戦場に法はないのか あとがき3


三、アメリカ日系人強制収容所

 アメリカ西海岸では日系人が砂漠の強制収容所へ送られた。東部海岸の日本人とドイツ系とイタリア系は送られなかった。ここで日系人は不自由な生活を強いられたが、割り当ての仕事をすると給与が支払われた。なかにはアメリカへの忠誠を誓い軍に志願する者もいた。彼らは第四四二部隊に配属され欧州戦線に向かい英雄的に戦い、米軍の中でも一番高い損耗率を記録した。また通訳兵として太平洋戦線へ従軍した者もいた。
 戦後、強制収容所送りは人種差別だとの批判が高まり、レーガン大統領は生存者に一人一万ドルの見舞金を贈った。