宮道佳男先生(26期 宮道佳男法律事務所)
 司法反動は許せないと青法協に!尋問も週2回こなした元青法協名古屋(現あいち)支部長。         
聞き手  北村  栄(名古屋第一法律事務所)
小林哲也(名古屋E&J法律事務所)

1 生い立ちから弁護士になるまで


北村 まず、遡って生い立ちからお聞きします。先生のお生まれはどちらですか。

宮道: 名古屋市中村区。

北村: 学校は小中高と中村区ですか。

宮道: 小学校は中村区の六反小学校へ行って、東海中学高校に行って、大学は静岡大学人文学部に行った。

北村: そもそも弁護士になろうと思ったのは、高校のときですか。

宮道: 高校生の頃、岩波新書で小繋(こつなぎ)事件という本があって読んだんだ。書いたのは、東大の有名な社会法学者の戒能通孝だったかな。東北地方の入会権争議に戦前の自由法曹団の弁護士が関与して、入会権争議を一緒に頑張ったという本だった。それを高校生の頃読んだんだ。それで、弁護士という職業もおもしろいねと思って、そこから弁護士志望だったんだ。

北村: 入会権争議の本を読むなんて普通高校生はしませんよ。きっかけはどういうことですか。

宮道: 昔は歴史とか社会学とかの方の関心が強かった。戦前の自由法曹団系の弁護士の小作争議だとか労働争議でいろいろ戦ったといった本を随分読んだ。

北村: 先生は合格するのが結構早かったじゃないですか。

宮道: 僕は卒一で受かってる。周りが全然受かってなくて、誰も教えてくれない。だから、受験新報という本の、そこに書いてある合格体験記ばかりを読んで受かったんだ。

北村: あのとき受験雑誌といったら唯一あれくらいでしたよね。

宮道: 受験新報は愛読書だったよ。向江璋悦という検事上がりの弁護士がいて、真法会の会長さんだな。あれが弟子を育てるのが上手なんだ。

北村: 修習はどちらでしたか。

宮道: 修習は静岡。引き続いて静岡で修習をやって、俺がまた答案練習会をやって後輩をずっと教えていった。

北村: 弁護士の登録はどこですか。

宮道: 昭和49年。1974年だね。名古屋で登録した。大矢和徳先生がいる東海法律事務所ね。