危険運転致死罪は憲法違反か 20060919 |
福岡市職員22歳が橋梁上で追突し、子供三人を死亡させた博多湾車両転落事故で、追突運転者は危険運転致死罪で平成18年9月17日起訴された。通常酒酔い運転は、業務上過失致死罪で最高懲役5年であるが、危険運転致死罪となると、最高懲役20年、轢逃げも足すと、最高懲役25年となる。 業務上過失致死も、危険運転致死罪も、酒に酔って運転して死亡させることを言い、その違いは、単に酔っていたのか、正常な運転が困難な程度に酔っていたか、ということである。この違いが事実認識として可能であるのか、法的判断としても可能であるのかが、問題である。 憲法には、罪刑法定主義が規定されている。罪刑法定主義とは、犯罪の構成要件を明示した法律によらなければ処罰されない、という憲法上の大原則である。事後に制定された法律では処罰されないことを言う。国王が国民の行動に対して気に入らなければ、後で付けた屁理屈によってでも勝手に処罰した時代に、国民が革命を起こして、国王に今後は国民議会が制定した法律に違反する行為しか処罰しません、と約束させた詫び証文なのです。 刑法では、人を殺したら、懲役3年から無期、死刑までと規定しています。法律による威嚇効果を期待し、そんなに重罰を科せられるのならば、人殺しはやめにする、との反対動機設定を引き出すことを目的とします。最近、会社法とか、証券取引法違反の法定刑の引き上げがよくありますが、刑が軽いので、摘発可能性との比較計算から、ばれても刑が軽いからという理由で犯罪を敢行する輩が出てきたので、法定刑の引き上げをすることにより、犯罪抑止効果を期待しているのです。 普通の酒酔致死なら、懲役5年、危険運転致死罪なら懲役20年です、通常割り増しというのは、タクシー料金でも残業賃金でも、二割り増し程度ですが、いきなり四倍というのは、やり過ぎの観がします。ほかに四倍の例を知りません。法定刑が過大過ぎて罪刑法定主義に違反するとの疑いがあります。したがって、福岡市職員の裁判では、この点が論点として議論されることになるでしょう。 いきなり四倍ですから、危険運転致死罪の構成要件については、慎重に検討されるべきであります。酩酊が激しく、正常に運転することが困難で、歩道を目隠しで運転してひき殺しても構わない位の認識が必要です。刑法でいう、未必の故意(殺意)です。 しかし、酒酔いというのは、酒酔いの程度の進み方によって、故意が低減するのが特徴です。業務上過失致死罪の最高が懲役5年、殺人罪の最高が死刑ですが、この違いは、殺意と過失です。殺す気で殺したものと、誤って殺したものとは、罪質が全然異なるし、人を殺す勿れ、という反対動機設定命題の違反の点から考えると、殺人は完全な違反ですが、過失致死は、違反とはいえません。単なる過誤なのです。本来、御免ですませても良い世界です。 酒は、一合二合と飲み進み、二合も飲めば、呼気1リットル当たり0.25ミリグラムのアルコール検知となりますが、では、危険運転致死罪になるには、何ミリグラムなのか、法律には規定がありません。法律では、「正常な運転が困難な状態の酒酔い」としか規定しておらず、数値を規定していないのです。規定していないのは、規定できないからです。酒酔いは、個人の体質の違いが大きく、また経過時間によっても、酩酊と覚醒が違います。私も昼間のパーティーで飲んで、2時間ほど駐車場で寝てから帰宅したことがありましたが、本当に酒が醒めているのか、検問で捕まったら、一体いくらのアルコール数値が検知されるのか不安に思ったことがありました。又、ビールの乾杯一杯だけではどうなるのか、分かりません。 酒を一合、二合と呑み進み、個人差が大きいのですが、五合六合ともなれば、誰でも当然酩酊し心身ともにフラフラとなりますが、酒酔い運転をすれば重罰にするという法命令に対する「だから呑まないという」反対動機設定可能性は次第に磨耗していきます。一合二合の内は、懲役5年を思い浮かべますが、五合六合となれば、懲役20年を思い出すはずがないのです。酩酊して心神喪失となれば、無罪です。懲役20年を思い出さない状況、即ち、危険運転致死罪を起こしてはいけないという反対動機設定可能性がない状況ならば、責任を問えませんから、無罪なのです。理論的にはこの結論になるわけですが、裁判所としては、無罪を出す訳にはいけない事情がありますから、無罪判決は出しません。 日本では、古来から、乱心者は座敷牢です。いかんと分かってても刀を抜いた者に対しては、切腹を命じ、自分で腹を切らせますが、乱心者は、いいもいかんも分からずに刀を振り回したのですから、反対動機設定可能性がなく、罪に問うことをできず、自分で腹を切ることもしませんから、仕方なく座敷牢にするのです。 このように、危険運転致死罪には疑問が多すぎます。 罪刑法定主義というのは、事後法の禁止、行為の後に制定した法律で裁くな、周知された法でのみ処罰できる、ということです。 車両には、発炎筒とか、三角停止板等の法定搭載物件がありますが、アルコール検知管も含めるべきです。運転者に酒を飲んだら自分で検知管で検査できるようにさせ、0.25なのか0.5なのか分からせることです。どれだけ酒に酔ったのか分かりませんと弁解を言うのに対して、搭載のアルコール検知管で検査したか、検査しなかったのが、法命令違反なのである、とすればよい。 どこでアルコール検知管を販売しているのか分かりません。コンビニで販売するべきではありませんか。多分警察としては民間でアルコール検知管を販売するようになると、公用の検知管との性能比較が論点となり、取り締まりに障害となると恐れているのでしょう。取締りの現場で、警察官と運転者がそっちの性能が悪いと論争になるでしょう。田舎の警察では期限切れの検知管を利用して全員放免となっているかもしれません。 どこかの公的機関の丸適マークをつけた検知管をコンビニで販売するようにして、運転者が自分で酩酊度を調べ、懲役5年或いは20年にならないように、反対動機設定を可能ならしめるべきです。 最近の自動車開発では、運転席に検知管を設置して、感知するとエンジンが自動停止する機能が研究されているとのことです。科学が犯罪の防止に役に立つ訳です。開発できたら、強制設置を義務つけるべきです。 勿論、強制設置となると、車両の値段が上がりますから、飲まない人は、反対でしょう。ここらの調整が難しいところです。 強制設置すれば、事故が減り、支払賠償金が減ります。保険会社は設置車両の保険料を割引くことにより、トータルとして設置者の負担を減らすようにして、強制設置を普及させるべきではないか。それには安い設置費が前提になるわけですが、開発陣のご苦労を期待します。 |
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