裁判員裁判12−53
「自白調書の読み方」2013.1.15
                 2011年1月〜  宮道佳男
2012年刑事事件トピックス

@東電OL殺人事件
 再審でネパール人が無罪となった。この事件は一審で無罪判決が出ており、本来はこれで決着が付くべきところ、検察が粘って無罪なのに勾留を続けさせ高裁で逆転無期判決という特異な経過を辿った。
 高裁最高裁の論理は、被害者が最後に会ったのは被告人以外にあり得ない、というものである。しかし、街娼であった被告人の交際相手は不特定多数であることを見遁していた。DNA鑑定で被告人以外のDNAが検出され、被告人以外の第三者が犯人である可能性が浮かび上がり、再審無罪に繋がった。名張事件が一審無罪であったように、検察の意地の控訴が真実発見を妨げた例となった。お前以外犯人はあり得ない、違うというのならば証明してみよ、という論理が通用してきたのにはおどろかされる。
Aパソコン遠隔操作脅迫事件 現在進行中
 パソコンメールで脅迫状が送信された事件で、警察は発信に利用されたパソコンの所有者を犯人と見なして検挙した事件である。
 脅迫状が郵送されてきて、差出人欄に住所氏名が記載されていたとき、「あっ、こいつが犯人だ」と思うであろうか。偽名を騙っていると思うべきである。しかし、警察は、パソコン所有者のIDを調べてこいつが犯人に間違いないと速断してしまったのである。
 これで、4人が逮捕勾留され、2人が自白した。真犯人から告白メールが発表され、検察は起訴の取消をして冤罪事件は途中で解消できた。真犯人は何を意図したのであろうか。以前に冤罪事件で酷い体験をしたことがあり、特に自白の強要とかで警察に深い恨みを抱き、報復としてこの事件を仕組んだものではないか。
 警察は、逮捕された4人に対して「お前のパソコンから発信されたからお前以外に犯人はあり得ない。否認していると勾留が続く。所詮軽い罪だ」と言ったことは間違いがない。昔のように、拷問・強要をするほど警察は凶暴ではない。
 4人の内、2人が、この説得の言葉に乗り、自白をした。この自白は、拷問・強要による自白とは言えない。任意虚偽自白というべきである。任意虚偽自白の発生可能性は50%なのである。真犯人はこの統計数字を計算したくてこの事件を仕組んだのではないか。電車痴漢事件が頻発している。否認する人、釈放されたくて任意虚偽自白をする人、様々いたが、任意虚偽自白の発生率など計算できなかった。この事件のお陰で、50%という統計数字を得た意義は大きい。
 任意虚偽自白があっても、補強証拠が必要という原則は大事である。しかし、裁判官は自白が有れば、補強証拠を無視仕勝ちなのはいつものことである。
B三鷹事件再審申立
 1949年発生の6人死亡電車暴走事件、10人が起訴された。共産党による陰謀事件とされた。10人は、自白派と否認派に別れていたが、9人は共産党員で竹内景助はシンパであった。きつい取調に耐えかね自白と否認に動揺していた竹内は公判で単独犯行を自白し、その後撤回し、又自白した。裁判所は竹内の単独犯行説を採用し、竹内のみが無期懲役判決となり、9人は無罪釈放された。竹内は控訴審で無罪を主張したが、控訴審は死刑判決となり最高裁で確定した。
 竹内は再審請求したが、1966年脳腫瘍で死亡した。
 竹内は同志を助けるために、男気を発揮して単独犯行の自白をしたのではないか。当時、松川事件など共産党の陰謀とされる電車転覆事件や騒乱事件が頻発していた。有罪ならば10人の多くに極刑が予想されていた。松川事件では死刑判決が乱発されていた。法廷での単独犯行の自白は、任意虚偽自白である。その動機は男気と想像することは飛躍ではない。竹内は特攻隊世代なのである。人のために死すことは美しいとされた時代であった。
 同志9人は釈放されたが、やっぱり犯人は竹内かという声が竹内を苦しめた。地裁の無期判決ならば仮釈放の希望もあったが、高裁の死刑判決により竹内は絶体絶命に追い込まれた。任意虚偽自白をしたことへの後悔、死刑への恐怖が竹内の脳髄を苦しめ、脳腫瘍を発症させた。
 裁判官が竹内の任意虚偽自白に補強証拠があるのか真剣に検討した気配はない。転々としたものの、法廷内での自白があることに安心してしまった。竹内の自白とおりにハンドルに紙紐を巻いても電車は暴走しないのである。自白のウラ取りがいい加減にされてしまった。
 竹内の死亡により再審申立は終了となったが、決定書には異例な付言が残されていた。「本件は、実質上、これで終止符が打たれるものではない。今後他の請求権者の同一理由による新たな再審の請求を妨げるものではないことは勿論、そのような請求があったばあいに、死亡した竹内請求人および弁護人らの作成提出した幾多の書類は、当然、裁判所のする取調のための資料となることはいうまでもない」
 竹内の遺族の再審申立は長らくなかったが、ようやく2011年11月に申立がなされた。
 竹内の自白の虚偽率は50%である。