歴史評論9−16   名古屋空襲と戦犯裁判
2012.5.16
         
11、ドーリットル隊

 1941年12月8日真珠湾攻撃があり、アメリカ太平洋艦隊は全滅し、アメリカ国内の世論は沸騰した。9.11テロと同じ状況になった。ルーズベルト大統領が攻撃を予防できなかったという責任論が出てくるのを防止するために、ルーズベルト大統領はジャップの騙し討ちという論法で自分の責任を回避した。確かに開戦前の野村・来栖大使の言動に戦争を予知させるものはなく、開戦通告も遅延した。騙し討ちと表現されてもやむを得ない面がある。しかしルーズベルト大統領はこの騙し討ちの用語を殊更国民の団結と戦意高揚の為に使い過ぎた。騙し討ちに対する報復を強調し、無警告雷撃と無差別爆撃を正当化した。兵士達に報復を扇動し過ぎた。開戦当初負け続けたのを挽回するために派手な勝利を願った。勿論自分の評判回復の為である。そこで前例のない空母から陸上爆撃機を発進させて東京を爆撃しようという奇想天外の作戦が実行された。軍事施設の破壊を目的としない戦意高揚の宣伝爆撃である。この為だけに2隻の空母が用意された。
 昭和17年4月18日米空母ホーネットから飛び立ったB25の16機は東京・名古屋・神戸を空爆した後、中国大陸へ去ったが、大陸で2機が不時着し、8人が捕虜となった。搭乗員達は騙し討ちに対する報復を叫び、市街地への無差別銃爆撃が行われ、小学校が銃撃され生徒を始め市民50人が死亡している。カスター将軍の第七騎兵隊がインディアンの攻撃で全滅させられた報復としてインディアン部落を襲撃して女子供を殺戮したことと同じ事をしたのだ。カスター将軍は偵察を怠りインディアン陣地奥深く入り込み全滅を喫したという純軍事的敗北に過ぎない。しかるに白人はインディアンに負けたことだけで激高し、理性を失うのである。戦時国際法は戦争に法と理性を求めるものであり、白人も分かっているのであるが、黄色人種に負けると頭に血が上るようだ。真珠湾攻撃の後、アメリカ人の日本に対する敵愾心はこれと同じであった。ドイツ系イタリア系アメリカ人は収容されないのに、日本人だけは砂漠の収容所送りとなった。

 日本では無差別爆撃は国際法違反であるから捕虜の待遇ではなく裁判に掛けよという世論が高まった。アメリカのブッシュ大統領が9.11テロを見て「法の裁きを」と叫んだのと同じ状況が日本に巻き起こったのである。
 東条英機首相はアメリカの在留邦人への報復があり得ると消極的であったが、杉山元参謀総長が積極論で、東京ではまとまらんと日本軍の悪い癖で直ぐ下に委せてしまう、結局逮捕地の上海軍律裁判に掛けることになった。
 裁判の結果、8人に死刑判決を下したが、2人の機長と機銃手1人を死刑とし、その他は減刑して1人は獄死し4人は生還した。
 戦後上海でBC級裁判が始まり、日本人の司令官中将に懲役5年、審判官大尉に懲役9年、審判官少尉に懲役5年、監獄長大尉に懲役5年の各判決があった。審判長と検察官は既に死亡していた。1950年には全員釈放となっている。この判決は軽いとアメリカで非難が高まったそうである。その影響からか岡田資中将には死刑判決が下りたとも言える。

 ドーリットル隊への死刑判決の直後、ルーズベルト大統領は以下の声明を発している。
「米飛行士が万が一日本に捕らえられ殺されたら、理由の如何を問わず、それが国内法や上官の命令で行われようとも、職務上の行為であろうとも、裁判の結果であろうと、又非軍事施設を爆撃、非戦闘員を機銃掃射したことが明白であろうとなかろうと、いかなる場合にも殺害に関係した軍人、官吏らを公人としても個人としてもその責任を追及し厳罰に処する」
 この声明を読むと、空戦法規に違反した無差別爆撃の犯罪性について頬被りしてただ捕虜の裁判を否定するだけであり、それならばBC級の裁判自体の合法性が問われることに気付いていない。アメリカ独特のご都合主義と言わざるを得ない。日本は米飛行士とルーズベルト大統領に対して法の裁きを下したのだ。

 特に声明の中の「上官の命令で行われようとも」とは欧米型の思想であり、日本では通用しない。2.26事件では反乱に参加した兵士は全員不起訴となっている。
 「上官の命令によるとも」という概念が産まれたのは1922年が始めである。1922年ワシントン会議での潜水艦及び毒ガスに関する5国条約では「商船に対する攻撃並びに其の拿捕破壊に関する法規を侵犯する者は其の上官の命令の下に在ると否とを問わず戦争法規を侵犯したものと認め海賊行為に準じ処罰される」仏は批准せず。日本は批准している。

 広島・長崎への原爆の投下はトルーマン大統領の命令である。無差別爆撃と原爆投下の責任を回避しようとするものであり、アメリカこそ法の裁きを受けるべきである。
 結局、アメリカは広島・長崎の廃墟を見て無差別爆撃が合法であるとは正面切って言えなくなり、戦犯裁判では岡田資中将一人の命と引き替えに幕引きをしたのである。