裁判員裁判12−91
「自白調書の読み方」2013.11.15
                 2011年1月〜  宮道佳男
28、任意性のある率先ウソ自白
 
大命題「自白すれば極刑が予想される事件でウソの自白をすることは考えられない」は成立するか。
今までは、拷問・強制・偽計・利益供与などの違法な取調の結果、自白に任意性の疑いが発生し、証拠能力を否定しなければならない場合、及び任意性は認めるものの信用性の疑いが残る場合について、論じてきました。
 しかし、そうではない場合があります。被疑者がわざとウソ自白をする場合です。理由は様々です。
 簡単な例は身替わり自首です。親分から「お前、この拳銃を持って自首してこい」と命令した場合で、前の23項で書きました。
「なぜ無実の人が自白するのか」の高野隆弁護士の序文には「グッドジョンソンは、強制された結果、自己同化された虚偽自白という類型と、任意になされた虚偽自白という類型を挙げている。前者は、取調官の強制によって被疑者が記憶に自信を失い最終的にはやってもいない犯罪をやったに違いないと確信して自白するに至るケース、後者は、無実であるという明白な記憶を維持しながら、何らかの打算的な理由で意図的に虚偽自白を行う場合である。これに対してオフシーとレオは、強制された結果かどうかに関係なく、確信してなされた虚偽自白という類型を挙げている」 
確信して、とか 打算的な理由 については疑問があります。確信していなくても虚偽自白をするし、打算的理由がなくても、虚偽自白するでしょう。
 要するに、虚偽自白というものは類型としてあり得ることは東西認められているのであり、任意性の確保だけでは虚偽自白は防止できない。
 重大事件の嫌疑をかけられたことを契機として、自殺したい、むしろ死刑になりたい、この世の精算をしたいと、「やりました」と自白し、取調官から教えられた手口をなぞるように自白する人がいます。そこに、拷問も強制もなくても自白します。こんな自白調書に任意性があることは当たり前のことで、ウソ自白排除のための任意性の理論は役に立ちません。自分勝手にウソ自白したのだから、勝手に死刑になれと突き放すことは出来ません。判例が打ち立ててきた任意性の理論をこの分野にまで広げる必要があります。
 特異な例を言っているのかと思われそうですが、稀なことではありません。名張事件再審異議審名古屋高裁刑事2部では「自白すれば極刑が予想される事件でウソの自白をすることは考えられない」と判示しました。この事件では、逮捕後間もない自白があり、拷問も強制もなかったようです。ならば任意性はあることになります。「事件で死亡した妻が真犯人ではないか」と口走っていた被告人は「実は自分が毒殺した」と自白をしました。任意性がある自白は原則として信用性もある、というのが判例です。逮捕数日後の自白調書だけが証拠となって、被告人は死刑にされました。「事件で死亡した妻が真犯人ではないか」と「実は自分が毒殺した」との自白については、アメリカの心理学者にかかれば、検察官申請弁護人申請ともに山ほど心理学的解釈を証言するでしょう。こんなところに費やすのではなく、物証はあるのか、の基本点に立ち戻るべきです。