裁判員裁判12−103
「自白調書の読み方」2014.2.13
                 2011年1月〜  宮道佳男
かかる手法を採る故に、1審判断は事実証拠認定に慎重である。何月何日何処で謀議という事実について、有罪方向のAとBの供述調書その他証拠、無罪方向のAとBの法廷証言その他証拠を、一つずつ比較検討し、検察官の取調に違法なしとする主張に敬意を払い「供述調書が検察官から強い誘導があったともみられず、ABが任意に供述したものと認められる」と判示しながら、ABの供述調書には事実との関係で矛盾、説明の欠落、供述の変遷、不合理な説明などがあることを詳細に認定し「供述調書には信用性に疑いをぬぐい去ることができない」式で証拠不充分に持って行く努力をしている。
 ですから、1審判決は「〇と○の証拠によれば、謀議加担は認められるが、反対に〇と〇の証拠によれば認めがたく・・・・結局、Yが謀議に加担したとは証拠上認めがたい」式に、疑わしきは罰せずとして無罪の結論に至る。
 1審裁判官がAの単独犯行でYとの共犯はあり得ないと心証を取っていても、判決には書かれることはない。三鷹事件で一審判決が「共同謀議は空中楼閣」大見得を切り、控訴審で批判されたことがあり、一審裁判官は無罪積極認定には消極的になっている。だから一審裁判官が「単独犯行を認定するから、これに反するAとBの供述調書に特信性信用性がない」と書くことはない。
 裁判は真実の発見であるとの説がある。この説によれば、裁判のこの手法は納得できないものであるが、弁護士としては、疑わしきは罰せず、証明責任は検察官、と考えるから、納得できるが、裁判官の手法が、有罪方向に甘く、無罪方向に厳しく働いているのが苦になる。   
 一審裁判官の、犯罪構成要件の一つずつの事実に対して、有罪方向と無罪方向から証拠を比較検討し、有罪方向の証拠を排除するときは慎重に検察官提出の証拠を検討し、無罪方向の証拠を排除するときは簡単に検討しながら、事実認定を積み上げていくのであるが、この手法は裁判員に理解しうるであろうか。
 裁判員は、真実は一つで裁判は真実発見の場であると信じている。証拠の総合的観察により単独犯行の心証が取れたのならば、積極無罪判決をして、共同犯行を裏付ける証拠は、単独犯行を認定した〇〇の証拠からして信用できない、と頭からの判決を望んでいるはずである。裁判員達は、白か黒かとの評決をして多数決で決めるものだと信じて出廷している。単独犯行だと認定したときは、共同犯行を裏付ける証拠に対しては、不安を残さず割り切ってしまっている。多数決裁判なのに、何故、一審裁判官が判決を書くとき、個々の事実と証拠に対してかくも精緻な判断をするのか、理解できているであろうか。
 裁判員裁判発足後、一審判決が粗くなった。弁護人の主張に対する判断遺脱が多い。控訴審はそれを補足して控訴棄却する役割を果たすことが多くなった。