戦場に法はないのか第五章 リリー マルレーン 


早瀬少佐はホーキング少尉の尋問を終え、無差別爆撃の確証を得たと確信した。
 一九四四年八月、中国大陸四川省成都基地から発進して同じ八幡を爆撃して捕まったマイケル少佐を取り調べたのは、前任地、福岡にいた早瀬少佐であった。このときは製鉄所周辺の市街地に爆撃がなされ、市民の死傷者が多数出ていた。早瀬少佐は空襲軍律適用を調べるためにマイケル少佐の取り調べをしたが、マイケル少佐は無差別爆撃を否定しており、現地調査の結果、焼夷弾を使用しない通常爆弾による製鉄所への精密爆撃と判断し、軍律裁判への起訴を断念し、彼を捕虜収容所へ送ったことがあった。
 早瀬少佐は自室にマイケル少佐を招き手錠を外させ椅子に座らせ、茶と煙草を勧めた。
「貴官に対する空襲軍律違反被疑事件は嫌疑無しの理由で不起訴にした。貴官への無差別爆撃の疑いは晴れたのだ。今後貴官は捕虜収容所へ送られる」
 マイケル少佐はオックスフォード大学の卒業生であり、早瀬少佐の長兄が同大学に留学していたこともあり親近感を抱いていた。
 早瀬少佐は蓄音機にレコードを乗せた。哀愁に満ちたメロディーが流れだし、マイケル少佐は驚き、絶句。そして泣き出した。早瀬少佐は英語で歌い始め、マイケル少佐も立ち上がって歌った。
「ガラス窓の街灯り いくさに行く夜が更ける
 男たちは戦場へ 地獄の戦いに傷ついて 
 平和の日が来ても 誰も帰らない
 恋しの リリー マルレーン 
恋しの リリー マルレーン  」

 軍用トラックで護送されるときに煙草十箱を手渡してやり、「グッド ラック」と言ったら、マイケル少佐は、「必ず生きてまた会おう。戦争は一時のことだ。人の友情は永遠だ。スコットランドのハイランドの私の城へ来てくれ。儂は男爵なのだ。誰も知らない者はいない」と答えて握手を重ねた。
 早瀬少佐は捕虜に甘いから困ったものだ、と苦虫を噛みしめる憲兵隊大尉がいた。この大尉はその後九州帝国大学医学部捕虜生体解剖事件を起こし、横浜のBC級裁判で処刑されることとなった。医学部教授たちが死体解剖ではなく生体解剖でないと臓器の仕組みの研究が進まない、と言っていたので憲兵隊から米兵捕虜を提供して生体解剖をさせて殺してしまった事件なのであった。大尉も医師も処刑となり、看護婦総婦長は懲役10年となった。