裁判員裁判12−23
「自白調書の読み方」2011. 8. 17
                 2011年1月〜  宮道佳男
八海事件 有罪→有罪→破棄差し戻し→無罪→破棄差し戻し→有罪→破棄無罪 吉岡の単独犯行なのか、5人共犯なのかで三度も最高裁へ行った。
 一審 藤崎ラ裁判長著「八海事件」 
 共犯者久永の自白調書に「只今申し上げましたことは、私としては絶対に間違いないと断言出来ます。多少の小さい考え違いはあるかも知れませんが、全部申し上げました。ほんとに取り返しのつかない馬鹿なことをしました。その中でも、私や稲田や松崎の三人はとくに馬鹿な目にあったとおもってくやしくてなりません。阿藤と吉岡は相当よいことをしたと思います。どうか寛大に願いします。婆さんを抱えたときは、まだ体温がありました」という一節があるが、私はこの言葉は久永の心底から吐き出された偽りのない告白であるとしみじみ感じた。
 しかし、正木ひろし弁護人は、これも拷問による虚偽の供述だと言われるのであるから、口というものは重宝なものだ、と思う」
 藤崎裁判長が、しみじみ感じたという自白調書は、取調官が書いたものです。取調官に欺されて、しみじみ感じたのです。
 単独犯行者吉岡が逮捕され、単独犯行を自白したが、老夫が斧で殺され、老婦が扼殺されたうえ鴨居に吊され、血の付いた包丁が老婦の下に遺留され、夫婦喧嘩の末の自殺と偽装された現場を見た警察は複数犯人説に立ち、吉岡に「共犯は誰だ」と問うた。死刑を覚悟していた吉岡はこれで生き返ってしまった。不良友達5人の名前をあげて6人犯行説、一人にアリバイがあると分かると、5人犯行説を唱えた。久永は逮捕されると、後ろ手錠で、やったと自白するまで拷問された。耐えかねて、やったと言うと、拷問はやんだが、新聞記事や村中の噂話をもとに嘘の自白をせざるを得なかった。藤崎裁判長が引用する久永の自白調書くらいのことは、嘘の自白をさせられた者は語れます。いや、語るというより、取調官の話に相槌を打つのです。
「お前、反省しているか。」「はい」
「お前、嘘は言っていないだろうな」「はい」
「誰に唆されたか」「阿藤と吉岡です」
「二人はいい思いしたのか。お前は馬鹿なことをしたのか」「すいません」
「罪をどう思っているんだ」「勘弁してください」
 という取調問答をします。嘘の自白者は拷問の再発を怖れて、このように恐縮の態度を示すものです。
 取調官はこんな問答をした後、自白調書を書きます。最後の所まで来たとき、取調官は
「婆さんを吊したとき、体温があって暖かかったか」と聞きます。
 久永は「はい」と答えます。
 取調官は「では、お前の口から言ってみよ」
 久永「お婆さんは体温がありました」
 そこで、取調官は自白調書の最後に「婆さんを抱えたときは、まだ体温がありました」と書きました。藤崎裁判長はこの文句にしみじみ感じたのです。久永の口から出ていない、取調官の筆から出来た作文に欺されたのです。
 情景と心象描写をするとき、例えば、口論を描写し、最後に「彼は振り返らなかった」と締めます。作文教室の生徒がさらに「それは彼の強固な意志を示していた」と書き足すと、教師は「書きすぎだよ。描写を寸止めにしておき、読者の想像力をかき立てる方が効果的だ」と削除させます。
 藤崎裁判長が、しみじみ感じたという自白調書の文面を読んだとき、私は、取調官の作文だと感じました。同じ自白調書を読んでも、正反対の感じが生まれます。 藤崎裁判長は犯行時間を30分間と認定しています。通りかがりの人が倒れている人を抱きかかえたら「死んでいるが、まだ暖かかった」と感じて驚いたのではないのです。30分間の犯行ならば、暖かいのは当たり前です。暖かいことに気付いて驚くということはあり得ません。久永は体験していないことを自白させられたのです。これを「自白の矛盾」「説明の欠落」という論点と言います。
 私ならば、取調官が作文をやったと、久永の無実をしみじみと感じます。
 私が、自白調書の読み方に関心を抱いたのは、これからです。修習生の時、指導裁判官から藤崎裁判長のこの本を戴きました。それから37年多くの自白事件を担当してきましたが、藤崎裁判長のような裁判官に何度も会っています。
 弁護人布施辰治 1880〜1953年 戦前の労農救援弁護士 共産党を弁護したことを治安維持法違反とされて二度の服役、弁護士除名 三鷹事件弁護団長が最後の仕事 その著作「本人が自白しても科学的捜査の結果その自白と事実が一致しなければ、何度自白しても何らの証拠力もありません。三鷹事件で、単独、共同、単独、否認と変転した竹内被告人の自白問題を徹底的に究明して、検事からウソの自白を強要された心理の解剖と、検事の拷問バクロにより、三鷹事件のでっち上げを根底から粉砕する」多くの困難な死刑事件を弁護した布施辰治のこの言葉を忘れることは出来ません。
 布施辰治の陪審制についての論説を紹介する。
「陪審裁判の官僚裁判に優越する最良唯一の強点は、裁判の構成に民衆を参与せしめる、社会批判の事実認定と、制裁処罰の妥当を期する組織である。と言うても、それは公判最後の締めであって、総ての裁判構成に、民衆を参与せしめる訳でもなければ、事実認定と制裁処罰の妥当を保障する訳でもない。公判最後の締めに過ぎない陪審制度は、その公判に回るまでの被告検挙、関係者尋問、証拠蒐集等一切の準備は官僚裁判、現在の判事、検事、予審判事等がこれに当たるのである。そして官僚裁判従来の通弊たりし被告の目星検挙も、自白強制の拷問も、関係者誘導の尋問も、証拠蒐集の捏造も、為し尽くした上で、尚、且つ、逃げられるなら逃げてみよというのが、所謂、陪審裁判の公判である。故に、私は、予め最も真摯公正なる陪審員の職務を全うせんとする一般民衆に告げておく。
 陪審員諸君にして、いよいよ陪審裁判に廻ってくる迄の、被告検挙、関係者尋問、証拠蒐集等、一切の公判準備手続きに潜む、不純の感情と不明の無智に準備せられた、不利益証拠を看破排撃することが出来ないとしたら、絶対に陪審制度の目的が達成されない、と同時に、陪審員諸君に課せられた使命を裏切るものである」

 二度目の最高裁では、下飯坂裁判官が大筋論から有罪にした。
「吉岡の5人共犯の供述には、部分的に嘘もあり、食い違いもあることは無罪の原判決の通りであるが、それらの供述は素朴で率直であり、原判決に言うほどの不自然さも感じられず、むしろ大筋を外れていないと思われる。おしなべて被告人の供述にしろ、証人の供述にしろ、供述というものは枝葉末節に至るまで一致するものではない。記憶違いもあり、食い違いもあり、喋りすぎて嘘のある場合もあるのである。だからといって、そのような供述が常に不正確で採用に価しないということはできない。同じ供述でも採用できる部分もあれば、出来ない部分もあるのであって、大事な点はその供述が大筋で外れているかいなかである。
 原判決は被告人阿藤外3名の供述との比照において吉岡供述の虚言性を衝かんとしている。事実審裁判所としてはそれは当然であろうし、右比照において吉岡供述に部分的嘘や矛盾撞着のある点も或いは原判決のとおりであろう。しかし、右両者の供述において、いずれが事案の大筋に外れていないかというと、当裁判所は吉岡の5人共犯の供述に大体において信を措き、それが大筋を外れていないものと考えざるを得ないのである」
 差し戻しの広島高裁で有罪判決がおり、阿藤らの運命は決したかと思われたが、獄中の吉岡は良心の呵責に苦しみ、最高検・最高裁・正木弁護人に単独犯行の上申書を書き送り、驚いた刑務所が発送差し止めをしていたが、同房出獄者が事の次第を正木弁護人に連絡し、事は明るみに出た。
 三度目の最高裁で、破棄無罪判決が出た。
 最高裁下飯坂裁判官の言う、大筋論なるものは、主観的なものです。黒と思えば、黒方向の証拠ばかりが目に付く。その程度のことを、大筋論と銘打って、有罪死刑判決を導くことは誤判です。枝葉or根幹論で再論します。
 単独犯が5人共犯のウソ自白をした。自白調書が具体的かつ詳細であり、公判でも犯行の迫真の演技をした。裁判官はこの迫力に感激してしまった。
 死刑を免れて無期懲役となり、仮出所した吉岡は弁護人に語った。
「公判前に検察官とリハーサルをした。自分は警察や検察庁に約束した手前、自分は偽りを言ったけれども、自分としては、偽りであるからおずおずと言った筈である。おずおず言っている自分の態度を裁判官は分かると思った。私の言いぶりはちよっと注意して見られれば分かるはずだ。私の法廷で言うことが採用されるとは思わなかった」 
一裁判官の回想 1993年佐々木哲蔵 (株)技術と人間
 裁判官は欺されたのです。吉岡の5人共犯という任意虚偽自白に欺されたのです。
 藤崎裁判長の前記著書の記述
「最終に近い公判で、私は問を発した。
 問 人間には誰でも迷いがある。出来た事実は否認したとて消えるものではない。悔い改めることができたら立派な人間だ。罪を犯したか、どうかは被告人たちがよく知っている。一つの犯罪にも自ずから罪の軽重はあると思う。自分に利益な部分を供述しない限り裁判官には解らない。罪の軽からんことを願っても、述べてくれなければそれが出来ない。稲田どうか、松崎、久永どうか。
 この間、法廷は水が打ったように静寂にかえった。傍聴人はせきひとつしない。被告人たちは2分間以上も黙し考えていた、松崎や久永の面にはアリアリと焦燥が感じられた。阿藤の顔はゆがんで見えた、それは稲田や松崎や久永が今にも真実を陳述しそうであったからである。
 被告人達の全法廷を通じ、この一瞬ほど感激にみちた場面はなかった。ところが稲田はついてやってはおりません、と答えた。続いて松崎も久永もやってはおりませんと答えた。もしこのときの法廷が一人一人分離されていたとしたら、おそらく阿藤を除く三人は涙と共に真実を訴えたと思う」
 吉岡の自白は、最初の単独犯行→6人犯行→5人犯行と変転しているところから、おおよそ信用性がないものであるが、吉岡は阿藤から「知らない者を足しておけ、テレンクレンといい加減なことを供述しておけ。後でひっくり返すから」と教えられたと自白した。死刑を免れるための最高の演技なのであるが、裁判官は嘘を見破れなかった。
 裁判官は弁明せず、というが、藤崎裁判長は著書を出版するとともに、新聞雑誌に多数の投稿をした。最高裁が「雑音に耳を貸すな」と裁判批判つぶしをしている最中に、藤崎裁判長ひとりが論争に立ち上がった。正木ひろし弁護人の批判を黙殺出来なかったのである。裁判長が当事者の一人になってしまった。
 藤崎裁判長の著書「検察官は1週間東京出張した。私は検察官に大丈夫かと聞いたところ、被告人らは全部自白しているから心配ないと答えた。ところが検察官の考えは大きなミスティクであった。果たせるかな。被告人らはこの1週間の空白で、お互いに連絡し共同戦線を張って犯行の全部を否認し、警察での自白は全部うそだと訴えだした」
 裁判官が公判前と最中に検察官に会って自白のことを聞くということは、予断排除の原則に反する。裁判長がその著書でこれを書けば当然に批判が来るということは予想できなければならない。
 藤崎裁判長著「証拠−続八海事件」「私が旅先で検察官に会ったとき、自白したから心配ないと聞いたところで、新聞の報道よりもそまつなものであり、それがどうして予断になるのか私には理解できない」
 予断排除の原則が解っていない。判事と検事が公判の外で密談をしていることが何を意味し、公判に何の影響を及ぼすのか解っていない。
 丸茂弁護人の2度目の控訴審での証言「1審第1回公判の後の検証で、裁判長が久永被告人に言い寄り、君は家の外にいただけだろう、そのように言わないと罪が重くなってお前損するぞ、見張りしただけということになると軽くなるのだが、お前そう言ったらどうか、と言った。久永は、大きな声で、ここへ来ていません、やってもいません、と答えた。私は裁判長の予断が心配になり、先輩の弘田弁護人にも弁護をお願いをした」
 藤崎裁判長の前掲書 八海事件「新刑事訴訟法第321条〜328条のごとき、厳格なる証拠能力の規定は、我が国の裁判官による裁判制度のもとに於いては毫も其の必要なく、却って証拠調手続きに時間と労力を増すのみ」
 法定証拠主義も証拠能力の制限も撤廃して、裁判官の自由心証主義でやれと言っているのです。
 同 前掲書「被告人らの自白調書をじっくり読むと、誰でもこれが拷問であろうかと不思議に感ずるであろう」
 取調官の書いた自白調書に拷問の痕跡を発見できることなどあり得ない。何の事件か忘れたが、自白調書に血飛沫があり、弁護人は拷問と主張し、検察官は被疑者の鼻血と争った裁判はあった。
 裁判長にとって痛恨の裁判であった。1974年参議院全国区に立候補して「松川と八海事件は有罪だ」と演説もした。布施検事総長偽電話事件の鬼頭史郎と同じように最下位近辺で落選した。八海事件は4人の被告人の人生を狂わせたが、藤崎裁判長の晩年をも狂わせた。