裁判員裁判12−1
「自白調書の読み方」2011. 1.19
                 2011年1月〜  宮道佳男
第1、ウソ自白は何故生まれるか
 検討の方向性は、供述心理学と物証・取調環境・法律論に分かれる。
 供述心理学は、心理学者の浜田壽美男先生が専門である。私は法律家であるから、法律論・物証・取調環境・自白の矛盾・補強証拠論の方向から検討する。取調環境とは、取調官と容疑者との対立する力学のことです。

1、世間の人にとって、認めれば死刑になる事件で、あえてウソ自白をする筈がない、との考えが広くあります。訓練を受けた裁判官でさえ、これを公言します。
 しかし、人は簡単にウソを言う。
 拷問があれば、ウソ自白の存在は誰にも分かって貰えます。しかし、拷問は昔ほどありません。戦前、共産党の作家、小林多喜二は築地署に連行された当日拷問で殺されました。死体は赤黒く腫れあがり各所に骨折がありました。死体はその夜家族に返され、葬式は警察官の包囲の中、執行されました。
 戦後混乱期に拷問が復活しました。幸浦事件、二俣事件、仁保事件などで、死刑判決が最高裁で破棄され、拷問が指摘されました。
 それから基本的には、拷問はないということになりました。十何年前、東京地検特捜部で拷問をしたことがばれて、検察官が首になりましたけど。
 今、論じているのは、強制、誘導、誤導、偽計、利益供与を手段とする、違法な取調です。

2、ウソ自白の存在をはっきり簡単に理解できる例があります。
 身替わり出頭自白です。
 組の抗争事件があり、ヤクザの親分が子分に、拳銃を渡して「これを持って自首して、10年勤めてきてくれ。その間、家族の面倒は見るし、帰ってくれば若頭にしてやる」と言います。
 自首した子分は拳銃を差し出し、教えられたとおり、スラスラと犯行を自白し、「渡世の義理で殺めましたが、反省しています」と落涙します。このウソを見破ることは難しい。しかし、このウソを見破り、追い返すことが大事なのです。真犯人が高笑いしているからです。
 交通事故で、運転席にいた兄が助手席の弟に言います。
「俺は免停中だから、お前が運転していたことにしてくれ」
 事件が報道されたとき、警察の玄関に変な人が自首しにやってきます。タダ飯狙いなのです。中には常習犯もいます。警察の受付はこうした人を追い返すのが仕事です。決まり文句があります。
「お前に食わす飯はない。額に汗して自分で食え」
 府中の三億円強奪事件では、警察は誤認逮捕してしまいました。逮捕報道を見た人が「その日容疑者は当社の就職面接に来ていた」と届けてくれたので、冤罪を防止できました。その他に、自首してくる人がいました。英雄になりたい人、頭のおかしな人、タダ飯を食べたい人なのです。
 こうした例ならば、ウソ自白の存在について、理解できるでしょう。

 簡単な実験が出来ます。
 中学校の教室、のろい、汚い、馬鹿と呼ばれている、いじめられっ子を標的にします。悪童が語らい、その子に「泥棒した」と因縁を付けます。その子が否認すると、予めその子の鞄に入れておいた盗品を取り出し、取り囲んではやし立てます。訳を知らない子供達も加わり、小突きます。
 最後に言います。「土下座して謝れば、先生と親には内緒にしておいてやる」
 その子は土下座するでしょう。唇を切れよとばかりに噛みしめながら。
 警察学校で、この実験をやれば、良い教育になるでしょう。
 この世には、精薄とまでは言えませんが、世に絶望した、すねた、逆らわない、いつも下を向いている、子、人がいます。
 この子、この人に嫌疑を掛けるときは、最大の要注意です。
「すみません」と認めてしまうのです。謝るしか生きていく道を持っていないのです。
「黙秘権がある。否認するのも自由だ」とだけ告げて、取調をすれば、必ず謝ります。
「本当のこと、言っていいんだよ。悪くすることなんか絶対にしないから」と何度も諭さなければいけないのです。