北朝鮮漂着船の法的解決
2017/12/15
 
 今年11月に北朝鮮漁船と見られる漂着船が日本海沿岸に複数漂着した。生存者10人を乗せた船、8人の死体を乗せた船、その他遺体が幾人か漂着している。いずれも海難によるものと思われていた。
 しかし、生存者10人を乗せた船は、無人島である松島小島に立ち寄り、漁協の倉庫から800万円相当の電化製品や漁具・備品、灯台のソーラーパネルを盗んで船に搬入し、海上保安船に発見されるやその一部を海に投棄し窃盗の証拠隠滅をしていることも判明した。
 船長等は黙秘している様子で有り、一時は曳航されている綱を断ち切り脱走し始めたが、取り押さえられた。
 この事件を国内法で処理するか、戦時国際法で処理するか、問題となる。
 此の船には、朝鮮人民軍第854部隊いうブレートが貼り付けてあった。朝鮮民主主義人民共和国の国旗或いは軍艦旗が掲揚されていたという話はない。軍艦と民間船とでは、戦時国際法の適用が異なってくる。
 此の船の様相から、軍艦とは見えない。漁船のようである。しかし、漁船であっても朝鮮民主主義人民共和国海軍に徴用されたとすれば、軍用船と言い、戦時国際法が適用される。1942年4月アメリカ空母からドーリットル隊が発進して日本爆撃に向かったことがあった。その海域には日本海軍に徴用された漁船数隻がおり、監視軍務に服しており、「敵空母発見、艦載の爆撃機発進、本船は敵戦闘機による機銃掃射受けつつ有り」の電信を日本に送っている。日本軍はその地点が遠すぎるので日本到達は明日になると予想しその日の迎撃の準備をしなかった。ドーリットル隊は日本空襲後母艦に帰投することはなく、日本列島を横切り中国大陸で不時着した。3人は日本軍の捕虜となったが、残りは中国軍に助けられ、中国西域からイランを経てアメリカへ凱旋帰国している。捕虜になった3人は上海の日本帝国陸軍軍律法廷で、都市への無差別爆撃がハーグ条約違反、実際小学校に機銃掃射をして小学生が死亡した、だと訴追され、死刑判決を受けた。戦後 上海の日本帝国陸軍軍律法廷の裁判官はこの裁判自体が捕虜虐待だとして、BC級戦犯として訴追され、有期刑の判決を受けた。
 日本漁船は軍の徴用船で有り、監視軍務に当たっていた以上、アメリカ戦闘機が銃撃することは戦時国際法上合法である。何人かは船上で戦死し、何人かは捕虜となった。民間人ならば、抑留施設に入れられるが、軍務徴用中という理由で捕虜収容所に入れられた。労働に従事したが、戦後労賃を貰って帰国した。
此の船が人民軍のプレートを貼っている以上、軍用船と認められる。その軍務とは何か。目的は何か。
 @人民軍兵士の為の漁獲目的、食糧を確保することは軍務とか戦争行動と言えないのではないか、とお考えの向きもあるが、戦時禁制品の中には、武器弾薬・石油・戦争用資材の他に食糧が含まれている。だから米を運送する日本貨物船は米潜の雷撃を受けたのである。
 A日本海上保安庁の探知能力の試験
 B日本海上交通路への妨害としての、灯台の電源破壊 ?
 C単純に略奪窃盗による朝鮮民主主義人民共和国海軍の収入拡大、個人的窃盗 ?

 民間がやれば単なる海賊である。しかし、昔から国家海賊は公認されていた。16世紀からポルトガル・スペインは海賊を国家商売としていた。他国を侵略し金銀財宝を奪い、現地人を奴隷として売った。イギリスも国家海賊稼業に参入し、海賊許可証を発行して公認し、稼ぎの何割かを徴税した。北アフリカにあったイスラム王国も同様で、地中海と大西洋で荒らし回り、拉致した白人を奴隷市場で売って儲けた。頑健な白人奴隷は高く売れたし、美人の白人は特に高値で売れ、アラブ人の妾となった。
 19世紀中頃、イギリス海軍はアルジェのアラブ王国を砲撃し降伏させ、白人奴隷を解放した。その頃アメリカでは南北戦争があり、この時から世界的に奴隷が禁止された。昔から奴隷は黒人だけではない、白人もいた。
 平安の頃、沿海州の朝鮮族の刀伊国が日本海沿岸を荒らし回り、殺人・強姦・略奪の限りを尽くし、日本人を奴隷として大陸へ連れ去り売って儲けた。
 元寇の後、日本人倭寇は元寇の復讐として朝鮮や中国大陸沿岸を荒らしまくったが、これも同じことをした。
 明治初期に中国人奴隷がアメリカ向けの船に乗せられ横浜に立ち寄った。明治政府は奴隷は国際法違反として奴隷を解放したが、奴隷船の船主は大損害だと訴えたが、国際世論は日本に味方した。

 北朝鮮の船は軍用船であることはプレートから明らかである。灯台の破壊と物資の略奪は何を意味するか。また船長始め乗組員が軍籍にあるのかが問題である。船長が大尉クラスであれば大事である。戦争行動と評価しなければならない。
 政府は腰抜けで、金正男のディズニーランド訪日のときさっさと帰国させてしまった。日本人拉致事件解決の切り札となると期待していた家族会を落胆せしめた。
 戦時国際法を適用するのか、国内法を適用するかは、前記の@〜Cの検討が重要である。
 まず、乗組員に姓名・軍籍・階級を問わなくてはならない。認識票を所持しているのか。海軍大尉とか上等兵がおれば、戦時国際法適用である。
 次に、北朝鮮と国交がある第三国を通じて朝鮮民主主義人民共和国に対して照会書を発することである。返事はあり得ないが、発することに意味がある。
 「乗組員の軍籍の有無を問う。松島小島における灯台破壊行動及び略奪行動は戦争行動なるや、否や」
 「貴国は日本国に対して宣戦布告したものと見なして、差し支えなしや」

 乗組員に対して戦時国際法適用とすると、日本刑法窃盗罪による裁判はあり得ない。捕虜収容所に収容して、日本と朝鮮民主主義人民共和国との停戦条約と捕虜送還条約成立まで留め置くこととなる。国内法違反の犯罪者ではないから、国際法基準の待遇をしなければならない。将校以上に対しては給与も支払う義務がある。酒も煙草も禁止できないし、母国から赤十字を通じての慰問品・手紙も自由にさせなければならない。日露戦争のとき日本はロシア捕虜を国際的水準で待遇したのを模範としなければならない。ロシア兵の芸者遊びまで許したし、来日した家族との面会も許した。
 捕虜は軍務に関係のない仕事に使役することができるが給与の支払い義務がある。但し、これを守ったのは日露戦争の時の日露両国、太平洋戦争時のアメリカだけであり、ソ連は捕虜を過酷に虐待し給与も未払いのまま無視している。

 乗組員らが軍籍がなく朝鮮民主主義人民共和国海軍食糧調達部から雇われた漁民に過ぎなければ、国内法適用となる。刑法窃盗罪で小樽地方裁判所に起訴となる。被害金漁協800万円、灯台500万円であるから、軽罪とは言えない。海に捨てた電化製品は修理不可能である。灯台のソーラーパネル窃盗の件は海上交通保安関係の法違反に問うへきである。
 船長ら幹部は懲役3年実刑、手下は執行猶予判決で帰国となろう。

 北朝鮮は対抗策として日本海操業中の日本漁船に対して拉致作戦を実行するであろう。公海にいても領海侵犯と言いかがりをつけるであろう。海上保安庁と自衛隊の漁船団防衛が重要事となる。日本海海戦を辞さないという幹部の決心が重要である。東シナ海で海上保安庁船が携帯式ロケットを打たれても健闘して撃沈できたことを模範とすべきである。金正恩があのようであるから、戦争は避けがたい。

 軍は大砲を撃つが、外務省は電信を撃つべきである。
1929年捕虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)に日本は調印したが、批准をしないまま太平洋戦争に突入した。批准しない理由は、軍が日本軍は自決するから捕虜はあり得ない、敵国の捕虜のみが優遇される、ということであった。1942年アメリカは中立国スイスを通じて日本政府に対して「ジュネーブ条約を批准するや否や」の電信照会をしてきた。東条英機は「批准しないが、準用する」との電信回答を送った。
 戦後の捕虜虐待のBC級戦犯裁判では、この回答を理由に、ジュネーブ条約違反の訴因で有罪判決が下された。
重要な戦時国際法条約を紹介する。
@1907年開戦に関する条約 開戦前に宣戦布告を要する。日本軍は真珠湾攻撃で55分間遅れたと言われる。実はもっと長い。夜明けに日本軍機は真珠湾へ突撃したが、特殊潜航艇を登載した伊号潜水艦ははその半日も前にアメリカ領海内へ潜水したまま侵入していた。
A1928年パリ不戦条約 国際紛争解決のための戦争の放棄
B1929年捕虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)
C1949年捕虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約1929年条約の詳細化)

 朝鮮民主主義人民共和国の成立は1948年であり、朝鮮戦争は1950年〜1953年である。朝鮮民主主義人民共和国は前記の戦時国際法条約に調印批准をしないまま、朝鮮戦争に突入しており、戦時国際法を遵守するのか否かを明らかにしていない。
 アメリカが東条英機に対して電信を送ったと同じことを外務省はすべきではないか。漂着した乗組員を捕虜待遇すべきか、刑務所に収監すべきか判断できることとなる。
北朝鮮を国際法の世界へ引きずり込まなければならない。多分金正恩は国際法の教科書さえ読んだことはないだろう。 朝鮮民主主義人民共和国は一応国連加盟国である。国連憲章をはじめ戦時国際法を遵守してもらわなければならない。しかるに拉致事件の通り暴虐の限りを尽くしている。戦時国際法の教育を必要とする。