用を禁止したい。 |
( 追加改正条文 ) A検閲は、これをしてはならない。 B通信の秘密は、これを侵してはならない。何人も、犯罪の共謀、指示、実行を目的として通信手段を使 用してはならない。 C何人も匿名の通信を受け取ることを拒絶する自由がある。 |
電話で犯罪を共謀したり、指示したりすれば、犯罪の共謀、指示となり、電話で恐喝すれば、電話による犯罪の実行となる。従って、通信記録は犯罪の証拠であるから、令状主義を適用し、裁判所の許可決定により、通信記録の傍受、差し押さえを可能とする。 犯罪者どもが、憲法の通信の秘密を盾に、自分の犯罪の共謀、指示、実行を目的とする電話の会話が警察により傍受されていない、と安心させるべきではない。犯罪者は、電話を使わずに、どこかの原ッ場で犯罪の共謀をしておればよいのである。これを明示するために、憲法に規定しておくべきである。 以上のとおり、犯罪捜査の観点から、傍受を肯定する。勿論、令状主義により、裁判所がその必要性を審査することを前提とする。必要がなければ、裁判所は傍受申請を却下することとなる。 |
匿名、無言、いたずらの電話、手紙で迷惑した人は多いが、そもそも、「まず名を名乗れ」というのが、社会の礼儀である。匿名の通信(電話、郵便、その他)は法的保護が与えられないと、憲法に明記しておくべきである。結果、差出人匿名の郵便は、受取人の同意の下に、未開封のまま焼却処分することにしたり、匿名の電話はもそもそも受信しないシステムの電話を開発することを可能とする。 現在、発信者匿名の電話184は廃止とする。発信者番号表示システムを全面採用とし、憲法に明記する。通信の秘密の濫用による国民のプライバシィ保護が侵害されているので、これを調整するために、犯罪防止の観点から二つの自由を調整したいのである。 |
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