裁判員裁判12−55
「自白調書の読み方」2013.1.29
                 2011年1月〜  宮道佳男
8、「兇器は、海に捨てた。脅迫文は燃やした」との自白は怪しい。

 ブツがなくなり、自白の信用性のウラが取れないのです。
 迫られてハイ自白をしてしまうと、次に「兇器や脅迫文はどうした」との質問になる。ウソ自白を維持するために、又ウソ自白をする。「山に埋めた」と自白すると、発掘に立ち会わされ、汗まみれになった取調官に叱られる。「川に捨てた」と自白すると、川浚いに立会させられ、濡れ鼠になった取調官に又叱られる。
 結局、大森勧銀事件では、捜索にいかなくて済むように、「品川埠頭から思い切り遠くへ投げました。燃やしました」と知恵を巡らします。
最高裁決定昭和57年3月16日判例時報1038-39「見過ごすことができない重要な点は、品川埠頭付近の海底を2日間にわたって、潜水夫、マグネット、底引き網を使用して捜索したにもかかわらず、ついに発見されなかったことは、自白の信憑性に少なからぬ疑問を投げかけるものと言わざるを得ない」
 
 公判中に兇器が出現してくれれば、助かるのですが、出現しなければ、このまま公判は進行してしまい、判決で「兇器の処分先について、素直に自白せず、捜査を混乱させたことは改悛の情に乏しいものと言わざるを得ず、重罰は避けがたい」と書かれてしまいます。
 自白の変遷の結果としての「海に捨てた」には要注意です。
 海に捨てたのならば、発見されなくてもやむを得ないじゃないか、との批判があり得ます。
 鹿児島夫婦殺人事件 福岡高裁宮崎支部有罪昭和55年3月4日
「兇器とされる馬鍬は特殊なもので、被告人が供述しなければ捜査官も覚知しえなかった。貨物自動車の荷台から転落したかについては、荷台に腐食孔があり、転落実験報告書によると、振動で転落することのあることが記述され、その可能性を否定できないこと、馬鍬は被害者が持ち出したもので、被害者が死亡してその供述が取れない以上、その出所を明らかにすることも困難である。捜査官は被告人の自白に基づき付近一帯を鋭意捜査に努めたけれども遂に発見するに至らなかったというのであるから、発見されない一事をもって兇器に関する被告人の自白の真実性を否定することは相当ではない」
 最高裁判決「自白によると、被告人は馬鍬の刃を用いて被害者を殴打しその頸部を絞めて殺害した後、兇器を後部荷台に投げ入れて帰宅の途につき、現場から約700米離れた郡界付近で見たら紛失していたというのであり、もしも自白が真実であるとすれば、兇器は後部荷台から何らかの理由により路上に落下したものと考えるほかなく、原判決は兇器が被告人車の後部荷台の腐蝕孔から路上に落下した可能性を否定することが出来ないとしている。しかしながら兇器が腐蝕孔から路上に落下する可能性は、これを完全に否定することができないにしても、その蓋然性はきわめて小さく余程の偶然が重ならない限りそのようなことが起こるものではないことは、落下実験報告書の記載自体に照らして明らかなところである。のみならず、兇器は全長30センチに達する決して小さいとはいえない鉄製の棒であり、またそれ自体としてほとんど財産的価値がなく第三者によって拾得される蓋然性の乏しいものなのであるから、兇器が真実路上に落下して紛失したのであれば、後日の捜査によってこれが発見されない合理的な理由はないように思われる。記録によると、警察は現場付近一帯について大量の捜査員を投入した大がかりな捜索を繰り返し行い、被告人の自白後は、自白に基づいて再度徹底した捜索をしたが、結局兇器らしいものは発見するに至らなかった。自白にはその重要な点に於いて客観的証拠による裏付けを欠くものといわなければならない」
 海に捨てようが、山に投棄しようが、警察は予算と人員を多量に投入して徹底的な捜索をするのです。ですから、出てこない筈がない。出てこないのは、捨てたという自白がウソだからです。

1970年豊橋母子殺人事件
 当初の自白調書 盗品は下宿の便所に捨てた。
 くみ取り式で事件後何月も経過しているから、既にくみ取り済みであろうと、警察はたかを食って自白調書を取ったであろう。しかし、事件後くみ取りをしていないことが分かり、警察は大慌てでくみ取りを掻き出したが、盗品は出てこない。
 追求後の再自白調書 盗品は渥美半島の伊古部埋立地に捨てた。広大なゴミ捨て埋立地は、海に等しい。警察は大捜索したが、出てこない。

1975年四日市青果商殺人事件
 便所に捨てたの自白、出てこないので、ゴミ捨てに出し清掃車が持って行ったと変更
 捨て場所が遠くへ遠くへと変遷する自白調書は要注意です。
 
 徳島ラジオ商事件再審決定「兇器を投棄した旨述べる当の本人が指示する場所(そこは川底であるから通常は何人も移動させることのできない場所である)を大規模な川浚えをして捜索した結果発見できなかったという客観的事実にもかかわらず、尚、そこに投棄した旨の証言を無条件で信用し、事実の認定に供しうるという採証法則があり得るであろうか」
 財田川再審無罪判決「被告人が投棄した兇器が発見できないことについて、隠滅の事実を他の証拠によって立証しない限り、供述の真否を確認できないから、捜索により兇器が発見されなかった以上、兇器は果たして流失したか、埋没したか、または投棄しなかったかいずれとも断定できず、結局投棄に関する被告人の供述は、その述べるところが変転していると相まって、供述そのものの真実性自体に疑いなきをえない」