裁判員裁判12−10
「自白調書の読み方」2011. 3. 22
                 2011年1月〜  宮道佳男

2、第2段階 被告人と取調官の相互作業としての自白


@自白調書の書き方の特徴
 ハイから始まる自白は一問一答式です。容疑者がスラスラ語るのではない。無実の容疑者は現場も犯行も知りません。語れる筈がない。 

 取調は一問一答式ですが、出来上がる自白調書は物語式です。
 例えば、強姦事件ではこうです。
 問「駅から付けたのか」
 答「はい」
 問「何処まで付けたのか」
 答「草むらのとこ」
 問「何と声を掛けたのか」
 答「おい」
 問「他には」
 答「静かにしろ、だったか、おとなしくしろだったか」
 問「殴ったのか、抱きついたのか」
 答「抱きついただけ」
 問「嘘こけ、被害者の顔には殴られた跡がある」
 答「じゃ、抱きついたとき、手が当たったのかなあ」
 このような問答をしたあと、取調官は容疑者を待たせて2・3時間待たせて、自白調書の作文を始めます。

「私は駅から現場の草むらまで女性の後を付け、草むらで、おいと声を掛け、静かにせよ、おとなしくしろと、恐ろしい声を出し、抱きついて、抵抗する女性の顔を殴りました」
 という自白調書を作文し、
「おい、お前の言うとおりに書いてあげたから、署名せよ」
 と迫ります。

 この自白調書を読むと、あたかも容疑者がこの通りスラスラと物語ったように思えてきます。しかし、実際には、容疑者は、ボソボソ語っているだけで、スラスラと物語ることはしていないのです。
 自白調書通りに被告人が語ったと絶対に思わないでください。

 何故、取調官が物語式にこだわり、一問一答式を避けるのか。
 物語式の方が、読ませやすい、分からせやすいからです。

 取調官が一問一答式を採用するのは、例外的です。
  言葉の語彙に乏しい精薄者の場合
黙秘に等しい否認の場合
  取調官が驚愕し、この問答を一問一答式に自白調書に記録した方が、好都合 と判断した場合
 2010年名古屋地裁 殺人未遂事件 建設飯場での作業員同士の事件
 被告人は殺意を認めていたが、傷害の程度からして、殺意を否認し、脅かすために庖丁を持ち出したらもみ合いとなり偶然刺さったと弁解しても通用する事件であった。被告人は殺意を認め、公判前整理手続は静かに進行していた。ところが、第一回公判9/6の前の9/3になって弁護人に「殺意はない。脅かすために庖丁を持ち出したらもみ合いの中で刺さってしまった。老齢となり就職も出来ないから刑務所に長く入りたくて殺意を認めていたのです」と告白しました。弁護人は驚きましたが、日がないので、そのまま公判に突入し、予定通り、被害者の尋問もなく、被告人質問で始めてこの話が出ました。
 検察官が朗読する自白調書は物語式でしたが、途中に一問一答式がありました。
問「出所して被害者に会ったらどうするか」
答「もう一度刺してやります。今度は確実に殺してやる」
 しかし、殺意の動機にそんな激しい原因はないのです。被告人は長期服役を希望してこんなことを話した可能性があります。
取調官が一問一答式を用いたとき、何かあるのです。取調官は驚愕したのです。その驚愕の背景に何があるのか。取調官でさえ驚いた自白の真意は何か。
求刑10年 判決8年 被告人は裁判長の制止を振り切り、何度も「控訴しません。役めてきます」と発言していました。8年の飯の確保が出来てうれしかったのでしょう。
  
 長期服役の希望なんてあり得ないと思う人へ
 私も1978年の大晦日、片手のない失業者が服役志願で交番のガラス扉を割った事件を弁護したことがあります。被告人の希望に反するから、寛大な判決をとは言えず、適当な判決をと弁論しました。

 取調官の世界では、一問一答式は流行りません。物語式への信仰があるのです。確かに、一問一答の羅列を読んでいるより、物語を読んだ方が分かりやすいのです。しかし、自白調書の読み方に慣れている弁護人からの攻撃を避けるためには、一問一答式が効果的です。
 物語式には、落とし穴があります。作者である取調官の思想、思惑、思いこみ、錯誤が紛れ込むのです。つい文才に走って、余分なことを書き散らしてしまいます。酩酊の余り、起こした事件のとき、その酩酊状態を自分の体験を元に書き出します。しかし、被告人が、斗酒辞せずの酒豪であった場合、自白調書はおかしな記述になり、被告人は自白調書を読んだとき、その違和感を弁護人に話し、弁護人は耳を傾け、ある作戦を考え出します。
「3合飲んでフラフラとなり、電柱に抱きつきました」との自白調書があれば、弁護人は被告人の呑み友達を証人に立て、「被告人は5合飲んでマラソンをした」と証言させます。

 警察官が供述調書を検察官に送付し、検察官取調が始まりますが、アホな検察官は警察供述調書を丸写しにします。特に多忙の時は、取調時間が惜しく、容疑者を取調しているよりも、警察供述調書を丸写しするのに忙しい。私は修習生のとき、5時に雀荘に行かねばならないので、警察供述調書の丸写しをやった。指導検察官は優しい人で、私にお目玉を食らわす代わりに残業をしていた。
 自白調書の丸写しがあったとき、弁護人は警察自白調書と検察自白調書の対照表を作り、検察官はチエック作業をしていない、警察捜査の後追い、追認作業かと攻めてきます。
 この体験を持っている賢い検察官は、警察自白調書を読んでも、丸写しにせず、書き直しをします。「である」を「です」に書き換える。「私」を「僕」に書き替えるなどは、初歩的です。「憎悪」を「恨み」「殺してしまおう」を「死んでもらう」へ、書き替えるのです。
 文体から見ると、二人の歴史家が、ある事件を目撃して、別々に歴史書を書いたかのような体裁になります。しかし、良く観察すると、二つの書の目的が一致していることが分かります。犯罪構成要件の証明目的に於いて一致するのです。しかし、歴史家の歴史観は人により異なるはずです。
 ですから、弁護人はここに着目して、検察自白調書は警察自白調書の丸写しと批判すれば良いのです。
 検察官は警察自白調書を読んで、証明すべき犯罪構成要件の筋あわせを試みます。傷害致死か殺人か、議論になっているとき、検察官は、殺人訴因に決定したとき、警察官を呼んで指導し、警察自白調書の書き替えが始まります。その書き替えの過程を追っていくと、いつから、殺人への訴因変更が決まったかが分かります。この過程を明らかにすると、自白調書の任意性・信用性に対する抗弁が可能になります。取調官の誘導による取調がいつから開始され、自白調書はかくも任意性を失ったと論ずるのです。