裁判員裁判12−106
「自白調書の読み方」2014.3.5
                 2011年1月〜  宮道佳男
2,裁判員を励ます。
 弁護人の弁論は、裁判員を励ますことです。
 その為には、世界各国、昭和の陪審員裁判の実例を引用し、裁判員が活躍した判例を教えて、「誰が何と言おうとも、被告人は無罪なり」と言う勇気を持っていただくことです。
 裁判員に対する励まし、を弁護人がすることについて、異論があります。それは裁判官の裁判員に対する法律説示の一つであり、弁護人の権限内ではない、という批判です。私は反対です。
 合理的疑いを超える証明についても同じで、裁判官が説示するから、弁護人は黙っておれという意見があります。日弁連の研修会で、「少しでも疑いが有れば無罪にせよ」と弁護人が主張すると、検察官から「最高裁の判例では、少しでもとは言ってない。合理的疑いと言っているから、誤導だ」と異議が出るから「少しでも疑い」とは言わずに、最高裁判例そのままを引用して「合理的疑い」と言うべきだ、との意見がありました。どうも三者協議をやっているうちに、森進一の襟裳岬になってしまった。
 裁判員裁判施行に伴い、弁護人はこれまでの公判戦術を転換しなければなりません。私の公判戦術は、対検察官弾劾、検察官寄りになろうと仕勝ちな裁判官に対する批判を中心とする、官に対する弾劾的弁護術でした。もう一つは大衆的裁判闘争でした。国民の世論、傍聴人動員を組織し、法廷の官を包囲する闘争です。官はこの闘争に対して、司法妨害だ、雑音に耳を貸すなと反撃しました。階級闘争至上主義者にとっては、絶好の舞台が登場するのです。しかし、大衆は、真実を求めているだけなのに、えらい大袈裟なことになったと戸惑うのです。
 私はこれを改めました。法廷に人民の同輩、宣誓したる証人である裁判員がいるのです。裁判員相手に闘争を仕掛ける必要はありません。もう、闘争の言葉はいりません。
 大衆向け積極弁護術です。3人の裁判官に対して語らず、6人の裁判員に語るのです。何故貴方はこの法廷に来ているのか。何をなすべきなのか。ギリシャからイングランド、アメリカ、そして昭和の陪審裁判の歴史を語り、励ますのです。
 官ではなく、大衆を説得せよ。ただし、長演説はしない。裁判員の忍耐力限度内にする。