戦  間  期  論  (4)      2017年3月30日

占領下の日本 オキュパイドジャパン
1、都内に潜伏していた北朝鮮軍が皇居と霞ヶ関を奇襲し、北朝鮮放送が対日宣戦布告を声高らかに発表することにより、朝日戦争は開戦となる。真珠湾奇襲と同じである。日本は事前の通告がなかったと言えない立場にある。真珠湾奇襲の時、日本の開戦通告は1時間遅れたからである。
 日本が朝日戦争に敗北し、降伏文書が調印され、天皇が捕虜となり、自衛隊員20万人が北朝鮮へ捕虜として連行され強制労働に使役され、金正恩の日本占領軍が莫大な日本の富を享受する姿を見た韓国民は、金正恩を英雄として讃え始めるであろう。
 朝鮮南北共に反日では完全に一致できる。反日は韓国民を熱狂させる。金正恩が、将来的には東アジア連邦を朝・韓・日で建国しようと提案し、当面は北日本は朝鮮民主主義人民共和国が占領支配し、南日本は韓国が占領支配するという、日本分割支配を提案し、38度線に駐留していた北朝鮮軍主力を日本へ派遣したとき、韓国ではこの提案に乗る勢力が政変を起こし、韓国軍を九州へ上陸させる。南北で戦って国力を消耗させるよりもおいしい日本が目の前にあるからだ。

2、1938年9月ミュンヘン協定が英仏独伊四国で締結された。ドイツのヒトラーはチェコスロバキアに対してドイツ人が割合多く住むズデーデン地方の割譲を要求した。チェコスロバキアは英仏に救援を求めたが、英仏は、これが最後の領土要求とのヒトラーの言葉に騙され、ズデーデン地方のドイツへの割譲を認めるミュンヘン協定が締結された。
 英のチェンバレン首相はヒトラーに騙されていたのであるが、帰国するとイギリス国民から戦争を回避できた、ノーペル平和賞ものだと賞賛された。
 1939年3月、ヒトラーは正体を現し、チェコ全部を併合してしまう。英仏の抗議は勢いがなかった。チェンバレン首相は退任し、チャーチルが就任する。
 8月独ソは不可侵条約を締結するとともに、ポーランド分割を密約する。ヒトラーは元ドイツ帝国の領土であるポーランド内のダンチヒ回廊の割譲を要求していた。ポーランドがこれを拒絶すると、ヒトラーはソ連とポーランド分割の密約を締結したのである。
 1939年9月1日ドイツ軍はポーランドに侵入し、西半分を直ちに占領する。9月3日ヒトラーに騙されたと知った英仏はドイツに宣戦を布告し、ここに第二次世界大戦が勃発となるが、アメリカは中立宣言した。9月17日ソ連はポーランドに侵入し東半分を占領してここにポーランドの独ソ分割支配が完了した。
 ここで不思議なのは、英仏がドイツに対してのみ宣戦布告し、ソ連に対してはしなかったことである。ポーランド侵略の罪業はドイツソ連同罪で、共犯である。ソ連はドイツからポーランド東半分を保護する目的だと言ったが、嘘は明らかである。ポーランド将校4000人をカチンの森へ連行して銃殺した。次いで政府要人幹部役人も同じ運命となった。かくしてポーランド国家機構は消滅したのである。ソ連はポーランドを併合するという領土的野心でヒトラーとポーランド分割を密約したうえで実行したのである。
 僅かに生き残ったポーランド人はイギリスに亡命し、ロンドンに亡命政権を樹立し祖国解放戦争を組織し、祖国に残るパルチザンに武器の支援を続けた。イギリスから指導者が落下傘で降下し国内パルチザンの指導をし、パルチザンは相当の勢力に発展し、ドイツ占領軍を苦しめた。独ソ戦開始後、ソ連はポーランド義勇軍を組織し、対ドイツ戦争を担当さようとし、その中核となるポーランド将校を探したが、既に殆どカチンの森で処刑していた。捕虜収容所を探し回り、生き残りのポーランド将校を集めてソ連系のポーランド国内軍を組織した。イギリスの亡命政権はソ連系のポーランド国内軍と連絡を取るが、将校4000人が行方不明であることに気がついた。スターリンに質問するも回答がない。1943年4月ドイツ軍はカチンの森でポーランド将校4000人の死体を発掘しソ連の仕業と公表する。スターリンは全面的に否定しドイツ軍の仕業と反論したが、ポーランド亡命政府は誰も信用しなかった。イギリスに支援されるポーランド亡命政府の指導下にある国内パルチザン軍、ソ連の指導下にあるソ連系のポーランド国内軍が協力できなくなってしまった。ソ連は独ソ戦勝利後はポーランドを共産化することを計画しており、イギリスに支援されるポーランド亡命政府を敵視した。ソ連系のポーランド国内軍を育成して傀儡政府を樹立する計画であった。
 1944年8月ポーランド亡命政府の指導下にある国内パルチザン軍はワルシャワで一斉蜂起したが、近郊まで進撃してきたソ連軍は突然停止した。63日間国内パルチザン軍は勇敢に戦ったが、武器の違いで敗北してしまう。スターリンは将来ポーランド政府の要人となる者をドイツ軍に殺してもらいたかったのである。ドイツ敗北後、ポーランド亡命政府はワルシャワに帰国するが、既にソ連系の国内軍が支配しており追い出されてしまう。
 英仏はソ連に恐怖していたし、東ヨーロッパから東に関心がなく、共産主義者と対峙する勇気がなかった。ロシア革命の内戦に介入して手酷い痛手を受けていたからである。
 英仏は1939年9月に独ソに対して宣戦布告をすべきであった。またアメリカは中立宣言ではなく、英仏と協調して独ソ相手に宣戦布告すべきであった。しかし、アメリカはソ連に対して莫大な軍事支援物資を送った。ソ連兵の食べる缶詰はアメリカ製であり乗る車両はアメリカ製であった。ソ連はアメリカの支援で立ち直りドイツに勝利したのである。
 ソ連を恐れる余り対ソ戦争をしなかった過ちは戦後の東西冷戦を引き起こした。1989年ソ連の自壊により状況が一変したのではない。プーチンはソ連共産党員であったし、ソ連的体質の持ち主で有り、既にソ連共産帝国は復活し世界の安全は脅かされている。 あの時1939年から、ヒトラーとスターリンを片付けておくべきであった。少なくともアメリカはソ連への軍事支援をせずにおいて、ソ連軍の弱体化を放置し、一旦はドイツに対ソ戦争を勝利させ、スターリンはウラル山脈に逃げ込ませ国民の信頼を喪失させてから、英米はドイツを攻め、次いでソ連を攻めるべきであった。
 北朝鮮と韓国の日本分割に対してアメリカは中立宣言をするかもしれない。アメリカは南北アメリカ大陸の経済圏の中で生存すればよく、太平洋の彼方の日本の安全に興味を持たないという思想にトランプは陥るであろう。ニューヨークで水爆を爆発されてはかなわないとトランプは恐怖する。世界の英雄にならなくても、アメリカの英雄になればいい、これがアメリカファーストだと、言い出す。大きな平和を求めると軍事費の金がかかる。南北アメリカ大陸内の経済圏だけでアメリカは十分に生きていけれる。
アメリカファーストからバックツーアメリカへ。
 第二次世界大戦初期、アメリカは中立宣言し続けたが、日本軍の真珠湾攻撃を受けてようやく宣戦布告した。真珠湾攻撃がなければアメリカは最後まで宣戦布告をしなかったであろう。第一次世界大戦の時もそうだ。ドイツ潜水艦のアメリカ客船への無差別雷撃の被害が頂点に達するまで宣戦布告しなかった。そのときはもう西部戦線は終わり間近であり、結局米兵の戦死傷者は一番少なくてすんだ。
 アメリカ人は結局アメリカの外で戦死することを嫌っている。
 世界の警察官、自由の祖国とか、アメリカ人は大層なことを言っているが、やってきたことは全く違う。助けに行った国より捨てた国の方が多い。
 第一に、朝鮮がそうだ。第二次世界大戦末期になっても、アメリカは朝鮮政策を持っていなかった。日本を占領して朝鮮を独立させる程度の政策で、38度線南北をどうするかの占領政策がなかった。硫黄島と沖縄での日本軍の玉砕戦法に恐怖したルーズベルト大統領は日本本土決戦での米兵の戦死者を減らすために、スターリンに対日開戦を要請し、領土的野心のあるスターリンは乗った。日ソ不可侵条約はまだ期限まで1年間あった。ルーズベルトはスターリンに条約破棄を教唆したのである。
 二人は戦後の占領境界→将来の国境について詰めた話をしていなかった。38度線をどうするという話もしていない。スターリンにとっては聞きたくもない話であるから黙っていた。ならば国際慣例によれば、停戦時の戦線が境界となる。
 原爆が完成し、もはやルーズベルト大統領はスターリンに開戦を頼む必要はなかったが、今更やめよとも言えなかった。原爆の広島投下が8月6日、ソ連軍の参戦が8月7日、降伏が15日、スターリンは降伏近いと読んでソ連軍の進撃を急がせた。15日には満州と北朝鮮の北部まで侵入できた。南樺太への侵攻は成功したが、千島列島は手つかずのまま15日を迎えた。日本降伏は8月15日であったが、東京湾の戦艦ミズーリでの降伏調印式は9月2日である。この日まで停戦は発効せず進撃できる。スターリンはソ連軍を督戦して前進を命じた。9月2日までにソ連軍は38度線に到達し、千島列島では占守島での8月15日以降の戦闘もあったが、国後択捉まで占領できた。
 スターリンは北海道上陸作戦を用意していたが、これはさすがにトルーマン大統領により拒否された。
 アメリカは戦後の朝鮮政策を用意していなかった。朝鮮での住民投票による独立国家の誕生というおおざっぱな計画で、38度線をどうするとは考えていなかった。これはアメリカだけの責任ではない。朝鮮の亡命政府は、アメリカ、上海、重慶、延安に分裂しており、統一の気運は全くなかった。空理空論だけが通り、日本降伏後の独立計画を策定出来なかった。朝鮮人自身の責任でもあった。
 停戦時の境界が38度線であったので、北はソ連占領、南はアメリカ占領となり、38度線は固定化を始める。此の時点でアメリカは38度線以北を捨てたのである。ソ連軍とその代理人金日成の北の支配は恐怖政治であった。北の地主や商工業者、キリスト教徒は共産主義の弾圧を逃れて南へ避難した。
 その後1950年金日成は朝鮮戦争を起こし、38度線を跨いでの戦争となり、一時はアメリカ軍は朝中国境まで攻め込んだが、中国軍に押し返され、一時は37度線まで後退した。マッカーサーは原爆を中国に投下して、戦線を朝中国境まで攻め入ることを計画したが、トルーマン大統領はこれを拒否し、マッカーサーを解任した。これにより38度線は固定化し、38度線以北は捨てられることが確定した。
 アメリカが捨てた国はまだある。
 南ベトナムである。
 北ベトナムはホーチミンの指導する共産国家であったが、フランスの撤退により南北は分離し南は自由主義国として出発した。しかし、金日成の南進と同じくホーチミンは南部へ侵攻し統一を企てた。最初はフランスが南ベトナム政府を支援していたが、次いでアメリカに変わった。北からは自由主義者やキリスト教徒が南へ逃れてきた。彼らはアメリカの支援の元に北と戦い、アメリカも巨額の戦費と兵員を投入した。しかし、ホーチミンの方が強かった。日本軍に勝利したアメリカも朝鮮・ベトナムとなると、連戦連敗の弱軍となっていた。かくして1975年サイゴンは陥落し、米兵はヘリでサイゴン沖の空母に避難した。アメリカ人を信じて共産主義と戦っていた南ベトナム人は捨てられた。その後北ベトナム政府の圧政を逃れるために多数の南ベトナム人はボートピープルとなって南シナ海に脱出し、苦難をなめた。
カンボジャはもっと酷かった。
 アメリカはシアヌーク追放後ロンノル政府に肩入れし、ポルポトに対抗したが、ポルポトの方が強かった。1975年プノンペンは陥落しアメリカ人は脱出し、それまでアメリカ人を信頼して戦っていたカンボジャ人を捨てた。ポルポトの圧制下で殺されたカンボジャ人はヒトラーに殺されたユダヤ人の数に匹敵する。
 イラクやアフガニスタンでも同じであった。アメリカはここでも逃げた。アメリカ軍はアルカイダを退治すると言って地上軍を投入し政府軍と共闘した。しかしアルカイダは強く、アメリカ地上軍は戦死者続出となり、アメリカ国内の撤退世論に押されて地上軍を撤退させて空爆だけに限定した。共闘している政府軍は突然仲間に逃げられたのである。地上軍なしで空爆だけをしていてもアルカイダを絶滅させることは出来ない。政府軍は窮地に陥った。アメリカ軍の空爆は誤爆を引き起こし、政府軍も誤爆に晒された。
 キューバも同じである。カストロのキューバ革命の時、アメリカへ亡命していたキューバ人が反革命軍を組織してキューバに上陸した。アメリカは反革命軍に武器と上陸船舶の支援をした。しかしカストロの方が強かった。上陸した反革命軍が水際で敗北したとき、アメリカはそれ以上の支援をしなかった。かくして、アメリカ人にそそのかされて武器を持って立ち上がった亡命キューバ人を捨てたのである。

 第二次世界大戦後、アメリカがやってきた、世界の警察官としての軍事行動でアメリカが勝利したものはない。皆敗北である。アメリカ最後の勝利は太平洋戦争の沖縄戦である。その後負け続けである。
 その結果、北朝鮮、キューバ、ベトナム、カンボジャ、イラク、イランのなかの親米勢力を捨てた。アメリカ人と共闘して祖国を救おうとした人々を捨てたのである。
 朝日戦争勃発となれば、アメリカ人は日本を捨てるであろう。

3、北朝鮮と韓国による日本分割支配
マッカーサーの日本占領方式、即ち天皇の権威を利用する間接統治を採用する。占領経費が節約できる。自衛隊員20万人の北朝鮮への捕虜連行と強制労働、次いで警察幹部もそうする。かくして日本の武装抵抗部隊を一掃させる。
 在日米軍の内、嘉手納基地は水爆で水没、横田基地は自衛隊の戦車を奪った北朝鮮軍の襲撃で炎上、生き残った米兵はヘリで駿河湾沖の米空母に逃げ帰る。1975年サイゴン陥落と同じになる。トランプは米軍の日本突入を企画するが、米兵と家族を捕虜の楯にされ決断が鈍る。米軍全体にあの勝てなかった朝鮮戦争の悪夢が蘇り、躊躇する。米軍は北朝鮮相手の白兵戦の訓練を受けていないし、国際法違反の捕虜を楯とする戦法に慣れていない。時は無駄に過ぎて行き、北朝鮮の日本占領は実効化していく。
 皇居においた占領本部に霞ケ関の役人を呼び出して行政命令を発する。拒否する役人は銃殺してさらし者。
 初期の占領布告
 これまで通りの勤務と生活を継続すること
 鉄道・電話・放送・出版・電気・水道は続けること
 学校は開校し続けること、工場・商店・デパートは営業すること
 銀行・郵便局・株式市場・役所は続けること
 警察・裁判所は占領本部の命令に従い、逮捕状の発給と執行に努めること
これらの布告に違反し、休業・怠業したり、逃亡したりすれば、処罰される。

東京拘置所では収容者は釈放され、占領命令違反者の為の監房に変身する。
 金正恩の占領本部では、既に逮捕者名簿を用意しており、東京地裁は次々と逮捕状を発給し、警察が逮捕し東京拘置所はやがて満杯となる。
 外国にいる日本人公務員には帰国命令がだされ、従わないと家族が収監される。
 上場民間会社の幹部社員には出国禁止令が出される。
 かくして、ドイツ占領下の北フランスのように、工場も商店も銀行も市場も何の変化もなく、子供たちは学校へ、大人は職場へ通い、平穏は保たれる。占領本部は皇居の中に立てこもり、天皇と政府幹部と家族を捕虜人質として、各省庁幹部を呼び出して占領命令を出す。違反者に対しては深夜自宅に占領本部軍警察と警視庁日本人警官が東京地裁発行の逮捕状を持って逮捕に訪れ、東京拘置所に収監する。
 占領本部は財務省から占領税を徴税し、北朝鮮兵に給料として支給する。北朝鮮兵士は銀座で爆買いして祖国に送る。祖国は戦勝景気にわき、金正恩崇拝熱が爆発する。日本ではシンガポール陥落の時、お祝いで国民に特別配給を支給し、国民は特別配給の酒に酔いしれ、聖戦貫徹を誓った。しかしこの特別配給は二度となされず、配給は減少するばかりであった。
 独ソ戦のとき、ソ連兵は定期的に故郷へ郵便小包みを郵送することができ、ドイツ人の家から略奪した物資を故郷に送っていた。ドイツ女に対して強姦は自由であった。
 占領本部はマッカーサーの例にならい警察庁に命じて慰安所を開設させ、北朝鮮兵士は給料から料金を支払う。太平洋戦争の時の日本兵は月給全部を投じても月に2回しか慰安所に通うことが出来なかった。しかし、北朝鮮兵の給料は巨額の占領税が原資なので高給で有り、何回でも遊べた。パリのドイツ兵は占領税の給料で皆フランス女の妾を持ったが、北朝鮮兵は東京で酒池肉林のハーレムを楽しめる。マッカーサーの時と同じく、北朝鮮兵の腕にぶら下がる日本女が続出する。
 かくして、ソ連兵と違い、北朝鮮兵士の強盗や強姦はなく、治安は保たれる。稀に発生したときは、皇居前で銃殺刑が執行され、北朝鮮兵士に対する見せしめとされる。
 日本の貿易は制限されず、占領本部は貿易を奨励するが、当初は日本信用不安の為相手国が断るので、減少していく。輸出品には、メイドインジャパンではなく、メイドインオキュパイドジャパンと刻される。日本は貿易制限で貧困化していくが、日本の富は5年たっても食いつくせない。その内に、世界はオキュパイドジャパンに慣れてくる。大韓帝国が日本に併合されても世界は抗議をあげなかった。
 日本の海外企業からの国内送金は続き、占領税の徴税には当分困らない。送金しない海外企業の幹部の国内家族は東京拘置所に収監される。
 日本の基幹産業特に自動車・飛行機・造船工場の北朝鮮移転が進められる。1944年日本は米軍の空襲に備えて軍備工場の北朝鮮移転をすすめたが、日本海の機雷封鎖により中断してしまう。これの再来である。日本人工員はかってのドイツ占領下のフランス人のように徴用され北朝鮮の収容所に収容され、毎日過酷なノルマ労働を強いられ、格安の自動車が北朝鮮製と刻印されて輸出される。
 一万人の占領軍で1億人の日本を支配できるか。
 モンゴルの元も、満州族の清も1万人の兵で10万人の漢民族軍を撃破した。騎馬隊の突撃は漢民族の?兵隊を寸断し包囲して殲滅させた。漢民族にはすぐ裏切り者が出た。裏切り者には女と高官の地位を与えると喜んで服従した。清は1万人の満州族が何千万人の漢民族を支配できた。分断支配である。また科挙試験を通じて漢民族にも出世の道を与え、軍人とか宦官の抜擢も有り、ガス抜きしたので、少数が多数を支配することが出来た。民衆は国家・民族の大義名分より自分の生存と平和、たとえそれが奴隷の平和であったとしても望むものである。
 日韓併合のとき、日本は義務教育を導入し成績優秀者には帝国大学から高級官吏への道を用意し懐柔した。日本軍は2個師団2万人余で数千万人の大韓帝国を支配できた。大韓帝国支配層には給料と利権を与えて懐柔しており、此の方が軍事費より高くついた。
 日本占領軍兵士は日本人教師の教育の元に、日本語堪能でさらに法律行政の知識を教えられている。占領政策の分厚い教科書と粛正リストを持っている。
 朝日戦争降伏条約、朝日併合条約、日本国憲法改正へと進めていく。お手本はマッカーサーである。日本人はマッカーサーの戦争放棄憲法案に感激して喜んだ。なんてことはない。これは秀吉の刀狩りなのである。日本自衛隊が北朝鮮軍に敗北して占領されることは、武装放棄した憲法9条が原因である。北朝鮮軍に日本民兵軍を組織しレジスタンスを仕掛けようとする日本人は、日本人は憲法で戦争放棄をしたではないかと言われる。外国軍隊の占領中の憲法改正を禁止するのはフランス憲法である。
 学校では金正恩万歳教育が行われる。日韓併合では朝鮮生徒に天皇陛下万歳と教えた。成長して太平洋戦争のときは志願兵として出征した。朝日併合が10年も続くと、金正恩万歳と本気で唱える青年が出てくる。昭和の頃、主体思想がはやった頃、そんな左翼活動家がいた。日韓併合の報いとして朝日併合を日本民族は受け入れ、東アジア全体の平和のために金正恩様に忠勤を励まなければならないと言い出す青年も出てくる。在日朝鮮人は突然特権階級に昇級となるから、日本人弾圧の先鋒となる。ドイツ占領下のフランスでフランス警察がドイツの犬になってレジスタンスを弾圧し、ユダヤ人狩りをしてアウシュビッツへ送った。在日朝鮮人は警察官に大量採用され、同じ役割を果たすであろう。ヒトラーを信奉したフランス人ファシストは義勇軍を募り、独ソ戦線に出兵さえした。何処にでも裏切り者が出る。
 カンボジャのポルポトの教育もこんなものであった。イスラムやアフリカでは少年兵の育成に努めている。感化しやすいし、反抗しないからだ。
 日本人の裏切り者は重用される。マッカーサー時代、昨日まで鬼畜米英と叫んでいた日本の政治家、軍人、財閥は皆マッカーサーに擦り寄り、身の安全と利権の維持を懇願した。占領軍は粛正リストとともに一本つりリストも持っている。このリストに書かれている者が占領下の支配者になれる。フランスのペタン大統領やラバル首相にように、菅直人元総理はリストにのるであろう。
 明治天皇と伊藤博文が出来た日韓併合、大韓帝国支配層の利権を保証して、祖国を日本へ売らせた。金正恩は自分も朝日併合が出来る、ここに勝機と自分の生存の可能性があると信じて大博打を打つであろう。東条英機と山本五十六の真珠湾の大博打と比較してそう変わりもない。負ければ死ぬだけだ。日韓併合のときは世界は朝鮮を無視した。東アジアの片隅の領土争いに関心はなかった。国連があるにしても、シリアの内紛に無力であるのが実際である。水爆で世界を威嚇すれば、朝日併合に黙るであろう 
金正恩の妄想は段々と膨らんでいく。若い頃ひ弱だった人相が凶相を帯びてきた。兄さえ殺した。次にやることは朝日併合である。元のフビライがやりかけた日本征服を完遂して、日韓併合のお返しをしてやる。白水江の戦いの時、日本は百済支援を種に朝鮮を侵略し、秀吉も朝鮮を侵略した。いよいよ今日、東アジア騎馬民族の本領を見せてやる。