裁判員裁判12−19
「自白調書の読み方」2011. 7. 20
                 2011年1月〜  宮道佳男
2、任意性と信用性を巡る議論の混乱
 最初に任意性の有無の議論があり、任意性あり→証拠能力あり→自白調書採用朗読→信用性判断と進みます。途中で、任意性なし→証拠能力なしと判断されれば、自白調書証拠取調請求却下=自白調書朗読なし、で終わるのです。
 ところが、実務では、任意性と信用性の議論をごちゃ混ぜにしていることがあります。弁護人が「自白に信用性がないこと自体、任意性を疑わしめる」と主張することもあります。
「任意性判断のための信用性判断を先行させる」という訴訟指揮も見られます。任意性と信用性の審理が順不同で進行するというのが実態です。
 任意性を否定しながら、なお信用性の判断をする判例もある。念のためというか、もし高裁で任意性が認められると、破棄差し戻し、自白調書採用となる。だから自白調書を採用しておいて信用性を否定しておこう、という高裁対策の動機でしょう。
 大森勧銀事件高裁判決「任意性を肯定するにはなお疑いを払拭できないと一応の結論を出しながらも、信用性の検討に入り、秘密の暴露、事実との矛盾、自白の不合理性を検討して信用性がないと判断し、最後に任意性もないと結論」
 同最高裁決定「被告人は警察官の暴行、脅迫、誘導、暗示等の、あるいは検察官の誘導、暗示等の違法不当な取調を主張し、関係証拠に徴しても、暴行脅迫等明らかに違法と目すべき取調が行われたものとはたやすく認めがたいとはいえ、自白の変遷、動揺は、被告人が長期間の取調、追求を受け、自らも新聞等の報道に接していたことから、想像や推測をも交えて、その場その場で捜査官の想定した状況にそう供述をしていったのではないかと考えられないでもなく、このことは、自白の信憑性の判断にあたって看過し難いところといわなければならない。任意性については判断するまでもなく、疑わしきは被告人の利益にとの鉄則に従い被告人に対し無罪の判決をした原判決は結論に於いて首肯するに足りる」
 警察が違法取調をしたことは指摘したくない。だから、任意性に対する判断をしたくない。信用性の議論をメインにして結局疑わしきは罰せずで無罪とするから文句はあるまい、との判決です。
 被告人の違法な取調を受けたとの抗議に対する回答はないのです。
高裁対策したり、警察対策したり、色々です。特に、裁判所は任意性を否定することは捜査批判をすることと同じと思っていますから、慎重になります。反面、任意性を否定したときは、続けて厳しい捜査批判を書きます。特に違法排除説に立つ裁判官の筆は鋭い。しかし、捜査批判をするか否かという大論点を立てなければいけないのでしょうか。判決文を読むと、ここまで批判的に書かれた捜査官や検察官は気の毒だと思えることもあります。
 捜査官は被疑者が無罪か有罪か分からないまま、少しの端緒事実から捜査を開始します。冤罪をでっち上げようと意図することはありえません。その後色んな間違いが重なり合って、捜査官の心理の中で、白が黒に見えていき、被疑者の話が弁解に聞こえ、試し訊問すると、意外な反応があり、誘導すると自白してしまった。「やったことにしといてください」被疑者の曖昧な態度が捜査官の誤解を誘発することもあります。
 任意性の判断は証拠法に基づいて行えば良いのであり、捜査批判をしなければ完結できないわけではありません。証拠排除は、証拠法上の交通整理のようなものでしょう。拷問や証拠捏造は論外ですが。
 
アメリカでは、陪審員に見せるべきでない、陪審員を誤解させそうな、怪しげな証拠を軽々と証拠排除していきます。アメリカ裁判官は証拠排除の理由も陪審員に告げません。頭のいい陪審員だけは「警察が証拠集めでへまをやった」と理解できるだけです。
 日本裁判官がもっと柔軟に交通整理のように任意性判断をすれば良いのです。

 しかし、この混乱の原因は「任意性と信用性」と名付けたことに帰因しています。種類の違うものを同列に並べたからです。有無の話と大小の程度の話と混ぜてしまったからです。
 違法の排除ということと、刑訴319条「強制、拷問、又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白、その他任意にされたものでない疑いのある自白はこれを証拠とすることができない」との文言との整合性が問題なのです。
 任意性のあるなし、と、ある場合の信用性のあるなし大小なのです。
 証拠物なら簡単に理解できます。
 警察官が組長の家の中なら何かあるだろうと、捜索令状もなしに空き巣に入って拳銃を発見して拳銃不法所持で起訴したとき、裁判官は令状主義違反で拳銃の取調請求を却下し、検察官に「拳銃を持って帰れ。他に証拠がないから無罪」と言います。適正手続きの一つの令状違反に対するお仕置きなのです。
 令状があって拳銃を押収したとき、裁判官は拳銃の取調請求を認め、証拠採用します。その後、弁護人が「発射試験をしてくれ。おもちゃの筈だ」と言ったとき、これは信用性の議論であります。
 適正手続き違反の有無の話だからこそ、お仕置きが出てきます。ウソか本当かの大小の話なら、お仕置き話は出てきません。お仕置きとは、警察に対する、将来の違法捜査を抑制する為のレッドカードなのです。
 任意性なしと主張するとき、お仕置きを求めているのだと思ってください。任意性なしと信用性なしと混在して主張しているとき、裁判は混乱します。弁護人も裁判官も検察官も分からなくなり、総花立証に突入してしまいます。
 裁判官が「とりあえず自白調書を読んでみるか。ハイ提示命令」と言いだし、弁護人が猛反対することもあります。私はこの点は柔軟です。取調の周辺立証が済んだ段階でのことですが、「提示命令により裁判官が自白調書を読むことにはあえて反対しない。経験有る裁判官ならば自白調書を仮読みし、任意性なしとして却下するときは、記憶から消去出来ることの訓練を受けている筈であり、このコートの裁判官にそれを期待する」と言います。とにかく、裁判官の性癖は自白調書を読みたいことです。これを禁圧することは難しいし、むしろ読ませて、自白の周辺事情と対比させて、適正手続き違反=任意性を検討させるべきです。
 君は裁判官を信用しすぎているとのお叱りの声が聞こえてきそうですが、一定限度、裁判官を信用しないと裁判は進まないのです。
 但し、裁判員裁判では、別の検討が必要です。連続開廷方式ですから、取調の周辺立証が終わって、自白調書の提示命令をするか否かの合議をしている時間がないのです。取調官の尋問が終了してから、15分で決めるのです。とても精密な合議が出来るのか、心配です。この合議には裁判員は議決権がありませんが、意見を述べることが出来ます。裁判員の意見表明権を保障する為には、裁判官が裁判員に今何に手続きをしているのかを説明しなければなりませんが、短時間で説明できるでしょうか。結局、裁判官だけの判断で提示命令が出され、証拠法則を熟知し、仮読みと記憶消去の訓練が出来ている裁判官と、そうでない裁判員とが自白調書を読むことになります。
 裁判員は朗読される自白調書をあの取調DVDの映像と共に記憶して信じ込むでしょう。既に裁判官がお取り上げになった証拠として信用するでしょう。
 アメリカでは、裁判官が素人の陪審員に見せるべき証拠と見せてはいけない証拠を峻別します。これが裁判員裁判ではなくなるのです。