裁判員裁判12−54
「自白調書の読み方」2013.1.25
                 2011年1月〜  宮道佳男
7、取調官の思想の紛れ込み
 
 取調は一問一答式、自白調書は物語式です。
 取調官は一問一答を終えると、彼の脳みそを動かして、物語を書き始める。事実を核とすし、表現も出来るだけ、容疑者の口から出た言葉を用いるようにする。方言ならば、そのまま用いた方がリアリティがあるから、そうする。
 容疑者の思想を書き写すつもりであるが、取調官は自分の思想から自由ではあり得ない。自白調書の何処かに、取調官の思想が紛れ込む。
 容疑者は自殺歴を語ったとしよう。そして事件後自殺を企てて未遂に終わったとしよう。犯行の責任を取るために本気で自殺しようとしたのか、或いは自殺を試みたことにして同情を買おうとしているだけのことか、疑惑が湧く。
 過去の自殺歴を質問し、いずれも、軽い傷害で終わっているとき、取調官は「自殺は本気ではなかったか」と問う。容疑者は、意外に思い、「本気でした」と答える。取調官はその顔色を窺う。取調官に過去の自殺歴があり、「勇気のない死に損ない。死んでも死にきれない自分」に自己嫌悪感を抱いているとしたら、同情を買うための自殺と見なし、自白調書にこのように書く。
「過去に自殺をしようしましたが、勇気が無くて失敗しました。死んでも死にきれない自分がいることを思い知り、嫌になりました」と書く。取調官は「これで良いだろう。君の言うことを書いておいた」と言い、容疑者は「こんなもんかな」と署名します。
 こうして、取調官は、犯行後の自殺もそのようなものだと、裁判官に暗示を与えるのです。
 取調官に自殺体験と未遂に終わった自己嫌悪感が無ければ、こんなことを書きません。自白調書には取調官の思想が紛れ込んでいます。紛れ込んだこの思想が容疑者に不利益を及ぼさないように注意しなければなりません。
 自殺未遂者に「何故死ねなかったのか」と問えば、死ねなかった事実を痛恨している未遂者は、敗北感に打ちのめされます。取調官は未遂者に、偽装自殺を認めさせる必要はない。自殺が本気でなかったことを認めさせれば足るのです。
「勇気が無かったのでしょ」の質問は、未遂者を打ちのめし、「勇気がなかった。死ねなかった」の自白調書へ誘導できます。もう取調官は被告人と同思想だと納得し、この線で裁判官を暗示にかけるのです。

 取調官のご奉公精神が自白調書に映し出される。
 警察官は皆社会治安の維持のためにご奉公のために奉職されたことは事実です。被疑者を前にすると、ご奉公精神が目覚め、被疑者に訓戒を垂れなければならないと決心します。たとえ、被疑者が無実であっても。
 日石土田邸爆破事件 第2走者(運転免許試験場にいたというアリバイ成立者)の自白調書 3通
「私はすさまじい勢いで誰もが共通な人間とか、社会とか、使命や価値などについて熱心に追求されている取調官に強く胸を打たれました。従来、警察とは法に触れた人間をただ追求するものだとうわべばかり見ていました。ところが、今日の刑事さんは同じ人間として、また社会人として君の不幸な状態を見捨てるわけにはいかない。どうしてこのような不幸が生まれたのか、人間的に社会的に究明し、至らぬ点を教え育てることが大切であり、その仕事までたずさわるのが今日の市民警察であると言ってくれました。そして過去の取り扱った実例を示して私をさとしてくれたのです」
「私を調べてくれた刑事さんは私の印象と反対に、とてもいい人ばかりでした。とくに今日の刑事さんは私の事件の真相を極めるほか私を社会に役立つ人間になれと熱心に訴えてくれました。そのような心ある人のお陰で私は罪を清算し、人に認められる人間に立ち返れると思うとむしろ生涯に希望が生まれるので不思議です」
「人間愛について、すさまじい勢いで追求されている刑事さんに会い、あれこれと考えてみました」
 無罪判決が確定したとおり、この被疑者は無実です。
 この被疑者の前にいる取調官は有罪だと疑っています。むしろ有罪と信じているのでしょう。人間愛とか社会の使命とかをすさまじい勢いで説教しています。無実の被疑者はこの説教を聞かされていますが、多分頭に何も記憶されていないはずです。説教が脳の中を通過しただけです。ところが、この自白調書には被疑者の言葉として書かれています。被疑者が自白した言葉として「私はすさまじい勢いで・・・」が書かれています。被疑者はこんなのを語っていないのに、取調官は書いてしまい「お前のために書いてあげた」と恩を売るように署名押印を求めるのです。
 取調官は、人間愛とか社会の使命とか説教をさんざんした揚げ句、「分かったか」と聞きます。被疑者が「ハイ」と答えると、2時間待たせて自白調書作りに精だし、署名押印を求めます。決して被疑者に取調官の説教文句を反復させることはしません。覚えているはずもないからです。
 一審東京地裁は無罪判決を出し、その他の被告人の自白調書の任意性を否定しましたが、この第2走者の自白調書だけは任意性を認めてしまった。強制・拷問・脅迫がないからと言うのである。運転免許試験場に行っているという完璧なアリバイの持ち主が「やった」というウソの自白をしているのに任意性ありとするのは、真に不思議である。
 裁判官はこの自白調書の字面を読んで、この通り被疑者が口から語ったと思いこみ、取調官のすさまじく熱心な取調に触れた被疑者が改心し「刑事さんはとてもいい人ばかりでした」と語ったと思い込んで、任意性を認めた気配である。
 無罪の人間が改心する筈ないでしょ。
 第2走者は併合審理前は公判で事実を認めていた。裁判官が任意性を認めたのはこのことも原因になった。無実の人間がウソ自白して公判でも維持する。裁判官はこれが理解できない、山ほど事件を担当しても理解できないことが珍しくない。狭山事件の一審では、被告人は認めていた。死刑判決がおりても、取調官の10年で出してやるの約束を信じ、全く動揺しなかった。