裁判員裁判5
 黙秘権 」2010.02.27
1、黙秘権の起源
 1535年ユートピアの作者トーマス・モアは英国ヘンリー8世により処刑された。王はトーマス・モアに王の権威を宣誓するかと問われ、ローマ教皇を信ずるトーマス・モアは沈黙した。処刑されるとき、彼は「沈黙はいかなる犯罪にもならない」と抗議した。

2、宣誓との関連
 日本人は宣誓に大きな意味を感じないが、欧米人にとって宣誓は神に対するものであり、命と名誉に賭けて大事なものである。
 容疑者に黙秘権を告知することは、宣誓違反の偽証罪を招かないようにする為である。容疑者が「殺してない」と供述し、もしも有罪となれば、容疑者は殺人罪を犯したと同時に偽証罪を犯したことになる。反省の意思なしとみなされ、偽証罪違反の加重された刑罰を科せられる。黙秘しておれば、殺人罪だけの刑で済む。
 黙秘権の告知は、たんに自白強要による冤罪の防止を目的としない。宣誓違反による重罰化を防止する。

3、黙秘権告知
 取調官は容疑者にこのように告知する。
 @君には黙秘権がある。言いたくないことは言わなくても良い。
 A言うことも出来るが、言った以上、有利にも不利にも裁判の証拠となる。
 B弁護士を選任する権利がある。
 C弁護士の立会のある取調を受ける権利がある。
 D君は今話そうとしているが、私が告知した容疑者の権利を理解した上で、それでも話したいと希望するのか。
 日本の警察は@とBを告知する。日本の裁判所は法廷で@からBを告知する。
 アメリカの最高裁の定めたミランダルールでは、@からCを告知することになっている。
 シアトル警察では、更にDも告知する。何故か。「おいおい、話し出して、認められなければ、宣誓違反の偽証になるよ」と注意しているのだ。日本の警察は「何をやったのか、真実を話せ」と怒鳴るが、そこには宣誓違反への配慮は全くない。
 取調の現場で、いつも弁護士と警察は黙秘権を巡って喧嘩する。警察官に宣誓違反に対する偽証罪の感覚がないからである。

4、自白調書の任意性、信用性、嘘の自白の冤罪事件が新聞に報道されているのを見て、一般人はいつも起きているのかと思うであろう。
 そんなことはない。100件に5件である。警察だって、好きで冤罪事件を起こしている訳ではない。起きてしまうのだ。
 どんな場合に起きるか。
 容疑者が、いじめられっ子、押し売りに負けていつも買わされてしまう人、口論が不得手で言い負かされてしまう人、陰気で上目使いをする人、視線を逸らす人の場合である。
 犯罪が起こると、マメな警察は周辺人物を手当たり次第に捜査する。容疑者が浮かぶと、取調官は「お前がやったのか」と尋問したくてしょうがない。尋問して、容疑者の反応を確かめたいのである。易者でもないのに、容疑者の目の玉占いをしたくなる。前記のような人の場合、この尋問を受けると、動揺する。取調官はその動揺を誤解する。金脈を掘り当てたと信じたくなる。
嘘の自白をするなんて、あり得ることではない、死刑や懲役になるかも知れないのに自白する筈がない、と一般人は思うだろう。
 しかし、100件に5件はあり得ることである。簡単な実験が可能である。
 中学・高校で、いじめられっ子を標的にする。愚図、臭い、たわけと罵られている子に対して、悪童が共謀し、「俺の財布がなくなった」と騒ぎだし、いじめられっ子を指さしして「お前が盗った。鞄を開けて見せよ」と取り囲む。鞄を開けさせ、予め入れていた財布を取り出して「泥棒」とはやし立てる。
 最後にこう言う。「土下座して謝れば先生には内緒にしといてやる」
 財布が取り出されたとき、既に運命を知ったいじめられっ子は土下座するであろう。唇を血が出るほど噛みしめながら。
この実験を真似しないで下さい。自殺者が出る。
 悪童は先生に言う。「泥棒がばれたから、自殺したのだ」
 容疑者が自殺を図ったことは、一義ではない。多義的解釈が可能である。疑惑を掛けられたことを恥とし、或いは自暴自棄となったり、自己嫌悪に支配されたり、抗議の自殺もある。

5、弁護士が争うのは、100件に5件くらいなもので、いつも戦っている訳ではない。被告人が認めている事件では、一回の法廷で情状証人だけを取調して簡単に終える。逮捕されてから、3.4月で解決させる。
 私は35年間弁護士をして、300件の弁護をしてきた。
 窃盗で2回、恐喝で1回無罪判決を得ている。
 ビラ貼り事件で憲法違反で無罪と主張したが、通らなかった。
 所得税法の両罰規定は憲法違反で無罪と主張したが、通らなかった。
 心神喪失の無罪を主張したが、心神耗弱の減刑に止まってしまった。
 正当防衛の無罪を主張したが、過剰防衛の減刑に止まってしまった。
 居酒屋での乱闘事件で現場不在を主張したが、通らず有罪になったのは痛恨であった。思い出す度に悲しむ。
 選挙違反で買収を否認したが、通らなかった。
 交通事故で無過失の無罪を主張したが、通らなかった。
 2対3の輪姦事件で乱交遊戯を主張し、通らなかったが、執行猶予は付いた。
 35年間で300件弁護し、11件無罪を主張し、3勝8敗に終わっている。死ぬまでにあと4件くらいは弁護するであろうが、11日目で既に負け越し確定の力士のようだ。十両陥落→引退はしない。死が引退の時でありたいが、その前に、呆けて客が来なくなる。弁護士は自分で引退の時を決める必要はない。客が決めてくれる。訪問客がなくなったとき、閑散とした事務所を閉めて老兵のように消え去るのだ。

6、最後に、濡れ衣の話をしよう。
 平安期の後撰集 後妻が先妻の娘の美しさを妬んで、夫に漁師の恋人がいると告げ口し、娘の寝室に塩の濡れ衣を置いた。怒った父が娘を殺した。
 旧約聖書 エジプトの侍従長ボテバルの妻が、エジプトへ逃げてきたヤコブの息子ヨセフを誘惑して袖をつかんだ。ヨセフは服を脱いで逃げた。妻は夫にこの服を示して襲われたと訴え、ヨセフは囚われた。