歴史評論9−4   名古屋空襲と戦犯裁判
2011.11.16
         
日本の空襲軍律が空戦規則を母法としていることは「普通人民を威嚇し軍事的性質を有せざる私有財産を破壊若しくは毀損し又は非戦闘員を損傷することを目的とする空中爆撃は禁止する」という空戦規則の文言が空襲軍律に引用されていることからも明らかである。陸軍次官は空戦規則を見ながら空襲軍律を書いたのである。
 さて、空戦規則は批准されていないが、効果はあるのであろうか。
二国間条約は調印→批准により発効する。国際会議での多国間条約は、専門委員会での採択→各国の調印→各国の批准により発効する。空戦規則は採択の段階で止まってしまっており、発効していないとの考えも出てくる。
 ところで、国際法には条約の成文法と成文にあらざる慣習法があり、確定した慣習法は万国を支配する。海上交通の右側通行の原則は確定した慣習法であり、どの国も否定できないのである。
 1906年ジュネーブ条約は「締約国中の二国或いは数国間に戦争ある場合に限って条約を遵守する義務ありとし、交戦国の一が条約の記名国たらざる時より該義務が消滅するものとなせり」と規定していた。要するに、傷病兵保護のジュネーブ条約は締結国間の戦争のみ有効であり、締結国以外の国が参戦したときは締結国もジュネーブ条約の支配を受けないとした。締結国以外の国はジュネーブ条約を遵守せず傷病兵の保護をしないだろうから、締結国もジュネーブ条約の義務を免れるという訳である。
 第一次大戦のとき、ジュネーブ条約未締結国の中央バルカン諸国が参戦してきたが、どの国もジュネーブ条約を遵守しないとは宣言せずむしろ遵守を当然とした。よって第一次大戦ではジュネーブ条約が慣習法として万国を支配したのである。
 1929年ジュネーブ条約が改正されて前記規定は「条約の規定が如何なる場合にも尊重されるべく仮令交戦国の一が締約国たらざるも、条約の規定は締約国の間には依然その拘束力を存続する」とされた。
 一歩進化した訳であり、その後確定された国際慣習法は未締結国に対しても支配するという国際法理論が確立するようになった。法は進化するという一例である。
 慣習も国際法となるという思想は、1907年ハーグ陸戦法規前文に初めて現れた。1904年ノーベル平和賞を受けた国際法学会の議長であるロシア・サンクトペテルブルグ大学教授フョードル・マルテンス(1845〜1909)の提案によるものでマルテンス条項と呼ぶ。マルテンスは捕虜の保護を主張し、日露戦争では捕虜情報局総裁に就任し捕虜への模範的待遇を実践したことで知られる。ポーツマス条約交渉員でもあった。
 マルテンス条項
「実際に起こる一切の場合に普く適用すべき規定は、此の際之を協定し置くこと能わざりしと雖も、明文なきの故を以て、規定せられざる総ての場合を軍隊指揮者の擅断に委するは、亦締約国の意思に非さらりなり。一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるるに至るまでは、締約国は、其の採用したる条規に含まれざる場合に於いても、人民及び交戦者が依然文明国の間に存立する慣習、人道の法則及び公共良心の要求により生ずる国際法の原則の保護及び支配の下に立つことを確認するを以て適当と認める」

 次に、空戦規則が定める無差別爆撃の禁止の原則が国際慣習法とまで高まっているかの議論がある。前記したとおり、当時の国際社会の殆どの国が参加した1907年ハーグ条約陸戦法規で無差別砲撃が禁止され、宣言で軽気球からの爆発物の投下が禁止された。これは万国慣習法として国際合意せられたのである。飛行機の登場はその後である。しからば無差別爆撃も当然禁止されるのは慣習法として当然のことである。
 核兵器の制限についての条約は存在するが、使用について違法とする条約は未だない。広島長崎へ原爆を投下したアメリカが反対しているからである。しかし、無差別砲撃も爆撃も毒ガスも禁止されている。放射能は毒ガスの最たるものである。核兵器は慣習法により禁止されているものと言うべきであり、もしも金正日が使用すれば国際戦犯法廷の裁判に掛けるべきものである。