歴史評論9−15   名古屋空襲と戦犯裁判
2012.4.26
         
名古屋空襲の戦犯裁判では、アメリカ側と日本側で争点のずれがあった。アメリカ側は「名古屋市は防備都市であり住宅地への空襲は認められる」と陸戦法規を根拠とする主張を行い、日本側は「無差別爆撃は空戦規則違反である」と主張した。
 日本弁護人からアメリカへ「アメリカは空戦規則を遵守する意思はあるのか。昭和17年アメリカは日本へ1929年ジュネーブ条約批准の意思があるかと質問し、日本は批准していないが準用する、と回答したことがあった。これと同じように質問する」と言えばよかったのに、そうしたことをしていない。この論点が曖昧のまま裁判が進行してしまい、防備都市名古屋市への空襲は有効で日本人は有罪との判決が下りてしまったことは残念である。
 名古屋市には方面軍司令部があり、防備都市であることは間違いがない。防備都市であっても軍事目標以外には空襲できないと規定するのが空戦規則なのである。

 もう一つ、この戦犯裁判では、謎かけのようなやり取りがあった。アメリカ裁判長が岡田資中将に「無差別爆撃に対する報復として米兵を処刑したのか。アメリカ陸軍陸戦法規に報復の規定はある」と尋ね、岡田中将は「断じて報復ではない。裁判である」と答えている。
 報復であると答えていたら、判決はどうなっていたであろうか。
 報復、復仇とも書きますが、成文の条約にはないが、慣習法として認められている。
 アメリカ軍陸戦法規の379・381条にはこの報復の規定があるそうだが、現物は確認していない。日本海軍海戦法規は次の通りだが、多分このようなものであろう。
「敵に於いて戦争の法規及び慣例を遵守せず、不法行為を行いたる場合に於いて該加害者が自己の権内に在らず且其の損害に対して未だ救済を得ざるときは、帝国海軍指揮官は重大なる必要がある場合に限り復仇の手段を用いることを得。但し人道に背かず敵の加害行為の程度に相応するものたることを要す」
 報復には、同種・同量かつ相当な手段という制限がある。
 支那事変時、日本商船が中華民国軍により撃沈・拿捕されたことがあり、日本軍は中華民国商船を報復として拿捕している。
 (支那事変は宣戦布告していないから、平時と見なされる。平時には 拿捕権はない)
 第二次大戦時、ドイツはアメリカ兵捕虜に手錠を掛けたことがあり、アメリカ軍はドイツ兵捕虜に対して報復として手錠を掛けた。この時アメリカ看守兵は鉄砲を捨てて素手で手錠を掛けようとしたので、双方大乱闘となり怪我人多数が出た。
 チェコスロバキアで、ナチス親衛隊長がレジスタンスに射殺されたことの報復として1300人の住民を殺害している。
 このような例があるが、最後の例は同量・手段の相当性に違反する。
 敵が人質を楯に取って攻撃してきたら、こちらも敵の人質を取って対抗しても良いということか。又、敵が国際法違反の毒ガス弾を打ってきたら、こちらも打って良いということか。

 岡田中将が、「報復か」と問われ、「然り。違法な無差別爆撃に対して報復である懲罰を即刻戦場で処したのである」と回答すれば、私は死刑を回避できたような気がする。「自己の権内に在らず」とは捕虜に取っていないことを意味するから、一旦投降した米兵に対して報復処刑することは、日本海軍海戦法規にも違反すると思われるが、戦場での即刻報復懲罰と言い返せば、無罪は難しいだろうが、酌量減軽にはなったと思う。市民が投降米兵を取り囲んで刺殺したケースでは、アメリカは一人も起訴していない。アメリカはある程度の報復を認める傾向にある。アメリカが原爆投下を合理化する根拠に真珠湾の報復をいつも挙げ、日本人はそうかと納得させられてしまう。しかし、良く考えれば、真珠湾は艦船と軍事基地に対する空襲であり、アメリカ市民の戦死者はいない。真珠湾と原爆とを「相当・同量」と看做すことは出来ない。アメリカのご都合主義の報復論に対して厳しい非難がなされるべきである。