歴史評論9   名古屋空襲と戦犯裁判
9-2「空襲軍律」2011.10.19
昭和17年7月28日陸軍次官通達(陸密第2190号 空襲の敵航空機搭乗員の取扱に関する件)が発せられ、そこには「戦時国際法規に違反する者は戦時重罪犯として処罰する。司令官は当該権内に入りたる敵航空機搭乗員にして戦時重罪犯として処断すべき疑いのある者は軍律会議に送致す。前項の軍律会議に関しては陸軍軍法会議中特設軍法会議に関する規定を準用す」と規定されていた。
 軍法会議には、常設と特設に分かれ、前者は平時に適用され弁護人あり、公開、上告あり、後者は戦地・戦時に適用されて弁護人なし、非公開、上告なし、というものであった。
 この通達を受けて、支那派遣軍・関東軍・南方軍など軍(師団の上、方面軍の下位の組織単位)で次の通り空襲軍律が定められた。
「第2条 左に記載したる行為を為したる者は軍罰に処す。
 1、普通人民を威嚇し、又は殺傷することを目的として、爆撃その他の攻撃を為すこと
 2、軍事的性質を有せざる私有財産を焼毀し破壊し、又は損壊することを目的として爆撃、射撃その他の
   攻撃を為すこと
 3、やむを得ざる場合を除くの外、軍事的目標以外の目標に対し爆撃、射撃その他の攻撃を為すこと
 4、前3号の外、人道を無視したる暴虐非道の行為をなすこと
第3条 軍罰は死とする。但し情状により無期又は有期の監禁を以て之に代うることを得
第4条 死は銃殺とする。」