裁判員裁判12−5
「自白調書の読み方」2011. 2. 15
                 2011年1月〜  宮道佳男
第2、自白への過程

1、第1段階 ハイで始まる自白の端緒

@試し尋問
 取調官は最初から証拠を掴んでいるのではない。何百人という容疑者をリストアップし、順番に試し訊問を始めるのです。
 取調官には悪い癖がある。「お前がやったろう」と怒鳴りつけて、その顔色の反応を見たいのです。易者しか出来ない易断をやろうとしている。世間ならば、名誉毀損罪侮辱罪にも匹敵する、この質問を無礼にも平然とぶつけるのです。
 弁護人の取調立会権が実現していれば、弁護人は「異議あり、誘導尋問かつ名誉毀損かつ侮辱的尋問」と言うでしょう。
 任意同行を求め、取調室に連れ込む。容疑者は初めて体験する不気味さ、恐怖感に震えます。
 連行した理由は、確かなものではない。証拠皆無のこともある。
 試し尋問に、誰でも動揺します。我が身に降りかかったとんでもない容疑に震え上がります。お上に反抗すると恐ろしいことにならないか。ハイと言えば済まないだろうか。言ってみようか、と迷います。

 1949年松川事件列車転覆事件では、端緒は、チンピラが列車転覆のことを話していたという、一寸した聞き込みだけです。それも、事件後話していたのか、事件前に話していたかも定かではない。事件前に話していれば、事件の予告であり、大変なことであるが、事件後話していればたんなる会話です。この例で、何百人という容疑者が連行されたのであるが、チンピラの「違う」と言う返事に、取調官は易断を間違えてしまった。何か隠している、犯人ではないか、という予断を持った。チンピラである。警察に隠したいことは山ほどあるはずなのに、取調官は転覆事件に関連付けてしまった。

 1970年大森勧銀事件 一審死刑 二審無罪
 無職のグータラ男が勧銀事件を聞いて、俺がやったと友人にほら吹いたことが警察の耳に入り、連行され、「このまま、否認していると、田舎の母親が村八分になる」と脅かされ、自白。

 1987年大阪引ったくり事件 日弁連無罪事例集第1集登載
 大阪駅前の商店街で被害者から引ったくりの犯人と誤認され、警察に同行し、警察官から「認めれば直ぐ帰してやる」と言われ、帰りたい一心で、被害者に「申し訳ありません」と土下座してしまい、それまで半信半疑であった被害者に決定的に犯人と確信させてしまった。
 この世の中、何でも謝れば済む、と思っている人がいます。一方、謝って済めば警察は要らない、と考えているのが警察官です。

 1974年甲山事件 22歳保母による精薄児童殺人事件 無罪判決
 死体発見後、被告人が泣き乱れたことを、捜査用語の「後発現象」、被告人の捜索活動を演技と見なし、連行し、自白を強いた。取調官は易者のように被告人の人相態度を見て、犯人と決めつけたのであるが、証拠など何もなかった。

 1970年豊橋母子殺人事件
 文房具店の妻子が殺され、通いの店員に嫌疑、最初取調した取調官は何も気付かなかったのに、その後現場検証立会のとき、ある捜査員が店員の顔にひっかき傷があると主任に報告した。この時撮影はされていないので重視されていない。その後捜査が難航したとき、主任はこのことを思い出し自白強要に走った。