裁判員裁判12−46
「自白調書の読み方」2012.6.21
                 2011年1月〜  宮道佳男

6、文芸評論的手法による、自白調書の解明

 
自白調書の任意性・信用性を判断する方法に、文芸評論的手法がある。
 自白調書の内容に、「体験した者でなければ語り得ない、迫真性・具体性かつ自然・詳細な臨場感のある供述」を基準として、有れば任意性・信用性を認め、無ければ否定する。
 
 大阪地裁平成3年4月24日判決 判例タイムズ763号284頁
 飲食店の常連客である被害者と被告人とが口論となり、被害者が被告人に怒鳴りながら、両手で被告人の胸ぐらをつかんで締め上げた。
 この時、被告人はカウンターに左手をつく格好となり、カウンター上のまな板の上に置かれていた刺身包丁をつかみ、一回殴打した結果、加療31日間の右肩切創の傷害を負わせた。
 被告人は、法廷で、左手に触れた包丁を包丁とは思わず、棒状の物と誤信して殴り付けたと正当防衛の主張をしている。
 判決要旨
 被告人は左手でつかんだ物が包丁であることを認める自白調書があるが、警察官に「店に棒みたいな物が置いてあるか。包丁と分かっていた筈や。重さとか太さで分かっていただろう。こんなんでは検察庁に送れない」などと言われ、自分の弁解を聞き入れて貰えず、最終的に根負けしてしまったと、被告人は供述している。
 自白調書の信用性を検討すると、その包丁を握ったという部分のみ、あたかもスローモーションを見るような不自然な内容となっているうえ、ことさら分析的な内容となっており、それまでの部分の自然な供述内容と著しい対照をなしている。また、被告人の警察官に対する供述調書では、当初、単に「棒のような物」で殴りつけたと供述しながら、後にそれを修正するなど、一通の供述調書の中で、供述の変遷が見られる。被告人が法廷で供述するところは、具体的で迫真性に富むものであって、信用性を否定しがたい。従って、結果的に他人を傷付けてしまったという負い目を感じている被告人が、早く取調を終えたいという気持ちも加わって、捜査官の理詰めの尋問に迎合し、不本意な供述をしたという可能性も十分にありうる。従って、被告人の自白調書の内、包丁であることの認識を認める部分は、信用性がない。
 被告人の行った行為それ自体は、包丁で一回殴打し、加療31日間を要する傷害を負わせたというものであり、被害者の被告人に対する攻撃が素手によるものであることを考慮すれば、相当性の範囲を超えたものと評価されてもやむを得ない。しかし、被告人は棒のような物という認識しかなかったのであり、防衛行為の手段について客観的事実と行為者の認識の間に食い違いがある場合には、行為者の認識を基準として防衛行為の相当性を判断すべきである。
 何回も殴打したのであればともかく、被告人が殴打したのは一回だけであり、しかも一瞬の間の出来事であったから、包丁と気付かなくても不自然ではない。 よって、正当防衛であり、無罪の言い渡しをする。 

 自白調書の中の、「庖丁を握った部分から、スローモーションのように書かれている。その前は自然な供述」
 この部分から、信用性がなくなるという判決であり、裁判官が文芸評論家をしています。
 裁判官のこの手法は、多くの判決に見られる。余りに多いので、私は、裁判官は自分のパソコンに「体験した者でなければ語り得ない、迫真性・具体性かつ自然・詳細な供述」を定型文章登録をしており、有罪としたいときは、これを呼び出し、無罪にしたいときは、呼び出してから、否定する判決起案作業をしているのではないかと想像する。
 昭和49年、私は県庁を被告とするレッドパージ解雇無効請求訴訟の控訴審を担当していた。マッカーサーは共産党員の追放を日本政府に命令し、役所や大企業は共産党員を解雇していた。解雇無効請求訴訟は全国で提訴されていたが、原告の連戦連敗が続いていた。東条英機は人権蹂躙の限りを尽くしたが、ファシストとして当たり前のことをしたのです。マッカーサーは自由主義者の筈なのに同じ事をしました。郵便の検閲をしたのは東条英機でもやらなかったことです。
 私は名古屋地裁の判決を読み、控訴理由書を考えていたが、地裁判決に既視感を覚えた。そこで各地の敗訴判決を並べて見ているうちに、ある地裁判決の1ページが丸々名古屋地裁判決に写されていることが分かった。裁判官は鋏で切って糊付けしてタイピストに渡していたのです。
 けしからん、自分の知恵で書け、と控訴理由書に書いて出したら、裁判長がニコニコ笑っていたのを憶えています。
 鹿児島夫婦殺人事件では、鹿児島大学教授の鑑定書と県警鑑識課員の鑑定書が、全文一字一句同文、タイプと手書きの違いだけということがあった。熱心さの余り、証拠を偽造する捜査官がいる半面、手抜きのやっつけ仕事を誤魔化す奴もいるのです。特に科学捜査研究所の鑑識課員は毎日膨大な仕事に忙殺され、仕事に対する使命感もなく、日々の多忙の中、試料の保管も杜撰にし、無責任サラリーマンをやっている者がいます。 

 この手法は、神技に近い。作者名を伏せられた文章を読んで、夏目だ芥川だと当てれる能力、源氏物語の宇治の巻以降の作者は紫式部ではない、と言い当てる能力を必要とします。凡人には難しい。
 文才のある取調官ならば、詳細具体的迫真性に富む自白調書を作文することは可能であり、文才のない裁判官は欺される。
 落としの名人、なうての割り屋と呼ばれる、練達の取調官は、以下の技術・文才で簡単に裁判官をだませれるのです。
 独特の説得術(日石土田邸爆破事件 被疑者に爆弾の想像図、訂正図、実線図、立体図を次々と書かせた。被疑者は何も知らないはずなのに)
 取調官が入手した情報を被疑者の自白に転化させうる能力
 自白が被疑者の自然な記憶回復に基づくように思わせる文才
 一旦獲得した自白を維持固定させ、更に反省心まで言わせる技術

 夏目と芥川の違いが分からない裁判官は、この手法を採ってはならない。
 松川裁判のとき、文芸評論家広津和郎は有罪判決をコテンパンに批判する評論を月刊誌に連載し、国民の関心を集めた。余りに評判がよいので、最高裁長官は「門外漢の雑音に耳を貸すな。裁判干渉だ」と非難した。あとの結果はご承知の通り無罪で終りました。文芸、文才を論ずる世界では、裁判官は文芸評論家に勝てません。
 この手法はあり得ますが、文才のない裁判官が用いることには謙抑された方がよろしい。やはり、物的証拠第一主義、疑わしきは罰せず、公判直接主義により法廷での弁明を取調室の自白より重視する、ことで臨むべきです。