裁判員裁判12−82
「自白調書の読み方」2013.8.6
                 2011年1月〜  宮道佳男
山中事件 最高裁判決 平成元年6月22日 判例時報1314-43
「死体の隠匿状況に関する供述が、暗くて確認できたとは考えられない状況を述べたものであることを前提として、死体隠匿状況という犯行の主要部分について、自分の体験しないことをあたかも体験したかのように供述している疑いがあるから、同人の供述中の他の部分にも同じような供述が含まれているのではないかとの疑いを払拭できない」

 動労鹿児島機関区暴行事件 最高裁 昭和56年10月29日 破棄差戻
 判例時報1035-141 一審無罪 二審有罪
 昭和43年動労と鉄労が激しい対立をしていた時代、動労組合員が鉄労組合員に暴行を働いたと起訴され、一審は「被害者が被告人の暴行行為を名指しで明確に証言したが、反対尋問で他の証人と食い違う証言をしたり、前後の公判で異なる証言をしたり、しばしば絶句したりしたため、被害事実そのものについての証言も信用できないとして無罪」とした。
 二審は「被害者の証言の矛盾点が、基本的部分以外の事実に関するものであるところ、枝葉末節の事実に関する証言にそのような欠陥があっても、基本的部分に関する証言が信用できないとはいえない。刑事犯的出来事についていえば、特段の事情の存在しない限り、事実に反してまである職員を目しわざわざその名を指摘してまで、犯罪的呼ばわりをすることがあるなどとは到底考えられない」と罰金刑に処した。
 最高裁「原判決は、同じ国鉄職員同士が事実に反し他の職員を名指ししてまで犯罪的呼ばわりすることは、対立抗争があったとしても、特段の事情がない限り到底考えられないという大前提に立っているのであるが、被告人と被害者とは動労と鉄労という深刻な対立抗争があり、本件はその過程に於いて発生した・・そのような事情は暴力行為の発生しやすい情況と解しうるとしても、反面、そのような事情のもとでは、それらの一方がことさら事実を誇張し、あるいは誤解するなどして、相手方同僚を名指しし、暴力を振るったと言い立てることもありえないではないから、本件の如く労働紛争や派閥対立に根ざす事件に於ける供述証拠の信用性評価の基準として前記の大前提を用いることは相当ではない。
 原判決は、供述の基本的部分に注目すべきで枝葉末節に拘泥してはならない旨の一般論を掲げ、本件に於いて被害者の証言は基本的部分で一貫しているとも判示し・・右証言を信用できる理由としているのであるが、右説示に掛かる一般論はそのとおりであるにしても、本件では第1審判決が、右各証言の信用性に影響を及ぼすと認めたところを詳しく指摘しているのであるから、原判決としては、それらを枝葉末節にこだわるものと解する理由を解明すべきであった。・・・原判決には、採証法則の違背ないし審理不尽の違法あるものと言わざるを得ず」
 枝葉or根幹・大筋説に対する最高裁としての興味深い判決です。枝葉という理由だけで証言の矛盾を切って捨てることは、採証法則に違背すると言うのです。採証法則の違背、とは重たい言葉です。
 さて、最高裁が批判した高裁の大前提と言う「同一職場従業員同志で名指しでわざと犯罪者呼ばわりをすることはありえない」についてですが、電車痴漢事件では、多用されてきたのです。
 法廷で被害者が「あの人に触られました」と泣きながら証言すると、裁判官は「わざわざ偽証しに来る筈がない」と思い込むのです。
 しかし、恐喝目的で痴漢冤罪事件を仕立て上げようとしたことが発覚して、実刑になった大阪の例もありました。被害者が犯人を取り違えている例もあります。
 痴漢の玄人になりますと、遮蔽の技を巧みに用い、被害者の尻部に他人を押し当て、その隙間から手を差し入れて触るのです。被害者は犯人を一番近い人と誤解します。この世の中は、何でもありです。裁判官は疑り深くならなくてはいけません。この世は善人ばかりと思っていると、落とし穴に陥ります。偽証する人も誤解している人も、見抜けません。