王子製紙VS北越製紙
〜三菱商事に対する第三者割当増資の差し止めの可否
 
第1 王子製紙vs北越製紙
2006年の7月から9月にかけて,王子製紙による北越製紙の敵対的買収が新聞等で大きく報道されました。ここでいう「敵対的」買収とは,買収される側の会社の同意がないまま行われる企業の買収ということです。このとき紙面を大きく飾った言葉が「TOB」(Take Over Bidの略)で,企業の経営権取得などを目的にして不特定多数の株主から株式を市場を通じずに買い集めることをいいます。TOBを行う場合は,買い付け価格や株式数,期間,目的などが明らかにされ,すべての株主に株式売却を考慮し,その売却するか否かの判断をする機会が与えられます。
王子製紙,北越製紙,そして三菱商事のおおよそのやりとりは以下のとおりです。まず,7月末に,北越製紙が三菱商事に対して新株を発行して大規模な資金調達を行うと発表しました。その直後,王子製紙が北越製紙に対し,TOB(株式公開買い付け)によって北越製紙の経営権を支配し経営統合しようとする計画を発表します。王子製紙がこの計画を達成するためには,先に発表された新株発行による三菱商事の経営参加が障害となってしまいます。そこで王子製紙は,北越製紙・三菱商事に増資の撤回を求めますが,北越製紙・三菱商事ともこれを拒否します。結局,王子製紙は,8月に入ってTOBを強行しますが,三菱商事に対する新株発行が行われ,三菱商事は24.4%の株主となります。結局,王子製紙のTOBは失敗に終わりました。
本件は,日本初の大企業同士による敵対的TOBとして注目され,大きな関心を集めました。本件に関係する法律的な問題としても,近年大企業を中心に導入が進められている企業の買収防衛策を中心に様々な議論がありますが,本稿では,北越製紙が三菱商事に対して行った第三者割当増資に注目し,本件で,経営統合を計画する王子製紙が北越製紙による第三者割当増資を差し止めなかった理由について検討してみたいと思います。
第2 第三者割当による新株発行の差し止め
 1 第三者割当増資の問題点
資金調達を目的として行われる通常の新株発行には,株主割当て,第三者割当て,そして公募の3種類があります。本件で実施されたのはこのうち第三者割当てによる新株発行で,第三者割当てとは,特定の縁故者に対してのみ株式引き受けの申し込みを勧誘する場合をいいます。すなわち,北越製紙が,三菱商事という特定の会社に対してだけ新株を発行して,資金を調達しようとしたということです。このように,第三者割当てによって新株を発行し資金を調達することを,第三者割当増資といいます。
一般に,第三者割当による新株発行が行われると,次のような問題が生じるといわれます。
まず,従来からの株主の持ち株比率が低下するということです。ごく単純化して説明しますと,まず,10株を発行しているA株式会社に,5株を有する株主Xと同じく5株を有する株主Yがいたとします。この場合,XとYはそれぞれA株式会社の50%の株式を有していることになります。このような状況のもとで,A株式会社が第三であるZに対して5株を第三者割当で発行したとすると,株主はX・Y・Zの3人になり,それぞれA株式会社の33.3%の株式を有することになります。これをX・Yから見ると,持ち株比率が50%から33.3%に低下したということになってしまうのです。

A株式会社(発行済み株式:10株)    A株式会社(発行済み株式:15株)

株主X−5株(50%)      ⇒ 株主X−5株(33.3%)
株主Y−5株(50%)  Zへ第三者割当増資  株主Y−5株(33.3%)
株主Z−5株(33.3%)

次に,従来からの株主に経済的な損害が生じるということが指摘されます。先ほどと同様の例で説明すると,まず,A株式会社の価値(企業価値)が100万円で10株を発行済みであるとします。このとき1株の価値は100÷10で10万円ですから,5株を有する株主X・Yはそれぞれ50万円の価値を有していたことになります。このような状況の下で,A株式会社に新たに50万円の資金が必要になったとして,1株の払い込み価格を5万円で10株を発行しそれをすべてZが払い込んで株主になったとします。そうすると,会社の価値は150万円で発行済み株式の数は20株となりますから,一株あたりの価値は150÷20で7.5万円になります。株主X・Yは7.5×5で37.5万円の価値を有していることになり,以前はすべての株式を売却すれば50万円を得られたのに,第三者割当後は37.5万円しか得られず,株主X・Yは損害を被ったことになることが分かります。

A株式会社(価値100万・10株)   A株式会社(価値150万・20株)

株主X−5株(価値50万円)   ⇒ 株主X−5株(価値37.5万円)
株主Y−5株(価値50万円)  Zへ  株主Y−5株(価値37.5万円)
        第三者割当増資 株主Z−10株(価値75万円)
(1株5万円で10株)

これらの問題点について,まず,持ち株比率については,株主の持ち株比率に応じて,株主に対してのみ新株を発行すればこのような問題は生じません。(加えて経済的損失も生じないことにもなります。)しかし,以前からの株主からしか資金が調達できないとなると,以前からの株主に資金がなければ,会社は資金を調達できなくなってしまいますから,このような方法は可能であるとしても,このような方法のみに限定することはできないでしょう。
また,経済的損失の問題については,経済的損失を発生させない方法での発行,具体的には時価での発行をすれば,経済的損失は生じませんが,それでは先ほどの例をとれば1株10万円の価値があるものを1株10万円で買うことになり,Zとしては株式を買う大きなメリットはないことになってしまいます。ですから,例のように半額にするかどうかといった程度の問題は別として,払い込み価格を時価より下げ,新たに株主になる側にメリットを与えて,会社の側からみて,より資金を調達しやすくすることも否定すべきではないことになります。
 2 新株発行の差し止め
そこで,会社法は,会社の資金調達の便宜と既存の株主の持ち株比率の利益および経済的利益の調整として,新株発行に際して,まず手続的な要件を規定しています。非公開会社では,新株発行に際して,原則として株主総会の特別決議が必要になります。公開会社では新株発行に際し,原則として,取締役会の決議と募集事項(募集する株式の数,払込金額,払込期日)の公告が必要とされ,株式を引き受ける者に特に有利な金額での発行(有利発行)の場合は株主総会の特別決議が必要になります。株式を引き受ける者に特に有利な金額,すなわち特に安く新株を発行した場合には,既存の株主が受ける経済的損害が大きくなるからです。
もっとも,手続的な規制があっても守られなければ意味がありません,そこで会社法は,新株発行の効力発生前には新株発行の差し止め請求という制度を,効力が生じた後には新株発行無効の訴えという制度をそれぞれ用意しています。もっとも,新株は一旦発行されると,新たな株主が生じてしまうので,事後的に新株の発行を無効としてしまうことは,その発行されてしまった株式を取得した人に思わぬ損害を与えてしまうことになります。そのため,新株発行は一度行われてしまうと無効とはされにくいというのが実際の裁判の状況です。
そこで,本件でも,新株が発行される前に,新株発行を差し止めるという手段を取るべきことになります。
なお,新株発行差し止めの訴訟を提起しても,訴え提起から判決まで相当の期間を要しますから,裁判中に新株が発行されてしまえば,新株発行に効力が生じ,新株発行の差し止めはできなくなってしまいます。そこで,実際の手続としては,新株発行差し止めの訴えの提起に先立って,より迅速に結論が出される新株発行差し止めの仮処分を申請することになります。
 3 本件で理論上採り得た法的手段
会社法上,新株発行を差し止めることができる理由(差し止め事由)として,新株発行が法令又は定款に違反する場合,新株の発行が著しく不公正な方法による場合があげられています。
これを本件についてみてみますと,本件の三菱商事に対する新株発行は取締役会の決議のみで行われていますから,本件の新株発行の払込金額が有利な金額での発行に当たれば,株主総会の特別決議が必要であるにもかかわらずそれを欠いたという法令違反があることになります。そこで新株発行の手続の法令違反として差し止めを求めるという手段が考えられます。
また,下級審裁判例で認められているとおり,新株発行が,会社支配の維持を主要な目的として行われた場合には,著しく不公正な方法による新株発行に当たるとして差し止めを認める考え方(主要目的ルール)がありますので,本件の新株発行は,北越製紙の会社を支配することが主要な目的であるとして差し止めを求めるという手段があります。ここで注意しなければならいのは,主要目的ルールは,会社支配の目的がほんの少しでもあってはいけないものではありませんし,新株発行の結果として会社の支配に変動があってはいけないものでもないことです。会社支配の目的が「主要」な目的でなければ「著しく」不公正な方法にはあたらず,新株発行の差し止め事由にはなりません。
以上に加えて,新株発行の差し止めという構成ではなく,取締役の違法行為の差し止めという法律構成も理論上存在しますが,本件では,北越製紙の取締役らも,一応王子製紙の提案を検討の上の行為と認められるでしょうから,違法な行為とまではいえないと考えられますから,あまり現実的な手段とはとはいえません。
第3 王子製紙が北越製紙の第三者割当増資に対して差し止めを行わなかった理由
理論上は先ほど述べた3つが考えられ,実際上は,先に述べた2つの新株発行の差し止めの手段を採ることが考えられますが,議論の中心となっているのが不公正な発行に当たるか否かでしたので,まずこの点について検討してみたいと思います。
本件では,先ほど述べた主要目的ルールのとおり,三菱商事への新株発行が,会社経営陣の支配権維持が主要な目的であったかどうかが争われることとなります。しかし,「目的」といった事情は株式を発行した本人の内心の事情ですから,基本的に本人の話を聞かなければ分かりません。もっとも,株式を発行した本人,すなわち北越製紙の経営陣が自ら「自己の地位を守るためでした」などというはずがないでしょう。そこで,本件の第三者割当増資をめぐる様々な事情から,今回の第三者割当増資の主要な目的を推測することになります。
本件で,報道によれば,北越製紙は,5月の段階で550億円の設備投資を行うと発表していました。すなわち,第三者割当増資の当時には,お金を必要とする事情が存在していたのです。それに対して,今回の三菱商事に対する第三者割当増資で調達する資金は約300億円程度で,当然他の自己資金や借り入れもあり得るでしょうから,300億円という金額は資金の必要性に応じた増資と評価できるといえます。また,今回のの第三者割当増資の相手となったのは取締役自身やその親族などではなく,三菱商事であり,北越製紙のグループ会社といった関係ではありませんから自己の会社支配の維持につながるとは言い切れません。逆に,三菱商事から強い影響力を行使されて,現在の経営陣が排除されてしまうおそれすらあるかもしれないからです。加えて,王子製紙を含め他の株主が今回の増資によって支配権に関して重大な変更を受ける(例えば議決権が50%を割り込む)というような事情もありませんでした。
他方で,設備投資で資金が必要になる時期に対して,今回の新株に対するお金の払い込み時期が8月7日と,払い込みをかなり急いでいるとも見られることから,本当にそのような緊急の必要性があったのかどうか,もしそこまで急ぐ必要がないのであったら会社支配目的が疑われるのではないかという指摘もあります。しかし,資金調達時期の一点で新株発行の目的が判断されるわけではなく,それが重要な要素であるとはいっても,複数ある要素の一つですから,やはり上記のような事実と合わせて総合的に考えるべきことになります。(むしろ,報道によれば,2008年末の稼働予定というのですから,それなりに急いでいたとすらいえるかも知れません。)
そうすると,今回の増資をしたことは資金調達の目的で行った(会社の支配維持が主要な目的ではない)と裁判では認められる可能性が高かったと考えられます。
では,次に,法令違反を理由とする差し止めができるかについても軽く検討してみます。
本件の事案と株価の推移はおおよそ以下のとおりです。


年月日
出来事
株価

18年7月19日
王子が北越に経営統合打診
―――

21日
北越が三菱商事への増資決議,1株607円
635円

23日
王子がTOBを発表,1株あたり860円
735円(24日)

8月 2日
王子がTOB実施,1株あたり800円
814円

7日
三菱商事が1株あたり607円で払い込み
831円

29日
王子のTOB,事実上不成立
758円

9月4日
王子のTOB,締め切り日
732円(5日)

以上の経過を前提として,本件の新株発行の払い込み金額が「有利な金額」かを判断することになりますが,「有利」とは比較の問題ですから,この「有利な金額」とはどのような金額を基準として有利と判断するのかが問題となります。ここで,既に述べた,既存の株主の経済的損失の防止と,安く発行することで資金調達を容易にするという資金調達の便宜の両方のバランスをとる必要があります。そこで,「有利な金額」とは,公正な発行価額(通常は時価)を基準として1割程度低くても特に有利とはいえないと理解されているのです。また,それに加えて,一時的に株価が高騰している場合には,公正な発行価格を反映しているとはいえないので,一時的に高騰した時価ではなく,一定期間の平均値などの株価を基準として考えるものとされています。
これを本件について検討してみますと,決議された第三者割当増資の払い込み金額は607円で,その日の株価は635円でしたから1割も低くありません。そうすると,先ほど述べた基準では「有利な金額」には当たらない,すなわち法令違反はなく差し止め請求はできないということになるのです。
もっとも,この決議当時,株式市場にはまだ王子製紙のTOBの情報は流れていませんでした。王子製紙がTOBを発表した後,北越製紙の株価は上昇し,実際に三菱商事が払い込んだ時点での株価は831円になっていました。北越は第三者割当増資の決議前の7月19日には王子製紙から経営統合の代診を受けており,TOBの可能性を,さらにはそのTOBによって相当程度株価が上昇することが予想できたのではないでしょうか。(そのはるか以前の今年3月の時点でも王子製紙は北越製紙に対して経営統合への協議を打診していたとされます。)そうすると,第三者割当増資の607円という額は,低く見積もっても1割以上安い金額であり有利発行に当たるとの判断ができると考えることも不可能ではありません。
しかし,TOBによる価格の変動は一時的なもので終わる可能性もあり,実際,TOBが不成立に終わって株価は下落しました。しかし,価格がどの程度に落ち着くかは諸般の事情が複雑に絡み合うために予想は著しく困難で,それは裁判所であっても同じです。そうすると,決議の後に価格が高騰する可能性があること認識していることは,特段の事情がない限り,有利か否かの判断の基礎にはできないように思います。ですから,やはり,本件で有利発行の手続きを欠いた法令違反として新株発行を差し止めることができる可能性は低いと思います。
第4 おわりに
本件では,結論として三菱商事に対する新株発行の差し止めはできないと考える人が多かったようです。おそらく王子製紙側も,差し止めの可能性について検討した上,差し止めが認められない場合の有形・無形の影響(例えば差し止めに失敗した場合のイメージ低下),その後に続くTOBの成功の見込みなど様々な要素も総合的に判断した結果として差し止めの仮処分の申請はしなかったものと思われます。
なお余談になりますが,王子製紙のTOB開始後に,北越製紙がいわゆる買収防衛策として新株予約権を発行しようとした場合には,新株予約権の発行の差し止めは認められるとの意見が多くあります。しかし,TOB直前の新株発行との間にどれだけの違いがあるのか,微妙なところといえるのではないでしょうか。企業の再編をめぐる法的問題は,近時裁判例も多数出されているところで,尽きるところがありません。