裁判員裁判12−37
「自白調書の読み方」2012.2.8
                 2011年1月〜  宮道佳男
検察官の考えること、そして裁判官や裁判員の大方の考える常識は、
 @人は不利益な自白はしない。
 A特に、自白すれば死刑となる重大事件で自白しない。
 B自白するときは、自分に有利な形を偽って自白する。
 C追求されると、次第に不利な形に自白が変遷し、真実に近づく。
 です。
 功利主義という思想があります。人間は功利を求め、不快を避けるとの考え方です。しかし、その考え方をしない人がいます。
 仕方なし、という達観の心境と言うか、厭世観とも言うか、死に受け申し候うと言うか、表現は困難ですが、功利主義でない人がいるのです。
 住民虐殺事件の後に赴任した司法官試補あがりの憲兵少佐、戦犯裁判で、自分が罪を引き受ければ、部下は帰国できるとの判断から、自白して、従容と死刑台に進みます。ブッダもキリストも功利主義者ではありませんでした。そしてその信者は世界に何十億人もいます。功利主義でないことがその宗教の根本にあるからこそ、信者が共感するからです。貴方は私を疑ってはいけません。この事件の裁判官は功利主義者ではなかったのです。人間の心理のあいまいさに謙虚でした。人を裁くべからず、キリストの言葉です。これに無知な裁判員では自白に惑うでしょう。そしてキリストは無知な民を赦します。彼らは何をしているか、分かっていないのです。しかし、法は赦してはいけないのです。
 功利主義の観点から自白調書を見ないでください。
 時間の経過と共に、自白が変遷することはあります。記憶の混濁、消失が原因です。しかし、これを過大視してはいけません。人間の記憶など曖昧なものです。思い忘れ、記憶の混乱、ある特定事項だけの記憶の特化、心理学の教科書を読みなさい。いかに記憶がいい加減なものか分かります。最初の記憶を問われて答えれますか。はっきり覚えていると豪語する人がいます。大抵、ウソというか、証明は不可能です。
 君は夕べの三次会でパンツを脱いで踊ったと言われて、否定できる自信がある人はいますか。その人は最初から興じていなかった人です。興じていた人は、もしかするとと自分を疑います。そして自白します。半信半疑の冷静な人でも、その場を面白くする為に、話を合わせます。他意のない戯れ言、やったことにしておこか、真意で言おうが、ウソで言おうが、戯れ言であろうが、取調官にとっては、皆自白であり、書き取ったものは自白調書と言うのです。
 ウソが発生するいくつかの形態を考えなさい。