時事評論 1 |
「 拉致問題の解決 」20060630 |
横田めぐみさんの夫と言われる男が、実母と実姉に面会したうえで、「海岸の船に入って寝たところ、流されて北鮮の船に救助された。労働党の特殊機関で働き、再婚し、幸せに暮らしている」と拉致を否定した。 日本人の中学生であった寺越政治氏は日本海で二人の叔父とともに漁船に乗り込み操業中、行方不明となった。その後北鮮で生存していることが判明し、一時帰国したことも、実父母が北鮮の寺越氏宅を何度も訪問したことがあるし、2006年6月も実母が北鮮へ訪問している。 寺越氏の話では、「遭難したとき北鮮の船に救助され、叔父がどうなったかは知らない。その後北鮮で生活し、朝鮮労働党の地区の副委員長にまで出世して、北鮮人と結婚し、幸せに暮らしている」ということである。 ストーリーが同じ過ぎるのである。北鮮は、拉致した者の選別を行い、従順でない者は収容所に叩き込み、死亡したことにしてしまう。実際に処刑してしまったこともあろう。赤軍ハイジャックで北鮮に行った者の中で金日成に反抗する夫婦がおり、漁船を奪って脱出しようとしたが、果たせず、捕らえられて収容所で処刑されたとの報告もある。 北鮮のやり方は、従順な者には厚遇し、洗脳し、結婚させて、妻子のしがらみから脱出できなくさせるのである。日本へ帰国させた被拉致者は、従順タイプだったが、死亡したとかの理由で帰国できない人は従順でないために、死亡したことにさせられているのである。 |
拉致発覚後、日本政府及び日本国民が強く救出運動をしているにもかかわらず、北鮮の態度は変わらず強固であり、違法犯罪を糊塗し、嘘を押し通す決意を示している。朝鮮民主主義人民共和国自体が犯罪国家であり、ヒットラーのドイツ第三帝国、スターリンのソ連、ポルポトのカンボジアと同じになっている。金正日政権の打倒以外、解決の道がない、とさえ思われる。 私は解決のための三つの例を考えた。 @ 昭和6年1931年日本軍部が満州事変を勃発させ、清朝最後の皇帝溥儀を迎えて昭和7年3月満州国を建国させてしまう。国土を侵奪された中華民国は国際連盟に提訴し、国際連盟はリットン卿を団長とする調査団を派遣する。リットン調査団は、昭和7年2月東京に到着し、次いで満州へ向い、同年6月まで現地調査を行った。同年9月リットン調査団報告書が公表され、満州事変は日本の正当防衛という主張を否定し、満州の列強国共同管理策を提案していたが、日本は既に満州国を承認していたので、拒絶した。昭和8年2月ジュネーブの国際連盟総会において、中華民国代表顔恵慶がリットン調査団報告書の受諾演説を行った。総会では、満州国不承認を内容とする対日勧告案が審議され、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム)で可決したが、日本代表松岡洋右は国際連盟脱退を宣言して憤然と退場してしまうのである。リットン調査団のことは、満州事変の即時解決には役に立たなかったが、大日本帝国の終わりの始まりの役割を果たし、大日本帝国と満州国の滅亡まで後12年となった。 朝鮮民主主義人民共和国の終わりの始まりから拉致問題の解決が始まる。横田さんにはまだ長い年月を待っていただくしかない。断腸の思いである。 国連を動かし、国連加盟国の多くが参加する大規模な調査団を北鮮に派遣し、拉致事件の調査をし、国連総会で朝鮮民主主義人民共和国に対する拉致事件の解決勧告案を可決することである。朝鮮民主主義人民共和国の出方が問題であり、金正日は、松岡洋右のような、ヒステリックな対応すると予想されるが、善意の譲歩は最初から期待できない。追い詰めることから、解決の打開を図るしかない。国連総会決議に従わなければ、加盟国から禁輸処分で締め上げるべきである |
A 世界の諸国民を信頼することである。 成田空港などの空港の出国出口に日本政府発行の拉致事件のパンフを山積みして日本国民、外国人に好きなだけ持っていって貰う。 このパンフには、拉致事件の全容を記載し、未だに生死不明者がおり、朝鮮民主主義人民共和国政府が真相解決を妨害していること、被拉致者の消息について、情報を提供してほしいこと、特に被拉致者に対して日本政府が通信の手段を得たいこと、よって、世界のどこでもよいから、人の目に付く場所に置き捨ててきてほしいこと、を書く。 被拉致者の中には、東欧から拉致された夫婦者の手紙が東欧から投函されて日本の実家へ到着した例があり、北鮮内で被拉致者の頼みを引き受けて郵便を預かり、東欧から投函した善意の人の存在が認められた。この善意の人が、外国人なのか、朝鮮民主主義人民共和国国民なのか、不明であるが、このような善意の人が世界に広がる必要がある。 被拉致者の範囲は日本人だけではなく、韓国人、タイ人、東欧人と拡大しており、金正日の拉致作戦は、対日対南偽装入国作戦の技術的目的(パスポートの取得・日本語の学習)だけではなく、北東アジア大陸民族が長年していた人攫い奴隷化商法の延長戦にある。蒙古、突厥、遼、満州、朝鮮では、人攫いが、戦争の目的であり、攫った人間を奴隷としたり、中には有能な者は取り立てて出世させた。蒙古→元では、服属した他民族を重用することが上手であった。このように被拉致者に対しては、役に立つものは優遇し、役に立たないものは、滅ぼすのが、北東アジア大陸民族の習性であった。欧州人も15世紀にスペイン人が南米で激しい人攫いと虐殺を行ったし、アメリカ人は19世紀南北戦争までアフリカ大陸で人攫い狩りをしていたのである。 横田めぐみさんの夫、寺越政史さんのこと、生き返ってきた被拉致者、帰っていない被拉致者、色々考えると、役に立つことを拒否した人、生きて虜囚の辱めを拒絶した人、に対しては、辛酸なる虐待がなされたものと思う。未だに北鮮の土牢で呻吟していると思う。特に心配なのは、金恩恵さんである。 |
B 朝鮮民主主義人民共和国の在外国民に期待することである。 朝鮮国民は、近世二度亡国の悲哀を体験している。 一度は、1910年明治43年の日韓併合である。当時朝鮮国は朝鮮国王の統治であり、国民は被統治者であった。民主主義はなかった。一方、大日本帝国もそうである。 日韓併合条約とは、国土と国民の売買譲渡契約である。 昔、アメリカ合衆国は、ロシア皇帝からアラスカを現金で買ったことがあったが、売買の対象はアラスカの大地だけではなく、エスキモーも白熊も含めて売買されたのである。エスキモーは知らないうちに国籍がロシアからアメリカに変更されたのである。 日韓併合条約も同じであり、朝鮮国王は所有する国土と国民を大日本帝国天皇に売却したのである。朝鮮国王はその代償として日本華族に叙され一族から陪臣皆々に至るまで生活を保証されることとなった。このような売国者以外に愛国者がいなかったのか。当時日韓併合に反対して山に立てこもって戦う国士はいなかった。ただ一人安重根は明治42年1909年伊藤博文をハルピン駅頭で射殺し、国士たるを示したが、所詮は個人テロに終わり、朝鮮国民の組織抵抗には至らず、その後何度か大日本帝国に対する抵抗運動がおきるものの、組織化に失敗し、犠牲を重ねるまま、1945年を迎える。 日韓併合段階で、国土と国民を売り渡す朝鮮国王を打倒し、国民主権の政府を樹立し、大日本帝国に対する抵抗闘争を組織できなかったことが、第一の亡国である。 大日本帝国が太平洋戦争に突入するも、英米ソ連の連合軍に勝てるはずもなく、大日本帝国の滅亡が予想されるころ、朝鮮人民は、太平洋戦争後の独立政権の準備を組織化し、重慶、ニューヨーク、モスクワに亡命政府を樹立しておくべきであった。それを怠ったがため、1945年8月15日大日本帝国の敗北後、すぐに自主的な臨時自由政府の独立宣言ができなかった。 朝鮮人民の臨時自由政府が不存在であるから、アメリカは南へ李承晩を連れてきて大統領にし、ソ連は北へ金日成を連れてきて首相に据えるのである。 大戦中から朝鮮人民が賢ければ、大日本帝国の崩壊を予知して、重慶、ニューヨーク、モスクワに亡命の臨時自由政府を樹立し、1945年8月には連合軍とともに、ソウル解放をし、朝鮮統一政府の独立宣言ができたのである。その準備をしていなかったたがために、ソ連が連れてきた北の金日成と、アメリカが連れてきた南の李承晩と両政府が並存しうるはずもなく、金日成が戦争で政府の並存解消→統一政権樹立を企図するのは当然のことである。結局朝鮮戦争へと進み、いまだに分裂国家の悲哀を余儀なくされているのである。 朝鮮では、南北分断の責任を大日本帝国の日韓併合にあると論じられているが、大日本帝国は南北を分離して支配したのではない。分断の責任は、太平洋戦争中臨時自由政府を準備せず、アメリカによる 李承晩、ソ連による金日成の、南北分断統治を許してしまった朝鮮人民にある。これが第二の亡国である。 1940年6月フランスのペタン元帥はドイツに降伏したが、ドゴール将軍は、ロンドンへ亡命し、自由フランス政府を樹立宣言し、対独戦争を開始する。自由フランス軍(ffl)は1942年6月リビア戦線でドイツのロンメル装甲師団との戦闘から始め、1944年8月のパリ解放まで連合軍の一員として戦い続ける。パリ解放後、ペタン元帥のビシー政府を崩壊させるのである。 ドゴールのお陰で、フランスは戦敗国から戦勝国へと変わり、国連では拒否権のある五大国の一国となるのである。チャーチルもルーズベルトもドゴールの図々しさには呆れ返ったのである。戦敗国の亡命者で、アフリカ師団では大佐風情の無名の軍人と馬鹿にしても、ドゴールは気位高く胸を張り、自由フランス政府の代表として英米連合軍の一員であることを強調し続けるのである。 朝鮮民主主義人民共和国の在外国民は、日本にも中国にもアメリカにもいる。釜山生まれでも朝鮮民主主義人民共和国の国民である。日本にいる在外国民は、民主主義を目の前で体験して理解しているはずである。拉致問題について真実を知る立場あり、言論の自由がある。ヒットラー、スターリン、ポルポトと金正日とが違いがあるのか、ないのか、わかっている筈である。朝鮮民主主義人民共和国の金正日政府をどうすべきかは、朝鮮民主主義人民共和国の国民が自由に決定すべきことである。ドゴールが祖国フランスの進路を決定し、ペタン将軍のビシー政府を打倒したのと同じである。 |
朝鮮民主主義人民共和国の在外国民は、日本で、北京で、ニューヨークで、モスクワで、臨時自由政府を樹立することができる。国外で金儲けだけに専念していてはいけない。金正日政府崩壊後の受け皿を準備しておかないと、又三度目の亡国の悲哀を余儀なくされるであろう。大韓民国政府がその役割を果たすべく準備しているであろうか。ノムヒョン大統領は、若いころから金日成のシンパであり、受け皿つくりについては全く考えさえない。 |
朝鮮学校で金日成と金正日の御真影の下で勉学に励んでいる生徒諸君、 諸君は、日本に生活して、言論の自由、民主主義を体験している。日本国民が選挙に出かける姿を目撃している。しかし、諸君らは、祖国の選挙権がない。在外国民だからである。日本でも長らく投票箱の管理等の技術的理由で国外居住者には選挙権が与えられなかったが、前回の参議院選挙からは容認されるように改正されている。諸君らは、祖国朝鮮民主主義人民共和国に対して選挙権を要求すべきである。しかし金正日は相手にもしないであろう。 自分の政府を自分の手で作ることが民主主義である。諸君らが日本で学んだ学問の成果が民主主義ならば、諸君がなすべきことは臨時自由政府を樹立することである。金正日の指導をうけることが主体主義であり、金正日への忠誠を誓っているようでは、諸君と祖国朝鮮民主主義人民共和国には見込みがなく、三度目の亡国に至る。 どこの朝鮮学校も老朽化し、冷暖房も故障しがちである。昭和30年代に寄付金を集めて建設したのであるが、その後維持の寄付金が集まらないのである。古びた教室の黒板の上に掲げられた、金日成と金正日の御真影を見たとき、昭和19年の国民学校を思い出した。 良くない学習条件の中で、朝鮮学校の生徒は学習している。そして卒業記念には、万景号に乗って祖国訪問旅行をすることになっている。 生徒諸君、平穣で拉致問題のパンフの散布を依頼したい。 教師がとめにかかるはずであるが、言論の自由のない祖国に価値があるのか、見に行ってくるべきである。 1960年全学連の学生がモスクワの赤の広場で、言論の自由があるかどうか確かめるために、核廃絶のビラ撒きをして即刻逮捕追放処分されたことがあった。 大いに学ばれることを期待する。 |
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