裁判員裁判12−30
「自白調書の読み方」2011. 10. 26
                 2011年1月〜  宮道佳男
自白の犯行態様が現場と矛盾

1977年結城市殺人事件 一審有罪 二審無罪
 被害者が倒れていた付近からルミノール反応、しかし被告人の着衣から反応無し。被告人の自白では言及されていない箇所から反応、自白との整合性に欠くので無罪
1970年大森勧銀強盗殺人事件
 1回突き刺しの自白が、4個の痕跡と矛盾

 免田再審開始決定 1979年9月27日
「刺身包丁による頸部刺創が止めでないことは動かし難い事実であり、免田の自白はこれと相容れないものであって、犯人が犯行時周章狼狽のあまり異常な心理状態にあったことを考慮しても、軽視し難いところであって、矢田鑑定は自白調書の信用性に疑問を投げかける新証拠として明白性を否定しがたい」
 
 神様は現場に証拠を置いてゆく。
裁判官はそれを灯台として裁判する。なければ無罪なのです。
 英国のミッテルマイヤーの法格言
 天網恢々疎にして漏らさず。  東洋の法格言
 証拠は神の意志である。その意志に矛盾する自白は、嘘なのである。
 英国法格言 裁判官はもし間違うのならば、無罪の方向に間違いなさい。
 疑うに勇、断ずるに怯
 
 英国のミッテルマイヤーと同じ事を言った日本捜査官がいた。
 1967年6月12日未明愛知県半田警察署で宿直の警察官が刺殺され、その手には犯人の背広の片袖が握られていた。
 愛知県警は大捜査陣を敷き、半田署に留置されていた組員を奪還しようとした地元暴力団風天会の仕業と推定し、事件後1週間で組長以下7人を逮捕、1人を除いて自白、送検して1週間後、真犯人が自首。
 捜査本部にいた、物証班長神谷太一郎警部補は、風天会犯人説を否定、「自白通りなら、何故捨てたという半田泊地から兇器が出ない。目撃者が犯人の車は白色と言っているのに、組員の車に白色はない。警察署の表と裏から襲撃したと自白している犯人達が、本当にやったのなら、どうして反対側に回った仲間の言動やパトカーの位置まで自白できるのか。刑事が誘導したに違いない。これを、矢でも鉄砲でも握らせる取調と言うのだ」
 捜査本部から追放された彼は物証班の部下に言い置いた。
「わしらの仲間である宿直の警察官が一期の力を振り絞って、犯人からもぎ取ってわしらに残してくれた背広の片袖がある。てれんくれんの自白を追っかけ回すのではなく、あの片袖を追え」
 物証班の部下達は、繊維メーカーの縫製工場を周り、縫製内職の主婦を捜し、行商人を調べ、遂に半田市の少年工員の家まで辿り着いた。捜査員は少年が不在だったので、明日又来る、と言い置いた。観念した少年工員は翌日兇器と片袖のない背広を持参して自首した。
 この事件は愛知県警の失態と非難されたが、自白班の過ちを物証班が正し、冤罪を未然に防止したのです。
 暑い夏の一日、冷房の効いた取調室で自白を強要しているより、靴の底を磨り減らすことです。

 アメリカでは、自白を重視しない。警察官の逮捕の持ち時間は24時間しかないからです。だから、物証を重視し、物証が確保されてから逮捕する。逮捕したとき、ミランダルールを告知する。
「黙秘権がある。弁護士選任権がある。弁護士が到着するまで黙秘していい。それでも話したいと言うのならば、聞いてやる」