裁判員裁判12−93
「自白調書の読み方」2013.11.29
                 2011年1月〜  宮道佳男
アメリカでも、この大命題には弱い。特に法的訓練を受けていない陪審員は確信する。補強証拠がなくても、又は被告人に有利な証拠があっても無視し、自白の盲目的信頼を置く。日本の裁判員もそうだ。
(なぜ無実の人が自白するのか 2008年 SAドリズィン・RAレオ  日本評論社)の94P 結論は言っている「陪審裁判を選択した無実の被告人のうち81%以上が、後に完全に虚偽自白であったことが立証された。言い換えると、アメリカの被告人には公判にかかわる権利について多くの手続き的保障がされているにもかかわらず、陪審裁判を受けた無実の被告人のうち、結果として無罪評決を受ける者のおよそ4倍の確率で有罪になる可能性がある。裁判官も陪審員も、信用できる補強証拠を伴わず、被告人が無実であることを示す説得力ある証拠があるときでさえ、自白証拠の証拠的価値に盲目的な信仰をおく」
 
 心理学的取調の愛好者や人相見は、被疑者が「やった」と自白したとき、たとえ裏付ける証拠がなくても、真実と思い込んでしまう。「やっていない」のならば、断乎怒鳴りつけるくせに。
 「やった」の意味は何か。取調官の想定を確認しただけか、認めればどうなるのかの試し回答か(被疑者とて試し尋問をするのです) ウソの死刑でも服罪したいとの自己負罪か、やったと言えばいいのだろうとの居直りや反発か、厭世観の発露・死にたいと言っただけのことか、
 しかし、取調官は必ず有罪を確信してしまいます。その後、被疑者が否認に転じたら、大変なことになります。取調官は「あのとき、やったと言ったろう」と激怒します。当たり前のことですが、人間、嘘を付かれると嫌な思いをします。 別れを告げる恋人に言い返す言葉は「愛してると言ったじゃないの」確かにあのときそう言った。なんとかうまく弁解しなければならないが、正解の言葉は思いつかない。びんたされる位なら可愛いが、刺されたら大変です。
 被疑者がブツブツ言った言葉は、取調官を納得させない。「本官を愚弄するのか」ますます、取調官の確信は強固になるのです。
 やった、やらんは被疑者の口癖、愛した、愛してないは恋人の言葉遊び、と割り切って、「やってない」と被疑者に言われたら、証拠を探しに取調室を出るべきです。