国際法とウクライナ戦争


名古屋市中区丸の内2−18−22三博ビル8階 宮 道 佳 男 法 律 事 務 所
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2022年5月25日 宮  道  佳  男


A ロシアがウクライナを攻撃し、ロシア・ウクライナ戦争が始まり、市民・非戦闘員の死者が増加している。
  国際法では、無差別攻撃の禁止、非戦闘員の保護、強姦・略奪の禁止が規定されている。私は、戦争にも法があるとの立場です。法は戦争を解決できるのか。まず、どのような条約が制定されているか概観してみる。


B 無差別攻撃の禁止に関する条約例
(1) 1907年ハーグ条約
@ 攻撃の禁止
     1、防守せざる都市、村落、住宅
     2、宗教、技芸、学術、慈善、歴史上の紀念建造物、病院
A 略奪の禁止


(2) 1922年ハーグ空戦規則
@ 落下傘で避難降下中のパイロットに対して攻撃の禁止
A 公衆の礼拝、芸術、学術、慈善の建物、歴史上の紀念建造物、病院船、病院への攻撃の禁止


(3) 1925年ジュネーブ条約
 @ 毒ガス使用禁止

(4) 1949年ジュネーブ条約
@ 捕虜の保護、人道的待遇、非戦闘員である文民の保護
A 病院、病院船の保護
B 違法行為をなした捕虜に対しては、公正な裁判手続により処罰される。弁護人が選任される。
C 過度の傷害又は無用の苦痛を与える兵器は禁止する
  自然環境に対して、広範、長期的かつ深刻な損害を与える兵器は禁止する
  原子力発電所に対する攻撃の禁止
D 女子・児童は、特に保護される。強姦・猥褻から、15歳未満の少年兵は禁止される。


C 条約は守られたか
 前B項記載の条約は、ナポレオン戦争などへの悲惨な反省から人道主義の観点
に立脚して締結され、ヨーロッパの全ての国およびアジアでは日本が調印し、批准されて、国際法として発効した。
 しかし、直後に発生した第一次大戦(1914〜1918)では、どの参戦国も守ろうとはしなかった。第一次大戦では長距離砲と航空機が登場し、都市に対する無差別砲撃・爆撃が当たり前になった。民家・教会・病院・学校と軍需工場、陣地とは区別されることはなかった。各国は人道主義よりも戦果の拡大を願い、民間人非戦闘員の犠牲は天井知らずとなった。


D 条約の国内法化制定はなされなかった
(1)条約は締結されると、締結国はその条約の国内法化手続を進めなければならない。無差別攻撃をした自国兵士、敵国兵士に対して、いかなる処分をどのような手続で行うかを国内法で定めなければならないのである。人を処罰するときには罪刑法定主義に従う必要がある。
 しかるに、どの国も第二次大戦中、国内法を制定しなかった。制定されなければ罪刑法定主義に従って、無差別攻撃をした兵士を処罰することも不可能となる。締約国の元首は、人道主義に立脚して、国の名誉をかけて調印したが、どの国の軍部も消極的抵抗をしていたのである。
 これらの条約の成立に一番熱心であったのは、ロシアのニコライ2世である。彼は開明君主であり、ロシアの農奴制を改正しようとした。ニコライ2世が開明君主だったお陰で、日露戦争では国際法が遵守され、日・ロ将兵は紳士的な戦争をした。特に捕虜の待遇は条約通りになり、捕虜将校には本国並みの給料が支払われ、労働した捕虜兵士には賃金が支払われた。第二次大戦後のソ連軍のシベリアでの日本兵の捕虜に対する処遇とは人道的に大違いであった。


E 例外としての日本
 昭和17年(1942年)4月、太平洋の空母から飛び立ったアメリカ爆撃機は、日本を縦断し、各地で無差別爆撃をし、東京では小学校に機銃を発砲し、小学生の死者が出た。犯人の米兵は不時着した中国で日本軍の捕虜となったが、この捕虜への処遇が問題となり、日本軍は慌てて国内法である空襲軍律を制定した
〈 空襲軍律 〉
  ・無差別爆撃を行った捕虜は、非公開の軍律法廷に起訴し裁判を受ける。
  ・刑は死刑とする。
 軍律法廷は上海で開廷され、八人の米兵捕虜が起訴され、全員が死刑判決を受けたが、その後減刑があり、三人の米兵捕虜に対して、銃殺刑が執行された。
第二次大戦中に空襲軍律を国内法として制定したのは、日本だけである。
独ソ英米は空襲軍律を制定しなかった。無差別爆撃した自国兵や捕虜を処罰しなかった。かくして、第二次大戦では、無差別爆撃の禁止という国際法は無視された。
 昭和20年から日本全土は無差別爆撃を受けていたが、名古屋と大阪で撃墜されて捕虜となった米兵に対して、この空襲軍律裁判が実行され、米兵全員が死刑となっている。死刑判決を下した日本人裁判官は戦後のB・C級横浜裁判で死刑に処せられている。


F  プーチンの核兵器使用の危険
 核兵器保有国は核兵器禁止条約に加盟しておらず、核兵器を使用しても国際法に違反しない。
トルーマンスタンダードの恐怖
 アメリカ・トルーマン大統領は1945年に広島、長崎へ原爆を投下しましたが、その後今日まで国際法会議で違法と宣言されたことはなく、要するに、国際法的にはトルーマンは合法、少なくとも違法ではないとの解釈が通用している。
広島・長崎では原爆後70年間は草木も生えないと言われていたが、両市とも復興して栄えている。
ならば、プーチンは広島・長崎型原爆=要するに小型核兵器は合法だとしてウクライナへ投下する理屈を考えることになる。
 現在、ウクライナ戦争は膠着状態である。陸戦での勝利は大量の戦車による突撃である。第二次大戦の独ソ戦では、ソビエト製戦車の方がドイツ軍戦車より優秀であったので、ソビエト軍が勝利した。
 ところが、ウクライナでは、西側が供与した携帯型対戦車ロケットが次々とロシア戦車を破壊しており、ロシア戦車軍団によるウクライナ平原制圧は失敗している。
 プーチンは小型核兵器の使用を考え始めているだろうが、プーチンが発狂しない限り、最終的には断念するであろう。モスクワへの報復核爆撃を恐怖とするからである。ウクライナ戦争の原因は領土問題である。ロシア系住民の人口構成が高い地域をロシアへ割譲しても不当ではない。そもそもウクライナはソビエト連邦の一員で1991年ソビエト連邦解体時に独立したが、ロシア系住民の多いクリミアとウクライナ東部をウクライナに含めてしまったのが間違いのもとなのであり、これを現在正してロシアへ割譲する講和案の検討を始めるべきである。NATO諸国は武器援助を継続し、ウクライナ戦争を高見の見物しているが、早く講和の仲裁に入らないとプーチンのヒステリーを爆発させることになる。
 フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟すれば、NATOのロシア包囲網が完成する。ロシアの領土は広大であり、他国との貿易なしで一国経済を完結しうる。プーチンが小型核の使用を決断する可能性は否定できない。NATOがロシアを追い詰めないこと、領土問題に限定して早期解決が必要である。


G 私が10年前『戦争の法のもとに』という戦記小説を書いた理由
 私は10年前に「戦争の法のもとに」という戦記小説を書いた(私のホームページに連載した)。1942年に日本を無差別爆撃したアメリカドーリットル隊の捕虜に対して世界で初めて国内法である空襲軍律を制定して、非公開の法廷で死刑判決を下した。
 開戦は1941年(昭和16年)12月8日パールハーバー空襲から始まったが、翌1942年4月18日、アメリカは報復としての日本空襲を計画し、米空母二隻を日本近海へ接近させ、陸軍爆撃機B25を16機も空母から発進させて日本を爆撃し、帰艦させることはせず、そのまま西行し、中国大陸へ着陸させるという壮大な計画であった。軍事的効果はゼロ、米軍の戦争意志の強固さを宣伝目的とするものであった。
 米空母ホーネットから発進したB25の16機は、東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸を爆撃し、中国大陸へ向かった。日本側には死者85人の被害が生じた。葛飾区の小学校は銃撃され、生徒が死亡した。
 結局、16機のB25は日本列島を横断し、中国大陸でパラシュート降下して、不時着し、全機全損、戦死1名、行方不明2名、捕虜8名(この内3人が処刑、1名が病死)となった。
 不時着したドーリットル中佐ら生存搭乗員は重慶で蒋介石から勲章を授与された。ドーリットルらは重慶を出発し、イラン・アフリカ経由で5月18日アメリカへ帰国し、英雄として表彰された。
 奇襲を受けて進退に窮した日本軍は小学校銃撃を戦時国際法人道違反とみなし捕虜とした米兵を軍律裁判で処分することとし、国内法である空襲軍律を制定した。
 「無差別攻撃をした兵士は非公開法廷、弁護人なしで裁判して処罰する」という内容であった。法廷は上海で1942年8月開廷され、非公開のまま、小学校無差別銃撃の件で、捕虜米兵8人に対して「人道に反する罪」により死刑が宣告され、その後減刑があり、結局10月15日上海競馬場で3人に対し、処刑がなされた。
 日本としては、小学校を銃撃すれば、人道主義違反の戦争犯罪として処罰されるべきとの考えから、上海軍律法廷で裁判したのであったが、非公開、弁護士立会なしであったため、アメリカから野蛮な復讐とのプロパガンダを招いた。
 私は、このドーリットル事件を回想し、当時の日本軍法務部のやり方に疑問を抱いて戦記小説を書くこととなった。
 小学校銃撃事件は人道主義違反であり裁判に価する。しかし、その司法手続に問題が残った。非公開の軍法法廷で弁護人の立会もなく裁判を行い、結局3人を死刑に処してしまった。中立国の新聞記者の傍聴は許されなかった。日本軍は小学校を銃撃すれば人道主義違反で死刑となるという裁判をアメリカに知らしめ、警告とする意図であったが、非公開・弁護人なしの裁判であったことが裏目に出て、小学校を銃撃することが国際法違反の無差別攻撃で兵士は処罰されるとの宣伝がアメリカに伝わらなかった。上海軍律裁判は人道主義の普及に役立たない結果に終わってしまった。米軍は1945年から日本全国に対して、無差別爆撃を開始し、全土は焼け野原となり、市民が犠牲となった。
 この反省に立脚し、私はある法務将校を主人公として戦記小説を書いたのです。軍律裁判の非公開、弁護人なしの空襲軍律を改正し、裁判の公開、中立国の新聞記者への傍聴許可、捕虜の中にいる米国人弁護士を弁護人に選任して自由に弁護活動させる。法廷は東京で行い、当時停止中とされていた陪審裁判を復活させ、市民を陪審裁判に参加させて裁判を映画に撮り、全世界に公開する。
 主人公の法務将校がこのような空襲軍律改正案を準備し、改正出来たら、その次の無差別爆撃で捕虜になった米兵を東京陪審裁判に起訴し、中立国の新聞記者・外交官の法廷傍聴を許し、アメリカ人弁護人の弁護を認め、公正なる裁判を全世界にアピールする。このことが次の無差別爆撃を防止できる唯一の方法である、と確信する法務将校の姿を書くが、その実現前に広島の原爆で爆死してしまうという結末で終わる。


H  今、ロシアは無差別攻撃をしています。2022年5月15日TVニュースによると、ウクライナの非戦闘員市民の老人を射殺したロシア兵が捕虜となり、ウクライナの国内法で裁かれました。2022年5月23日TVニュースによると最高刑の終身刑の判決が下されました。日本がドーリットル隊の捕虜にした軍律裁判と同じことを、ウクライナ軍は始めたのです。しかもテレビ中継しています。私が、戦記小説で書いたことが、ウクライナで実現しているのです。テレビはインターネットでロシア国内に広まり、ロシア兵士は無差別攻撃したら軍律裁判で処罰されると予想し、無差別攻撃や強姦、略奪を自制するでしょう。
 ウクライナ戦争の解決は、NATO諸国の仲裁と領土割譲の講和条約が望ましいが、それ以外にナチスを裁いたニュルンベルク裁判、東条英機らを裁いた東京裁判があることも念頭に置くべきです。ロシアでクーデターが起きれば、プーチンのモスクワ裁判もありうる。NATO諸国が武器以外の法による解決、国際司法裁判手続に気付かれて、法による解決、軍律裁判による無差別攻撃の禁止が実現されることを期待しています。
 1945年8月、満州でのソ連軍の強姦、強奪の行為は凄まじかった。ソ連軍には人道主義という観点がなかったのです。今のロシア兵も同じで、市民の住宅、学校、病院に無差別攻撃を続けている。これらロシア兵を捕虜に取ったら、キーウで戦犯裁判を開廷して裁いて、防止策とすべきです。
 1945年独仏戦線で、米兵の軍服を着用した独歩兵が米軍を攻撃したことがあり、これは偽装攻撃と言い、国際法で禁止されている。捕虜となった独兵は現地軍律裁判で死刑に処せられ、以降、独兵は軍服の偽装をやめた。法と裁判が戦場を一変させた一例です。
 今後、軍律裁判、捕虜交換が行われる。これの仲裁国には、NATO以外の国がふさわしい。中国、インド、日本が活躍すべきである。
 NATO対ロシアという戦争の構造を変革しなければ、真の恒久平和は難しい。国連にその役割を期待しても、ロシアの国連脱退という、昔、大日本帝国がやったことが再来されるかも知れない。難問山積みである。
 一領土戦争にすぎないウクライナ戦争を資本主義と共産主義の最終決戦としての第三次世界大戦に発展させてはいけない。第一次大戦はセルビアの一テロリストによるオーストリア皇太子暗殺事件から大発展していることを思い出す。偶然の一事が大戦を招くことがあった。
 ソ連・ロシアには、国際法に違反する国内法がある。1945年8月満州国が崩壊したとき、ソ連軍は満州国の日本人官僚多数を逮捕して裁判にかけ、昭和30年頃まで抑留した。ソ連には「外国に居住する外国人がソ連社会主義体制を転覆しようとしたときは、ソ連国内法で処罰する」との国内法があり、「満州国内の日本人官僚にも適用する」というのである。
 2022年5月22日のニュースによると、ロシアは捕虜にしたアゾフ連隊は捕虜交換の対象とはせず、テロ行為を理由に裁判にかけると声明した。ロシアはアゾフ連隊をネオナチとみなして、ロシア国内法犯罪者であるから、捕虜交換の対象とはせず、将校は銃殺、兵士はシベリアあたりへ流刑するつもりである。
 ソ連で1940年捕虜のポーランド将兵1万人を銃殺にしたというカチンの森事件があった。アゾフ連隊の運命は危うい。
 ロシアによる捕虜裁判が始まるが、ソ連・ロシアには罪刑法定主義はない。よく看視しておかねばならない。戦争を規制する国際法があるということを書きました。