裁判員裁判12−64
「自白調書の読み方」2013.4.5
                 2011年1月〜  宮道佳男
1970年豊橋母子殺人事件
 起訴後、被告人は被害者や友人に犯行を認める手紙を出している。
 取調官が被告人に勧めたからです。
 最初、被告人は「ご迷惑をお掛けしました」程度の文面を書いたら、取調官の検閲にあい、反省の意思を書き足すよう指導された。
 手紙を受け取った友人に取調官が直ぐに供述調書を取りにやってきた。
「どう思うか」
「そら、書いて有るとおり、やったと言うのだから、犯人でしょう」と答えると、その供述調書を取って帰って行った。裁判所へ証拠提出する為です。
 取調官が自信を持てないときに使う、常套手段なのです。

 取調官が証人出廷して「被告人は涙を流して改悛を誓った」と証言するときがあります。欺されてはいけません。涙を流した原因はいろいろありうる。多義的解釈ができるのです。

 1969年鹿児島夫婦殺人事件 1.2審有罪 最高裁破棄差し戻し
 控訴審判決 被告人が7月6日留置場で「二人殺したら死刑か無期になるだろう。僕は一人しか殺していない。7年位行くだろう。殺すときは手で締めた」と独白したのを、留置場係員が動静簿に記録した。被告人は法廷で「そんなことを留置場で話したことはなく、これは起訴状が来たとき、岸田が「お前はこういう風にやったのか」と言いますので「いやそうじゃないのだ」ということを言ったのです。これは井原と武田という警察官の共謀だと思います」と弁解している。ところで、起訴状が送達されたのは7月26日のことであるから、被告人の弁解が理由がないことは明らかである
 法廷での被告人への質問と弁解が噛み合っていないと思われる。被告人は起訴状送達の後の岸田署員との会話と質問された時の話とを混乱して弁解している。
 一審はこの動静簿を自白の補強証拠とした。しかし、動静簿は伝聞供述証拠であり、客観的書証として取り扱うべきではない。
 動静簿は、長時間の過酷な取調実態を証明する証拠として、弁護人が活用すべきであるが、かかる供述部分の取扱には要注意
 
※奥野正一、神谷太一郎、天日正次の刑事は愛知県警の誇りです。  
 ウソ自白なんてありますかと問う新聞記者に、神谷「3日あったら、お前に殺人を自白させるてやるよ。3日目の夜、お前は、やってもいない殺人を、泣きながら俺に自白するよ。右の通り相違有りませんと言って、指印も押すよ。いいか、自白なんてそんなもんだ。ただうたっただけでは、それこそ屁の突っ張りにもなりゃせん。真実は強し、されど虚偽は弱し」
自白 冤罪はこうして作られる 椎屋紀芳 風媒社

 警察官が弁護側証人として出廷した前例は1950年に発生した二俣事件がある。
 静岡県警を冤罪の巣窟として有名にさせた紅林麻雄警部が捜査の指揮官となったが、物証を軽視し、ヤマカンによる拷問自白強要を批判する部下の、小池清松刑事、山崎兵八刑事が被告人は無実と静岡地裁の法廷に立った。ところが、裁判官は最初から疑いの目を向け、1審2審死刑判決、最高裁破棄差し戻し→無罪
 山崎刑事は偽証罪で逮捕され、妄想性痴呆症の診断を付けて不起訴とされた。警察官を免職されたばかりか、今後の職の糧となる運転免許も取り消しされた。
 二人の刑事はその後島田再審事件救援に貢献された。
高杉晋吾著 権力の犯罪
警察官が弁護側証人として出廷したことは実に少ない。警察の組織内強制というか、警察一家意識でかばい合う。侍がいなくなったことを悲しむ。