裁判員裁判12−90
「自白調書の読み方」2013.10.26
                 2011年1月〜  宮道佳男
27、信用性の証明責任は誰だ、ない訳ではない、の二重否定は証明責任放棄
被告人が自白を否認したとき、被告人が法廷で否認して述べることが正しいのか、それとも取調で自白したことが正しいのか、が審理の対象となる。その過程は、疑問排除型と心証累積型に別れるが、検察官に証明責任を負わせているから、疑問排除型が正しい。
 被告人の法廷での弁解は是認できない訳ではない。→無罪
 被告人の取調での自白は虚偽とは言い切れない。 →有罪 !?

日野町強盗殺人事件1984年 老婆殺し 
被害品の手提金庫の中には、小銭類が保管されていたのに、行方不明になっている。預金通帳も奪取されている。しかし、自白調書では小銭類と預金通帳を奪ったことの記載がなく、紙幣約5万円を奪ったと記載がある。自白調書では、死体を搬送するとき警察署の前を通ったというのに、死体に覆いをしなかったと記載がある。
有罪一審判決「荷台の死体に覆いをしなかったとの自白は一見して不自然。自白内容に従って事実認定ができるという程自白の信用性が高いととは考えれないとして、被告人の自白には、他の証拠と明らかに矛盾する部分があり、これは忘却等では説明できない。被告人の自白の大筋部分が一貫しているとはいえ、その大筋部分にも矛盾点(被害品・物色場所等)がある。なお、自白の一部に虚偽の部分があっても、真実の部分と虚偽の部分とを分離できる確実な証拠があれば、その分離された真実の部分の信用性を認めることができる場合もある。しかし、被告人の自白中の本件犯行にかかわる部分から、特に一部を取り出して信用性を認められるかについては、そのような根拠を見いだすことはできない。自白調書の信用性を否定し、自白以外の情況証拠から被告人が犯人であることを認定できるとして、有罪」
有罪二審判決「一審の言う情況証拠はそれだけでは被告人と犯行を結びつけるものではないとし、一審とは逆に自白の信用性を認め、その自白及び被告人のアリバイ主張の虚偽性とを総合すれば、被告人を犯人と認定できる」
再審請求棄却決定「運搬の時、死体を覆わなかったことは、理解しがたいものであるが、気が動転していたとすれば、理解できないものではない。自白の内、金庫内容物に関する部分は、真実を語ったものではない疑いがある。しかし他方で、金庫には自白の通り現金が入っていた可能性を否定できないし、そもそもこれらは強盗殺人事件の犯行を終えた後の行動に関する供述であって、自白の核心部分ではない。仮に被告人の自白のうちこれらの部分について虚偽が含まれていたとしても、これが自白の核心部分の信用性を揺るがすものとはいえない。自白には、いわゆる秘密の暴露は含まれておらず、いくつかの点に於いてその内容の合理性や他の証拠との整合性に疑問が残り、その疑問点の一部は自白に虚偽が含まれている可能性を示すものであるが、自白は極めて自発的に行われており、その内容は詳細かつ具体的で一貫しており、上記のいくつかの点を除けば合理的で他の証拠とも整合しているし、被告人が被害品の金庫を投棄し、被害者の死体を遺棄した場所として捜査官を案内した場所が、まさしく金庫と死体が発見された場所であったことにより裏付けられている。また、上記の通り、自白の一部には虚偽が含まれている可能性があるが、自白の核心部分の信用性を揺るがすほどもものではなく、その他の疑問点については必ずしも合理的説明がつかないものではない。
 被告人が死体現場案内をできたことを有罪の根拠とする判決であるが、捜査官は死体の場所を知っており、連れて行って誘導した可能性がある。判決も秘密の暴露はないと判示している。現場引当が公正になされたのか、何ら保障がない。
 現場検証で立会人を徴することになっている。多くは同居人とか管理人である。
 被疑者が死体遺棄現場に捜査員を案内できるか否かは、白黒を決定する最大の分かれ道です。捜査段階の最大の行事、ショーなのです。しかるに、捜査員は立会人も呼ばず、捜査員だけで被疑者を取り囲み、既に判明している死体場所へ誘導している可能性があり、公判で弁護人から批判されることは当然予期すべきことであるから、現場引当に当たっては、慎重なる手続きが要求されるべきである。特に、捜査員は現場引当の時、弁護人には内緒にしておくのが通例である。一回行って空振りに終われば、後日何度も引当をする。このように教育しているうちに、被疑者は捜査員の期待するところを読み取り、捜査員が示唆する場所を指さしすることとなり、捜査員は喜んでその指さし姿を撮影するのです。裁判官はこの現場引当調書のこの写真に欺されてしまうのです。捜査員は空振りに終わったときの現場引当調書を作りません。間違えた場所を指さししている写真を撮影しないのです。
 現場引当には、弁護人の立会権を認めるべきです。そうすれば、公判で弁護人から、誘導指示があったと主張されることは回避できます。捜査手続きの公正保障が大事です。
 捜査官は弁護人がお嫌いです。捜査の守秘義務とか、手の内を晒さないということで、雑談することさえ避けます。その代わり、弁護人が被疑者と何を話したかについては関心が大で、弁護人が面会から帰ると、被疑者に何の話をしたかと、根掘り葉掘り聞き出します。時には捜査報告書や被疑者の供述調書に仕立て上げます。これは弁護人接見交通権の侵害です。
 鹿児島の選挙違反事件で、接見禁止つきのとき、弁護人が家族の手紙を面会室のガラス越しに被疑者に読ませたことがありました。取調官はこのいきさつを被疑者に自白させ、それを証拠に付けて国選弁護人解任申立をして裁判所が認めたことがありました。秘密接見交通権を侵害しておいて怪しからんのです。
 捜査官は発想の切り替えをすべきです。捜査の公正担保の手続きの中に、弁護人を引きづり込むことです。被疑者が兇器の捨て場所を自白したら、捜査官は弁護人に「捨て場所の現場引当に行きますから弁護人も立会しませんか」と勧誘すれば良い。
 この引当が成功すれば、弁護人は言うべき抗弁を失います。
 弁護人が多忙で立会できないと返事したら、これ幸い、引当調書に、弁護人立会不出頭と書いておくのです。最近は、当事者主義とかがやかましく唱えられており、弁護人が公判で「現場引当で捜査官の誘導指示がなされた」と主張しても、裁判所は簡単に退けます。「立会もしなかったのに、何を言うか」
 現場検証でも、弁護人に立会させれば良い。有名な狭山事件では被疑者自宅捜索で被害品の万年筆が出なかった。被告人が「風呂場のしきいの上に今も隠してあります」との自白を得てから、3回目の捜索で鴨居の上から発見された。鴨居は手が届く高さであり、3回目の捜索での発見に疑惑が生まれた。弁護人は捜査官のでっち上げだと主張して、再審中です。これなど弁護人の立会権を認めておけば、簡単に論点の解消ができたのです。狭山事件再審中ですが、万年筆は俺が 置いたという捜査官が名乗り上げしない限り、再審無罪は難しいでしょう。

「ないものではない」という理屈で有罪にしてしまう。有罪にする為には「この証拠により、ある」と断定すべきなのです。これが証明責任の結論です。