歴史評論 1
 「中国はひとつではない」
中華人民共和国は、「中国はひとつである。台湾は中国の領土である。中華民国は地方政権であり、国家ではなく、中華民国と国交を締結する国とは断行する」と、強硬である。
 しかし、この言い分は、すべて過ちである。中国は、ひとつではないし、国として存在しない。
 中国 という国は歴史上存在しない。存在したのは、
   殷
   周 春秋戦国時代
   秦
   漢
   魏・呉・蜀
   晋 南北朝
   隋
   唐
   五代
   宋 金
   元
   明
   清
   中華民国
   中華民国 中華人民共和国
 と続いている。魏・呉・蜀の三国が並立し、覇権を争ったこともあったように、清を滅亡させた孫文の中華民国が単独支配していたが、中国共産党が内乱を開始し、1949年に内乱に勝利し、中華民国は台湾へ逃亡し、中国共産党は大陸を支配し、北京で中華人民共和国の建国を宣言する。
 北東アジア大陸を、二国、三国で分割支配したことは歴史的に何度もあり、その都度「中国はひとつ」と叫んだ国はない。皆、叫ぶ前に他国を滅ぼして単一支配を実現させたのである。
 第二次大戦ご、ドイツは、1949年東ドイツがドイツ連邦共和国、西ドイツがドイツ民主共和国として独立し、1973年には、両国とも国連に同時加盟している。ドイツはひとつ、とか言っていない。
 中華人民共和国が東西ドイツとは異なる意見に拘る訳は、国家の面子ではない。実利にある。
 第二次大戦後、国連が設立されたとき、国連は5大国の戦勝国クラブとして設立された。5大国以外は正会員ではなかったのである。5大国には、常任理事国として、拒否権が与えられた。当初中華民国が5大国の正会員であったが、台湾へ逃亡し、東北アジア大陸支配力を失ったが、なお、アメリカの支援の下に、5大国の一員を続けた。しかし、ニクソン大統領が中華人民共和国の封じ込め政策を改め、国交締結することにしたとき、中華民国の5大国の席をどうするか、争いとなった。ニクソン大統領の判断としては、 
 中華人民共和国を世界政治に引っ張り出す意義は大きいこと
 5大国制度は維持させるべきこと
 台湾に落ちた中華民国を救済する利益はないこと
 等を考えて、中華民国を追放し、中華人民共和国を5大国の一員に迎えた。日本も世界各国もこれに倣い、中華人民共和国を国家承認し、中華民国に対する国家承認を取り消した。
 5大国制度を前提とするニクソンと中華人民共和国の筋書きに世界が乗ったのである。
 しかし、この5大国制度がおかしいのである。現在国連加盟国は百か国を超えている。第二次大戦の戦勝国だけが拒否権を保有し、アメリカ、ロシア、中華人民共和国が対立した案件では、拒否権の行使で、何も解決しない。国連が真価を発揮するためには、5大国の拒否権制度を廃止し、総会で一国一票原則により決定する国際民主主義を採用すべきである。
 中華人民共和国も中華民国も国連加盟をすべきであるし、中華民国に対して国家承認するのならば、国交断絶すると息巻いている中華人民共和国に対しては、そうしたら、反対に全世界から国交断絶すると全世界が宣言することである。
 そんなことをしたら、中華人民共和国の報復が恐ろしいという人もいる。
 しかし、中国共産党の終わりは近い。ソ連は崩壊し、ロシアという資本主義国に変貌している。中華人民共和国の最後が、共産党の政権投げ出し型のソ連、東ドイツ、ポーランドか、自滅型のルーマニアになるのか、まだ予言ができないが、中華人民共和国を滅ぼす英雄が、上海、重慶、大連のどこかに成長している気がする。漢民族は商の民の子であり、元来共産主義とは無縁である。黄巾の乱か太平天国の乱程度のものが、歴史的偶然で中華人民共和国となったのである。滅亡するときは早い。
 ゴルバチョフもポーランドのヤルゼルスキ国家評議会議長も承知の上で共産主義の墓堀人を務めた。共産党と軍部の強硬派を騙しながら、共産主義の安楽死を仕上げたのである。ルーマニアのチャウシスクは権力に執着がはなはだしいから、最後は銃殺刑になったが、時節の変化を知ることができなかったのである。
 中国共産党に承知の墓堀人の役ができる男はいるのであろうか。いなければ、世界は大乱となる。
 国内の叛乱を防止するために、台湾戦争をしなければならなくなる。しかし、大陸内部での叛乱は治まらず、台湾戦争の最中に、中華人民共和国は崩壊し、中華民国の青天白日旗が北京の舞い上がることもありうる。
 魏呉蜀の三国に分割した方が、経済的に合理性があるし、もう漢民族は長い中央集権に疲れ果てているはずである。地方分国にした方が安定する。