裁判員裁判12−4
「自白調書の読み方」2011. 2. 8
                 2011年1月〜  宮道佳男
5、終戦時の検事総長中野並助、昭和陪審制の立役者
「自白調書はそのことごとくが信用すべからざるものである。自分はそういう態度で執務してきた」

 戦前の大審院判事三宅正太郎「裁判の書」
「その裁判所の門前にたちの良くない代書人がいた。ある日刑事事件で検挙されようとしている男がその店に来て、何とかして逃れる方法がないかと相談を掛けたのがもとで、彼はその男に地獄の沙汰も金次第だということを吹き込み、自分の手で係官にそれぞれ賄賂を取り次いでやろうと説いて、結局多額の金をその男から受け取ったが、その実、彼はその金を着服して係官の誰にも提供しなかった。そのため、彼は詐欺だとして告訴され、検事の調べをうけることになったが、そうなると、彼も不敵になって、渡された金はそれぞれの係官に交付したのだと申立て、係官に手渡したときの有様などをまことしやかに供述した。
 不幸、当時の係官の中に遊興の度の過ぎる人があったことが災いして、検事は漸次代書人の供述に耳を傾けるようになり、そこでまづ、代書人から300円を受け取ったといわれる検事局の書記から取調を行うことになった。
 書記は昨日まで上司として仕えた人の前に呼び出されて、被疑者として連日厳重な訊問を受けたが、もとよりそんな金を受け取った覚えがないので陳弁に努めたけれど、検事の諒承を得ることが出来ず、数日の後には、あくまで否認し続けるのなら、身柄を拘束して取調べてゆく外なしといわれるまでに立ち至ってしまった。
 いよいよ明日は拘束されると覚悟した前夜、書記は老母と妻を前にして、初めて彼の現在陥っている災難を告げ、明日は刑務所に送られて、帰宅できない身になることを語った。
 老母も妻も暫くの間は言葉もなかったが、何とかして刑務所にゆかないで済む道はないかと彼に質した。それに対して彼は、この際ここに300円の金があれば、それを貰った金だといって、検事に差し出し、事情を訴えて憐憫を願ったら、刑務所に送られずに済むかも知れないが、と半ば投げ出すように言った。
 それを聞いた老母は立って戸棚から自分の手箱を出し、その中から300円を取りだし、これはお前の知る通り、永年細々と内職を稼いで蓄えた金だが、これでお前が刑務所に行かずにすむなら、蓄えた甲斐があったわけで本望だから、明朝これを持って検事さんに差し上げ、よくあやまるがよいと、我が子の前に手の切れるような新しい10円紙幣を30枚並べた。
 その新しい紙幣は、老母の癖で、倅の戴いてきた俸給の中に新しい紙幣があると必ず自分の貯蓄と両替しておいた紙幣なのである。かくして、書記はその翌日検事の前に出て、いままで頑強に否認したことの心得違いであったことを陳謝し、まことは代書人から300円を貰ったので、その金はそのまま手許に置いていたが、ここに差し出しますといって、10円紙幣30枚を提出した。
 この虚偽の自白と300円の提出とによって、彼は刑務所に拘置されることは免れたけれど、彼の考えたように直ちに不起訴になるような模様はなかった。
 しかし、幸にも彼の受け取ったと主張する紙幣の新しいことが、代書人の供述するところと明らかに齟齬したために、この紙幣の調べから、書記の一家の内情が知れ、遂に代書人の偽りが見顕されて辛うじて事件は危機を脱することが出来たが、検事局の書記のような裁判検察の事務に通じている人にして猶虚偽の自白をするということは、更に我々を考えしめるものがある。」

 荀子曰く「鳥は窮して啼き、獣窮して咬み、人窮して、即ち偽る」
ウソ自白は人間の本性なのです。