裁判員裁判8
 裁判員制の展望 」2010. 3. 5
1、裁判員制の発足により、警察と検察庁の捜査方法が物証重視、科学的手法へと、取調は紳士的に改善されてきている。良い傾向である。裁判員制度を前向きに検討し、改正の要点を考えたい。

2、欠席の過料10万円の廃止
 裁判員の呼び出しに欠席すると、過料10万円となるが、廃止すべきである。
 任意の履行を期待して罰則を定めない規則はいくらでもある。選挙の投票に欠席しても罰則はない。高齢者が車に紅葉マークを張らなくても罰則はない。
 アメリカでは、罰則はあるが、発動した例がない。欠席が多ければ、それを見込んで呼び出し状を増す刷りするだけだ。やりたくない人がいる反面、やりたい人もいる。リタィアーした老齢者は喜んで出席するであろう。
 国民の義務と強調することは良いが、罰則までつけるかは別の議論が必要である。犯罪だから罰則がある。投票棄権は犯罪ではないし、今は多忙だから裁判員を辞退したいという考えは犯罪ではない。任意に集まる善意の人々をもって十分に裁判員制度は賄える。

3、員数
 裁判員6人、裁判官3人の制度であるが、裁判員を9人に増やして、世界の陪審員12人制度に近づけたい。
 参審員制度は、裁判官3人に参審員2〜3人で、参審員は裁判官の影響に飲み込まれ、反対できない。裁判員制度は裁判員が裁判官の倍数いるから、まだ裁判官の影響力から独立しているが、しかし、3人の裁判官が有罪ですよと明言すると、6人の裁判員は動揺するであろう。
 やはり、9人に増員すべきである。

4、陪審員への大改正
 前3項を採用しないのならば アメリカ式の陪審員制に改正し、12人の陪審員が裁判官から分離して有罪無罪だけを評決する制度に改正する。

5、辞退と請求
 重罪事件について、強制適用として被告人の辞退を認めていないが、被告人の自主決定権を尊重して、被告人の辞退を認めるべきである。アメリカと同じく、被告人の辞退があれば、裁判官裁判で進めればよい。被告人が自白しているのに、大がかりな法廷を開く必要はない。
 国家的国民的出費は有効に用いるべきであり、陪審員制裁判員制の目的は、冤罪の防止であるから、有罪無罪を争点とする裁判に集中投入すべきであり、量刑だけの裁判には当分ご遠慮願っても正しい。
 軽罪事件でも、被告人が無罪を訴え、裁判員裁判を希望するのならば許すべきである。
 電車痴漢事件、ビラ撒き事件、交通事故で、被告人が裁判官ではなく、裁判員の裁判を希望したときは、許すべきである。

6、多数決
 単純多数決であるが、諸外国は全員一致とか、10対2、9対3が多い。疑わしきは罰せず、との原則から言えば、全員一致或いは特別多数決が望ましい。
 また、死刑判決だけは、全員一致とすることが望ましい。

7、守秘義務の廃止・限定化
 6月以下の懲役、50万円以下の罰金が規定されているが、守秘義務の中身についての具体的規定がなく、解釈が困難になっている。感想を述べてもいけないのかとの批判が強い。
 従って、守秘義務の要件を厳格化或いはいっそ廃止するかが必要である。
 裁判員の誰がどんな意見を言ったことだけ禁止すべきで、その他のことは全部自由とする。裁判員を匿名にして「こんな意見があった」と話すことは許すべきである。
 アメリカ式に裁判員体験記の出版を許すべきであり、ただ裁判員の氏名の特定を禁止すればよい。
 裁判官の氏名は許すべきである。裁判官は公人であり、公人にプライバシィーはない。裁判員の手記に「あの裁判長は死刑を主張したが、私は反対して無罪にした」と書いてあっても、その裁判長は世論に粛々たるべきである。 
 再審無罪判決が出ると、死刑判決を書いた原審の裁判官へ、突撃インタビューが来る。これに耐えるのも、公人たる裁判官の勤めである。その時、弁明してもしなくても、裁判官の自由である。

8、素人に裁判が出来るか、危険だとの批判がある。
 確かに、それはそうである。
 イエスキリストが涜神の罪でユダヤ官憲に逮捕され、占領者であるローマ総督ピラトに引き渡した。ピラトはイエスが狂信者であるが、ローマ法を犯していないと無罪にしようとしたが、ユダヤの群衆は死刑にせよと叫び、反乱を起こす勢いを示し、混乱を怖れるピラトは、ユダヤの民の求めるままにイエスの処刑を命じた。
 こんなことが再現するかも知れない。
 だからこそ、前記改正案の通り、裁判員の数を増やし、全員一致或いは特別多数決にすること等を提案している。