裁判員裁判12−77
「自白調書の読み方」2013.7.5
                 2011年1月〜  宮道佳男
22、虚実混ぜてのウソは全体がウソ 枝葉or根幹・大筋説
浦和地裁平成5年6月23日判決 判例時報1506
 被告人が共犯者とともに自動車窃盗をしたと自白したが、検察官は共犯者関与の部分の自白は信用できないとして、単独犯行で起訴した。
 自白の一部にウソがあれば、自白全体の信用性を否定すべきとするのが、常識論であるが、この検察官は、共犯者を登場させれば、刑責が軽くなるから、虚実取り混ぜての自白をしたと主張した。
 ウソ自白論の本質に迫るテーマです。一つのウソがあれば、自白全体をウソと見ていいのか、それとも、虚実混ぜてのウソ自白というものがある、とすれば、その虚実をどのようにして分類しうるのか、被告人に有利な部分をウソと見なし、不利な部分を真実と見なす、とする手法が正しいのか、得手勝手の批判を免れないのか、興味が深い。

 これまで、自白の矛盾とか変遷とかを議論してきました。
 裁判で、自白の矛盾や変遷が証明されたとき、検察官は矛盾や変遷があっても、自白の基本部分は正しく一貫していると、尚、有罪の主張を続けるのです。その為、矛盾や変遷が自白の基本的部分か否かに争点が移ります。
 本件は、基本的部分か否かではなく、検察官が最初から虚実混ぜての自白と言い切って、被告人に不利な部分の自白を根拠にして、共犯を否定し、単独犯で起訴したものです。最初から自白大明神の祝詞を捨てて、虚実混ぜた自白と言うのですから、珍しいことです。検察官は、被告人を落としたことを自慢するのですが、この件では、落としきれなかったことを率先自白したのです。裁判官は検察官のこの論旨に賛成したでしょうか、それとも、余計に眉に唾を付けたでしょうか。
判決 確かに、死亡した者を共犯者に仕立て上げることはある。しかし、実在者を仕立て上げると、ウソがばれると、余計に刑責が重くなるかもしれないものである。被告人は共犯者の氏名をあげ、その同姓同名者は埼玉県で140人いるが、検察官は皆前科がないというだけで捜査を打ち切っている。被告人は共犯者が前科者と言ってはいない。これでは、共犯者がいないという検察官の主張は明白と言い難い。
 そこで、その他の証拠を検討する。取調官は周辺捜査をしないまま、取調に長時間を掛け、被告人から「俺がやったことにすればいいだろう」とのふて腐れた態度の自白を得た、公判最終陳述でも被告人は「もう役めてきます」と投げやりな態度を示している。被告人の鬱病的性格から、心ならずも虚偽の供述をする可能性を否定できない。扉の鍵を壊したとの自白は事実と矛盾する。犯行時間の自白が近隣者の証言と食い違う。よって無罪
 役めてきます、と言う被告人を無罪にした訳です。偉い裁判官と感心しました。

 虚実混ぜての嘘は全体が嘘、信用できない被告人の自白なのだと言うべきですが、反対の根強い意見があります。嘘は色々あるが、枝葉の嘘に過ぎず、やったという核心・根幹・大筋部分に於いては、嘘はないと断言するのです。弁護人が自白調書を調べて、事実との矛盾を証明し、自白調書の信用性を弾劾しても、この論法で有罪にしてしまいます。しかし、最高裁は安易にこの説に乗ることを禁じています。