裁判員裁判12−79
「自白調書の読み方」2013.7.18
                 2011年1月〜  宮道佳男
八海事件第二次最高裁多数意見「なるほど、吉岡の逮捕以来吉岡の供述は四転五転殆ど底止するところを知らないほどの有様であり、その中には虚言に満ちている部分のあることは、原判決の云うとおりである。しかし、記録を反復熟読すれば、吉岡供述の中には真実に触れ、これを如実に物語っている部分のあることを到底見遁し得ないのである。吉岡の供述は、素朴であり、判示に云うほどの不自然さも感じられず、むしろ大筋を外れていないと思われる。おしなべて、被告人の供述にしろ証人の供述にしろ、供述というものは枝葉末節に至るまで一致するものではないし、記憶違いもあり、しゃべり過ぎて嘘のある場合もあるだろう。だからといって、そのような供述が常に不正確で採用に値しないものということはできない。同じ供述でも採用できる部分もあれば採用できない部分もあるのであって、大事な点はその供述が大筋を外れていないかである」
 
「実務の経験が教えるところによると、捜査の段階にせよ、公判の段階にせよ、被疑者もしくは被告人は常に必ずしも完全な自白をするとは限らないということで、このことはむしろ永遠の真理といっても過言ではない。被疑者または被告人に事実のすべてにわたって真実を語らせることがいかに困難な業であり、人は真実を語るがごとくみえる場合にも、意識的にせよ無意識的にせよ、自分に有利な事実を潤色したり、意識的に虚偽を混ぜ合わせたり、自分に不都合なことは知らないと言って供述を回避したり、まあまあの供述をするものであることを、常に念頭に置いて供述を評価しなければならない」狭山事件2審寺尾判決 この判決は枝葉or根幹・大筋説 とは違いますが、よく似ています。被告人はウソと真実を混ぜて自白するものだから、自白からウソだけを取り除けば、残りは真実だ、というのです。しかし、残りが真実だと言える保障は何ですか。兇器は刺身包丁だとの自白、鑑定したら兇器は斧であった場合、兇器の点だけ自白はウソ、殺したこと自体の自白は真実と判決します。この説の根性悪いことは、ウソの自白を被告人の責任と言う被告人性悪説、そして取調官の責任を無視していることです。

 以上の考え方は、枝葉or根幹・大筋説と呼んでいいでしょう。確かに、枝葉or根幹・大筋とは抽象的には言えるでしょう。耳障りの良い分類法です。しかし、この説の危険性は、何を枝葉、何を根幹・大筋と見るか、判断基準があいまいなのです。特に、動機は枝葉か根幹・大筋か、どちらに分類すべきでしょうか。金銭か痴情かについて、被告人が嘘を言っていたとき、動機は枝葉に過ぎないと切り捨てて良いでしょうか。被告人は金銭が動機と自白したが、証拠調べをして、痴情と認定したとき、枝葉での嘘だから、殺したとの自白の信用性は認められると論旨を進めて良いでしょうか。有罪と認定したいのならば、もう一つ確実な物的証拠が要求されるべきです。
八海事件は、吉岡の単独犯行か、共犯かが争点となりました。吉岡は共犯と自白しましたが、吉岡の自白調書は、犯行自体については自白は理路整然としていますが、共犯の行動になると、矛盾を重ねるのです。ここを嘘と認定した場合、理路整然たる犯行自白も嘘かどうか、争点となりました。大議論のため、第三次上告審まで紛糾したのです。
 決着付けた第三次上告審判決「吉岡供述は、共犯者の有無、人数、顔ぶれにつき10回余りもの供述の変遷が見られるのであって、このこと自体が同人の供述全般の信用性を疑わしくしている。・・・本件犯行の刑責は優に極刑に値することは何人も想到しうる・・犯人が自己の刑責の軽からんことを願う余り、他の者を共犯者として引き入れること・・その例なしとしない。もっとも、この点のみによって吉岡供述を虚偽ときめつけることの相当でないことはいうまでもなく、その供述内容が他の証拠によって認められる客観的事実と符合するか否かを具体的に検討することによって、さらに信用性を吟味しなければならないのである。しかし、この場合に、符合するか否かを比較される客観的事実は、確実な証拠によって担保され、殆ど動かすことのできない事実か、それに準ずる程度のものでなければ意味がない。本件に於いては、吉岡の供述は、それが自己の行為に関する部分については、確実な物的証拠により裏付けられているのであるが、他の被告人らの行為に関する部分については、必ずしもかような物的証拠は存在しないのである」
 確実な物的証拠 虚実混ぜての自白の信用性判断は、確実な物的証拠 で決定されたのです。枝葉or根幹・大筋ではなく、確実な物的証拠に裏付けされるか否かで決めるべきなのです。
 枝葉で嘘が認められても、枝葉で嘘があるだけで、根幹・大筋で「やった」と自白しておれば、信用性があると論旨を進めてはいけないのです。枝葉で嘘があれば、自白した被告人の信用性全般が疑われ、「やった」という根幹・大筋部分についても信用性を失うと論旨を進めるべきなのです。どうしても、有罪認定したいときは、根幹・大筋部分の自白に確実な物的証拠の裏付けを必要とすべきです。