裁判員裁判12−34
「自白調書の読み方」2011. 12. 27
                 2011年1月〜  宮道佳男
更に判例はこう語る。
 松川事件最高裁大法廷「人には記憶違いや錯覚ということがあり得るし、記憶力には個人差があり、また人として記憶が薄れるということもやむを得ない。そして記憶違いや錯覚にはその是正ということが考えられ、また記憶の喚起ということもあり得る。しかし、それには理由がなければならないし、重要にして、事いやしくも自己の行動に関する事項について、記憶違いをしたり、錯覚を起こしたりするというが如きは、甚だ稀な事象であると考えざるを得ない。供述の変更や虚偽は、これを被告人が他意あって殊更に事実を曲げて供述したことによるものとみるべき節もないとすれば、それは同人が、あるいは、自己の経験しなかったことや記憶の薄れたことについて、取調官から尋ねられた際、ただひたすら迎合的な気持ちから、その都度、取調官の意に添うような供述をしたことによるものではないかとの疑さえあって、どこまで真実を述べたものか、またどの供述に真実があるのか、その判断に苦しまざるを得ない」
 松川事件国賠裁判「自白の幾変転は、取調官側に於いて捜査の進展につれて入手した新たな資料に基づく示唆誘導による疑いがあるとして、自白の変遷が、取調官側の見込み捜査ともいうべき捜査態度の反映である可能性を示唆した」
 富士高校放火事件東京高裁昭和53年3月29日判例時報892-29
「数多く存在する矛盾変遷は、被告人の記憶の変化ではなく、取調官の認識の変化、時には誤解に基づくものと推認される。捜査段階に於いて、被疑者の供述にも信頼を置けず、証拠も乏しい難解な事件であるために、捜査官が自らたてた仮説に基づいて被疑者を誘導した結果、自白が全体としての真実性を失い、体験供述性を喪失したのではないか」

 八海事件 犯行前の謀議に参加したと新証言をした樋口豊もそうである。彼は一審で謀議など聞いていないと証言したが、偽証罪逮捕の後、「謀議に参加して自分も荷担する約束をしたが、父親の法事のために参加できなかった」と新証言をした。しかも、公判が進むに従って、謀議参加回数が増えていくのである。三度目の控訴審はこれを採用したが、最後の最高裁は「吉岡が一貫して樋口謀議参加を否定しているのに信用できない」とした。
 最後の最高裁
「新証言が証人らの反省悔悟その他の理由による真実の告白であるのか、被告人らに対する偏見、利害情実等に基づく虚偽の陳述であるかについては、記録を繰り返し検討しても、ついにこれを決定するに足る十分な資料を見いだし難いのである。しかも、これら新証言の真実性を裏付ける物的証拠もなんら存在しない。木下については、とりわけその置かれた境遇を検討しなければならない」
 18年間地元はこの裁判を巡って大騒ぎし、有罪派と無罪派に別れて争っていた。無罪派の人がある理由で有罪派に鞍替えすることもありうる。無罪派であるが故に検察官から偽証罪で逮捕されれば、これを避けがたい天命のように信じ込み、お上への抵抗は無意味と自らを納得させ、被告人らに、お前達のことはお前達で始末付けよ、俺に迷惑を及ぼすな、と敵意を抱いて、有罪派転向宣言としての有罪証言をすることもあり得た。検察官は中立宣言するだけでは許してくれないのである。木下六子の悲しみは深かったであろう。