歴史評論9−18   名古屋空襲と戦犯裁判
2012.6.12
         

 陪審裁判は昭和3年施行され戦争の為に昭和18年停止となったが、昭和17年ならまだ施行中である。
 無差別爆撃は戦闘行為であっても戦時国際法違反であるから違法であり国内法の刑法殺人罪を適用し、東京地裁陪審裁判に起訴し、公開・弁護士付き・上訴有りで正々堂々と国際世論を前にして行えば良かったのである。
 アメリカ政府へ電報を打ち、「アメリカ弁護士の日本入国を認める。家族も報道陣も入国を認める。滞日中の安全と帰国の自由を保証する」と言えばよい。当時アメリカからイラン・ソ連を経由してシベリア鉄道でウラジオストックに来て日本行きの商船に乗って来日する事が出来た。ソ連は当時中立国だったのだ。
 東京地裁の陪審大法廷に3人の裁判官、12人の陪審員が並び、検察官が無差別爆撃の悲惨なる被害事実を証明し、8人のアメリカ被告人とアメリカ弁護士に弁論の機会を与える。その姿を報道陣に取材させれば良い。アメリカ被告人の家族の情状証言も許せばよい。銃撃で殺された小学生の母親の証言もさせればよい。
 アメリカ弁護士が「真珠湾の報復である」と弁論すれば、日本軍は真珠湾で一人のアメリカ非戦闘員も殺害していないと反論すればよい。
 アメリカは陪審制の国である。アメリカ人は、陪審員が「小学校生徒への無差別爆撃は刑法殺人罪に該当し有罪の答申をなす」と言うのを見れば、納得するであろう。故郷アメリカの街の陪審法廷と同じなのだと。
 裁判所の死刑判決の後、日本政府は「ルーズベルト大統領が二度と無差別爆撃をしないと誓約すれば天皇の恩赦がありうる」と声明を発すればよかった。
 これにたいしてルーズベルト大統領はどう対応するか。前記のような声明を発すれば、世論に叩かれ再選は困難になるであろう。アメリカは民主主義の国である。政府と交渉するのではなく、国民と直接交渉することが大事である。飛行士の家族は議会へ助命請願運動を起こし、議会では1929年空戦規則の批准と無差別爆撃の禁止について議論を始め、1941年12月7日「リメンバー パールハーバー、天皇を縛り首に」と絶叫した議会は静粛になるだろう。 ルーズベルト大統領が二度と無差別爆撃をしないと誓約すれば、恩赦して無期刑に減刑すればよい。
 戦前には附帯私訴という制度があった。旧刑事訴訟法567条「犯罪ニ因り身体、自由、名誉又ハ財産ヲ害サレタル者ハ其ノ損害ヲ原因トスル請求ニ付キ公訴ニ附帯シ公訴ノ被告人ニ対シテ私訴ヲ提起スルコトヲ得」 これは犯罪事件の被害者が被告人に対して損害賠償請求することが出来、その損害賠償請求の民事裁判と刑事裁判とを併合して審理し、刑事判決と共に民事の損害賠償判決を下すのである。附帯私訴制度は利用が絶無だったため戦後廃止されたが、平成19年「損害賠償命令の申立て制度」として復活した。ドーリットル隊の刑事陪審裁判にこれを適用させれば、銃撃で殺された小学生の両親が法廷で被告人に対して「何故小学校にいたうちの息子を殺したのか。お前は鬼か。非戦闘員を殺してはいけないという国際法を破ったのだ。アメリカのお前の牧場が銃撃され、子供と牛が殺されたらお前はどうするのか」と弁論させればよい。
 判決では、死刑と損害賠償金の支払が命じられることとなる。
 空戦規則24条4には「交戦国は違反行為に対して金銭賠償を支払う責任を負う」と規定されているから、民事損害賠償責任も許容されて良い。
 米兵は無差別爆撃をすれば、己の肉体と財産を以て償わされることを知るのである。無差別爆撃の被害者の生の声を米兵とアメリカ世論に聞かせることが必要であった。そうすれば、昭和20年からの本土空襲で無差別爆撃が出来なくなった筈であるし、米兵達は無差別爆撃の命令があっても、拒否したり躊躇するようになるし、何よりも小学校・漁船・救命ボートへの銃撃をしなくなるであろう。昭和20年の夏河原で水浴びをしていた子供たちへの米機の面白半分の銃撃はやんだであろう。

 1937年12月12日上海近くの揚子江で米砲艦バネー号に対する日本海軍の誤爆事件があり、米兵90人が死亡した。日本と中華民国との戦争の真っ最中に戦闘地域でうろうろする米艦に問題もあったが、日本政府はアメリカ政府の要求する損害賠償金を満額支払い、関係者を行政処分している。