裁判員裁判12−84
「自白調書の読み方」2013.9.30
                 2011年1月〜  宮道佳男
松山事件 判例時報1127-34
  自白では、一室に就寝中の一家4人の頭、顔を薪割りで3、4回ずつ切りつけて殺害し、帰途溜め池で着衣を土に混ぜて洗った、9日目に被告人の兄嫁が上着を固形石鹸で手洗いし、29日目にズボンを固形石鹸で手洗いしたとされる。
 鑑定書によると、着衣の血液検査は陰性であった。
 検察官の主張「被告人は返り血の有無が犯行の決め手になることに不安を感じて、着衣の特定、その事後処分については、取調の都度思いつきでその場凌ぎの供述をしたもので、真実を語っていないと解されるから、右の事項に関する供述が変遷していることをもって被告人の自白全体の信用性に影響を及ぼすものと評価するのは相当でない」
 判決「検察官が言うように解する余地もなくはないとしても、4人もの頭部を薪割りで殴打して殺害した場合、犯人は相当多量の返り血を浴びると考えられ、そのとき着ていた物が発見されているか、あるいはそれの処分状況が判明しているかどうかが、犯人を特定する上で重大な点であるところ、被告人の着衣に関する供述が虚偽であるとすれば、その点についての自供が得られていないこととなり、それでは真実はどうであったのかについて検察官から何らの主張もなく、これを証明すべき証拠もないのであるから、被告人を犯人とするには事実雄大な難点があり、やはり自白全体の信用性に影響する」
 着衣に返り血がないことは、消極的事実である。一旦自白がなされると、その自白に目を奪われ、消極的事実との矛盾に注意がいかず、検察官の言うような被告人の罪障隠滅工作と見てしまう危険性がある。
 消極的事実との矛盾の解明の責任はやはり検察官にある。
 枝葉説の一番悪い例は、枝葉のウソ自白を捜査を混乱させる為の虚偽自白と断じたり、被告人は真実の自白をしたものの公判で争う余地を残す為にウソ自白を混ぜたと、被告人の責任とすることです。取調の圧倒的勢力の下で、被告人にそんな知恵も体力も残っていません。被告人性悪説に立った、とんでもない説ですが、根強くあります。
 袴田事件 パジャマ姿で殺害に及んだと自白したが、公判中に味噌樽から血染めの着衣が発見された。パジャマ姿の自白はウソ、犯行自白は真実との枝葉説となります。パジャマ姿だけウソを自白するでしょうか。
 自白の中に、一つウソが発見されたとき、検察官はそのウソの理由を説明できなければ、自白全体を疑うべきです。そして、ウソの発見方法は、物証との矛盾、秘密の暴露、説明の欠落、無知の暴露、自白の変遷、拷問・脅迫の有無です。