歴史評論9−20   名古屋空襲と戦犯裁判
2012.7.13
         

 12、南京・重慶爆撃

 昭和12年7月7日の廬溝橋事件以来の日支事変で日本軍は上海次いで重慶へ爆撃をしているが、これが無差別爆撃だと非難され、日本本土無差別爆撃は当然の報復と米軍を弁護する議論がある。
 しかし先にやったのは中華民国軍である。
 8月13日中華民国空軍は上海を爆撃したが、租界に投弾し戦後の駐日大使ライシャワーの兄が死亡している。
 8月15日から日本軍は南京爆撃を開始しているが、事前に各国大使館へ通報している。8月22日アメリカ政府は「民衆のいる南京への爆撃は許されない」と抗議したが、日本政府は「軍事目標に投弾しており無差別爆撃ではない」と反論している。
 9月28日アメリカの音頭取りで国際連盟総会で「無防備都市南京への爆撃は許さない」との決議がなされた。日本は「ハーグ陸戦法規は防備・無防備を基準とするが、空戦規則は軍事目標主義である。日本は軍事目標主義に立っている。人民の住宅・教会・病院は目標としていない」と反論している。
 私は思うが、防備・無防備都市の概念に従えば、中華民国軍の死守する首都南京は防備都市となる。蒋介石が南京への爆撃を回避したいのならば南京から軍隊を退出させるべきである。
 その後日本軍の重慶爆撃が昭和13年2月から始まったが、中華民国機も台湾を爆撃している。中華民国機にはアメリカ人ソ連人が操縦していた。この台湾爆撃に参加したアメリカ人は昭和13年4月にアメリカへ帰国途上に横浜で逮捕されたが、中立国人という理由で釈放している
 日本機の南京・重慶爆撃は国際世論の中で行われて、日本軍は自制を重ねており、B29のような無差別爆撃をしたのではない。大体日本機は軽爆であって搭載は750s爆弾であり、B29の7200s爆弾でなく、しかも通常爆弾で焼夷弾ではない。絨毯爆撃をしておらず、日本機は急降下の精密爆撃に徹していたのである。アメリカの日本本土無差別爆撃を免責させる為に南京・重慶爆撃が論じられているのは間違いである。